甲州街道沿いの国領神社の藤も咲いていた。「国領」の響きは「高句麗(こぐりょう)」を連想させるが、高麗(こうらい、こま)と何か関係があったのだろうか。地名の由来には国衙領から来ただとか諸説あるようだ。
今日も暑かったが明日はもっと暑くなるらしい。それでは「宗祇独吟何人百韻」の続き。
六十一句目
むなしき月を恨みてやねん
問はぬ夜の心やりつる雨晴れて 宗祇
宗牧注
月夜にハこぬ人またるかきくらし雨もふらなむ侘つつもねん、といへる心を下に持て、人もとはぬをなぐさみてゐたる夜の雨晴て、月の面白に、とはぬ心を恨出て、恨てやねんと仕立られたる句也。妙不思議の句なり。
周桂注
月夜にハこぬ人またるかきくもり雨もふらなんわびつつもねん。雨はれてとはぬを、むなしき月とうらみたる心也。
引用されている歌は、
月夜には来ぬ人待たるかきくもり
雨も降らなむわびつつも寝む
詠み人知らず(古今集)
「心やり」は思いを外へ吐き出すこと。男の問うてこないもやもやを晴らそうと、それを雨にぶつけていたのに、その雨も上がってしまい、やり場のない思いだけが月への恨みとして残ってしまう。
六十二句目
問はぬ夜の心やりつる雨晴れて
身を知るにさへ人ぞ猶うき 宗祇
宗牧注
とはれじのうき身ぞと分別してさへ人ハ猶うきと思ふ也。
周桂注
身をしる雨也。
雨のせいにして鬱憤を晴らしていたけど、雨が上がっても猶来なければ、結局自分の身の問題に跳ね返ってくる。別に自分に落ち度があったとかそういうのではなく、要は身分の問題ということなのだろう。
六十三句目
身を知るにさへ人ぞ猶うき
忘れねといひしをいかに聞きつらん 宗祇
宗牧注
わすれねといひしにかなふ君なれどとハぬハつらきものにやハあらぬ。君にわすれよといひしは、我身のうきをのべていへるに、君ハ正直に忘たる也。それを忘よといふは、我思ひを卑下なるを、何とききてわするるぞといふ心なり。
周桂注
忘ねといひしにかなふ君なれどとハぬハつらき物にぞありける。真実忘よとにハあらぬを、いかがききつらんと、人ぞ猶うきと也。我身のようなきたはぶれ事をいひたるを、身をしるにさへと付たる心なるべし。
景色の句のときの注釈は短いが、恋の句となると注釈は長くなる。王朝時代の恋はそれだけ、戦国の武家社会の人にはわかりにくいことだったのだろう。
「忘れね」は「忘れてくれ」という意味。要するに別れようという意味。
これは男が別れ話を切り出したのではない。男は来なくなればそれが自然と別れになる。女のほうから、自分の身分のつりあわないのを卑下して「忘れてください」と言ってはみたものの、本当に来なくなるとやはり辛いもの。「忘れられないんだ、身分なんか関係ない」って言ってほしかったのに、というところか。
六十四句目
忘れねといひしをいかに聞きつらん
風の便もかくやたゆべき 宗祇
宗牧注
儀なし。
周桂注
虚空なる風のたより、それさへたえたる心也。
これはまた簡潔な注で、まあ、恋離れの逃げ句だからか。
風の便りは今でも時折用いる「風の噂」のようなもの。
風というと『詩経』大序を読んだときに、「言之者無罪、聞之者足以戒。故曰風。(これを言うものには罪はなく、これを聞くものを戒めることもない。それゆえ風という。)」という言葉があったが、風は誰が言うともなく世間に広がるものを言い、風聞だとか風評だとかいう言葉は今でも使う。
「忘れて」と言ったあの時の言葉をあの人がどう受け止めたかはもはや知るよしもない。風の噂にも聞こえてこないから、と付く。
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