2018年4月19日木曜日

 四月十六日の日記に書いたあの言葉は、キャバ嬢ではなくキャバ嬢まがいのことをさせられていた女性記者への言葉だとわかった。日本のマスコミの取材方法の闇の部分が暴露されてしまったか。
 日本のマスコミは根っこから腐っている。一度解体して作り直したほうがいいのかもしれない。ただでさえ、日本は記者クラブ制といい、放送法四条といい、海外から改善を求められている。今のマスコミに閉鎖性を打破するには、思い切った規制緩和が必要だと思う。
 では、それとは関係なく「宗祇独吟何人百韻」の続き。

 五十七句目

   危き国や民もくるしき
 植ゑしよりたのみを露に秋かけて 宗祇

 宗牧注
 青苗をうへ付て、熟不熟をあやぶむ民の心也。
 周桂注
 (なし)

 これは「て」止めなので、後ろ付けに読んだ方がいいのだろう。危うき国で民も苦しいので、今年こそは作物がちゃんと実ってくれと、田植えの頃より頼みの露を掛けて秋の豊作を祈る。
 前句の「危うき」を戦乱ではなく飢饉のせいだとする。

 五十八句目

   植ゑしよりたのみを露に秋かけて
 かりほの小萩かつ散るも惜し 宗祇

 宗牧注
 小萩を植しよりの心に取なせり。
 周桂注
 小萩うへたるかりほなるべし。秋の田のかりほの宿の匂ふまでさける秋萩みれどあかぬかも。

 前句を稲ではなく萩を植えた人のこととする。萩と露は縁があり、萩の露を詠んだ古歌は多数ある。萩の花の散る儚さと消えて行く朝露の儚さは相響き合う。
 周桂が引用しているのは、

 秋田刈る刈廬の宿りにほふまで
     咲ける秋萩見れど飽かぬかも
        詠み人知らず(万葉集、巻十、二一〇〇)

 五十九句目

   かりほの小萩かつ散るも惜し
 衣擣つ夕べすぐすな雁の声    宗祇

 宗牧注
 鳴渡雁の泪や落るらん物思ふ宿の萩の上のつゆ。衣擣にて、かりほをかかへたる也。
 周桂注
 衣うつかり庵なるべし。夕すぐすなにて、かつちるもおしと付たる也。

 宗牧が引用している和歌は、

 鳴きわたる雁のなみだや落ちつらむ
     物思ふ宿の萩のうへの露
            詠み人知らず(古今集)

 萩と雁の声に縁があるだけでなく、和歌として上句から読み下した時、「雁の声」から「かりほ」が導き出される。
 「すぐす」はこの場合やり過ごすという意味。衣打つ夕べには雁も鳴いてくれ、かりほの小萩が散る、と付く。

 六十句目

   衣擣つ夕べすぐすな雁の声
 むなしき月を恨みてやねん  宗祇

 宗牧注
 付所、雁の不来ハむなしきゆふべならんと也。一句ハ恋也。
 周桂注
 雁がなかずバむなしき月也。一句ハ独寝ハむなしき也。

 雁の声をすぐせば、つまり雁が鳴かなかったなら、月に友となるものが何もないまま恨んで寝ることになる。月に雁というと江戸時代の歌川広重の絵が有名だが、

 白雲に羽うちかはし飛ぶ雁の
     かずさへ見ゆる秋の夜の月
            詠み人知らず(古今集)

から来ている。
 月に雁がないように、自分にも共に過ごす友のない、空しく一人寝る、となる。

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