今日は朝から激しい雨が降り、昼過ぎにようやく止んだ。
それでは「宗祇独吟何人百韻」の続き。
七十五句目
砌ばかりをいにしへの跡
植ゑ置きし外は草木も野辺にして 宗祇
宗牧注
荒たる所に、さすが植置たる草木ハ別に見ゆる也。其外ハ悉広野と荒果たる体也。
周桂注
うへたるハ別にみゆる心也。あれたる体也。
すっかり野原になってしまったかつての住居も、ところどころ植えられたとおぼしき植物が残っていて、かつてここに人が住んでいたとわかる。
七十六句目
植ゑ置きし外は草木も野辺にして
風は早苗を分くる沢水 宗祇
宗牧注
うへをきしハ、早苗の事也。苗の外ハ、山沢の草木を吹風計也。行やう面白句也。
周桂注
うへをきしハ苗也。
中世の田んぼは今のような区画整理された大きな田んぼではなく、山間部などの小さな水の流れに沿って作られた。そのため一区画は小さく、流れに沿って曲線的に作られることが多かった。
大きな河川の下流域の広大な平野部は水害の危険大きいため、こうした所は江戸後期の新田開発によって出来た所が多い。
中世の小さな田んぼの周りは、野原だったことも多かったのだろう。前句の「植ゑ置きし」を早苗のこととし、小さな沢水を利用して作られた田んぼの周りは草木の茂る野辺になっていて、風はそこから吹いていた。
七十七句目
風は早苗を分くる沢水
声をほに出でじもはかな飛ぶ蛍 宗祇
宗牧注
し文字濁べし。ほにハ顕心也。苗ハ穂に出る物なるに対してかくいへり。
周桂注
一句は恋也。蛍ハこゑハなくて、ただおもひをたきてみする心也。
「ほに出」は表に表れるという意味と穂に出るという意味とを掛けている。蛍は鳴かないから声をほに出すことはない。
恋に焦がれて鳴く蝉よりも
鳴かぬ蛍が身を焦がす
は都都逸として有名だが、永正十五年(一五一八年)に成立した『閑吟集』にもあるというから、ひょっとしたら宗祇さんも知っていたかもしれない。『閑吟集』の編者は不明だが、水無瀬三吟、湯山三吟をともに巻いたあの宗長だとする説もある。
七十八句目
声をほに出でじもはかな飛ぶ蛍
色に心は見えぬ物かは 宗祇
宗牧注
こゑにハたてねど、色には見ゆるを、忍ぶハはかなきと、蛍にいひかけて付る也。
周桂注
いはねども色にみゆる物なれバ、忍もかひなし。
口には出さなくても顔に出てしまっては、忍ぶ意味がない。
忍ぶれど色に出でにけりわが恋は
ものや思ふと人の問ふまで
平兼盛(拾遺集)
の歌は百人一首でもよく知られている。ただ、蛍の場合は顔に出るというよりも光に出るというべきか。
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