2018年4月17日火曜日

 蜘蛛の巣より香山リカの発句のきこえたる。

 桜散るネトウヨどもが夢の跡   リカ

 夢の跡なれど落花に春を惜しむ心有。

   桜散るネトウヨどもが夢の跡
 はよくれたれば春の夜の闇    こやん

 花芥森友敷地にゴミはなし    リカ

 花は芥にても愛でるものにてゴミもなしと也。

   花芥森友敷地にゴミはなし
 行春惜しみ鷺の鳴くらん     こやん

 渡米に病んで夢は桜とともに散る リカ

 花の夢の醒むれば悟りたるニ似たり。

   渡米に病んで夢は桜とともに散る
 嵐のあとの春の曙        こやん

 とまあ、戯れはこれくらいにして、「宗祇独吟何人百韻」の続き。

 四十五句目

   むねならぬ月やみてるをも見む
 霧晴るる山に慰め物思ひ    宗祇

 宗牧注
 霧晴山ハ、自然の道理也。わが思ひも、一度ハ晴む事を思てなぐさめと也。
 周桂注
 むねの霧の晴がたきに、山のけしきをみてはらせと也。

 山の霧は晴れても胸の霧は晴れず、恋にわずらい物思いにふける。月は出ているけど心ここにあらず。
 悟れない気持ちから恋の悩みに転じる。

 四十六句目

   霧晴るる山に慰め物思ひ
 松をば秋の風も問はずや    宗祇

 宗牧注
 まつの字に仕立たる也。彼宮内卿が、きくやいかにうはの空なる風だにも、と心得る也。
 周桂注
 秋かぜの霧に松のあらはれたるをみて、松の風のとふごとく待人もとへかしと也。

 松を「待つ」に掛けて恋の句にするのはよくあること。秋風に霧が晴れて、山の松も見えてくる。それを待っている松を風が訪問したというふうにして、自分にも待ち人が現れないかと問う。
 宗牧が引用している歌は、

   寄風恋
 きくやいかにうはの空なる風だにも
     松に音する習ひ有りとは
              宮内卿(新古今集)

 宮内卿は後鳥羽院に仕えた女房だという。
 「きく」は相手の男性に対して語りかけるとともに、松風の音を聞くという両方の意味を持ち、この両義性がその後も「うはの空」も男のうわの空と風の吹く空、待つに松、「音する」に訪れると音がする、と見事に継承されてゆく。
 松風に問うという言葉も両義性は、宗祇の句の方にも引き継がれている。
 宮内卿の歌の方は江戸時代後期になると男尊女卑の考え方から「きくやいかに」みたいなきつい言い方は女としていかがなものかなんて議論になるが、無粋な話だ。

 四十七句目

   松をば秋の風も問はずや
 人はたが心の杉を尋ぬらん   宗祇

 宗牧注
 心の杉とは心の数奇なり。対句などの心也。
 周桂注
 心の杉とは、心にすきたる心也。好色心也。

 連歌のてにはに「こそ」付けというのがあったが、「ぞ」でも「をば」でも同様に、前句に対し否定的な内容を付け、「何々ではなく何々をば」と付けることが出来る。
 この場合は「松」に「杉」を対比させながら、あの人は誰の心の杉(数奇)を尋ねているのだろうか、松(待っ)ているのに秋の風も問うてくれない、となる。前句の「や」はこの場合反語に取り成される。

 四十八句目

   人はたが心の杉を尋ぬらん
 門ふる道のたえぬさへうし   宗祇

 宗牧注
 たがと云字にあたりて、心のすきをとらはぬ門は古て、道のたえず残たるも憂と也。
 周桂注
 杉の門也。門ふりたれば、道もなくばよからんずるを、さすが道の残りたるをうらめしと也。

 ここでもお約束で前句の「らん」は反語になる。「門」と付くことによって「杉」は「杉の門」になる。

 我が庵は三輪の山もと恋しくは
    とぶらひきませ杉たてる門
              詠み人しらず(古今集)

の用例がある。
 あの人はどうしてこの杉の戸を尋ねてくるなんてことがあるのだろうか、ありやしない。それなのに古びた門にまだ道が残っているのが恨めしい。道が残っていると、通ってきた頃のことが思い出され、却って未練になる。いっそのこと道も埋もれてしまえばいい、という心か。

 四十九句目

   門ふる道のたえぬさへうし
 爪木こるかげも野寺は幽にて  宗祇

 宗牧注
 儀なし。
 周桂注
 野寺の体也。

 「爪木」は薪にする小枝のこと。前句の「たえぬ」を否定ではなく完了の「ぬ」に取り成し、野寺は爪木を取に来る人さえほとんどなく、道も絶えぬと付く。

 五十句目

   爪木こるかげも野寺は幽にて
 苔に幾重の霜の衣手      宗祇

 宗牧注
 野寺ノ住侶の体也。
 周桂注
 寺に住む人の体也。

 野寺の住人である僧の苔の袂は何度ともなく霜が降りている。

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