「宗祇独吟何人百韻」の続き。名残の表に入る。
七十九句目
色に心は見えぬ物かは
たが袖となせば霞にひかるらん 宗祇
宗牧注
春の光に乗じて、誰袖となして、霞にひかるるぞと、我心もあらはによ所に見えんと也。
周桂注
面白に興じたる体也。うかれたる心也。
隠していても顔に出てしまう恋は一体誰の袖に引かれたのだろうか、他ならぬ君にだ、というやや浮かれたような恋の歌になる。
「引かる」は「光る」に掛かり、そこに「霞」を出すことによって、春の女神佐保姫を愛しき女に重ね合わせる。
佐保姫といえば、
佐保姫の霞の衣ぬきをうすみ
花の錦をたちやかさねむ
後鳥羽院
の歌がある。
霞の衣の春の日に光り輝くような女神様のような君ともなれば、そりゃあ表情にも出るわな。
なお、これより二十五年後の山崎宗鑑撰『犬筑波集』には、
霞の衣すそはぬれけり
佐保姫の春立ちながら尿(しと)をして
の句がある。放尿は今のポルノでも一つのジャンルになっているが。
八十句目
たが袖となせば霞にひかるらん
春さへ悲しひとりこす山 宗祇
宗牧注
春は面白時節なれども、独こす山はかなしきと也。然(しかる)をたが袖となして、霞にハひかるるぞと也。
周桂注
春山ハおもしろき物なれど、ひとりこゆればかなしと也。誰袖になせばといおふにあたりて、ひとりと付たる也。
前句の「らん」を反語にして、あの霞も誰かの袖だったら引かれるのに、そんなこともなく、独り越す山は悲しいと付く。恋から羇旅に転じる。
八十一句目
春さへ悲しひとりこす山
おのが世はかりの別れ路数たらで 宗祇
宗牧注
北へ行雁ぞ鳴なるつれて来し数ハたらでぞかえるべらなる。ひとりに数たらでと付也。雁をかりの方に取なしたる也。
周桂注
北へ行雁ぞなくなるつれてこし数ハたらでぞかへるべらなる。かりの別ぢかりそめにそへたり。
本歌は、
北へ行く雁ぞ鳴くなるつれてこし
数はたらでぞ帰るべらなる
詠み人知らず(古今集)
雁と仮を掛けて、我が人生の仮の世の別れ(親族や親友などの死別)があって、秋に来た時より数が減って帰ってゆく春の雁のように、独り越す山は悲しいと付く。
八十二句目
おのが世はかりの別れ路数たらで
秋をかけむもいさや玉緒 宗祇
宗牧注
雁ハ春帰て、又秋来るものなり。然を秋かけて、あはむも知ぬ命ぞと、わが身をおもふ也。をのが世を吾事に取べし。
周桂注
雁ハ秋来る物なれど、秋までもいのちをしらぬと也。
親しき人とも死別し、数足らず帰ってゆく雁のような自分には、雁が秋にまた渡ってくるようなこともなく、むしろ秋まで生きながらえることができるだろうか、と付く。
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