月はほぼ満月となった。今日は気温が下がったせいか、くっきりとした月だ。
桜は半分くらい葉桜に変わってきている。
それでは「うたてやな」の巻の続き。挙句まで一気にと思ったが、途中で詰まってしまった。
四十五句目。
築地くぐりし雪の足あと
おろかさは寒声つかふ身の独り 来山
「寒声(かんごゑ)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、
「僧や邦楽を学ぶ人が、寒中に声を出してのどを鍛えること。また、その声。」
とある。声を一度潰して作り直すという作業なのだろう。邦楽では非整数倍発声、いわばノイズのある声が重視されたため、意図的に声を潰し非整数倍音が多く出る状態にしたところで、非整数倍音の量を調整する技術を学んだのではないかと思われる。邦楽だけでなく僧の声明の声もこのようにして作られる。
メタル系のボーカルでもしばしばクリアボイスとデスボイスを使い分ける人がいる。非整数倍音は意図的に調整できる。
裕福な生まれでありながら、あえて築地をくぐって雪の中に出てゆき、寒声の練習をするのは、芸事の道楽にのめりこんだからであろう。それを「おろか」と自嘲する。
四十六句目。
おろかさは寒声つかふ身の独り
うらるる娘里の落月 西鶴
江戸時代の人身売買は基本的に禁止されていた。それでは遊郭に売られた遊女たちは何だったのかというと、その多くは債務奴隷、つまり借金返済のためのものだったと思われる。いわゆる奴隷制度の奴隷ではない。
ウィキペディアによると、
「奴隷制度終焉以後の人身売買は一般に、自ら了承して身売りしたり(借金の返済、親族に必要な金銭の用立てなど)、親が子に強要したり、親が子の替わりに契約を行ったり、また既にその状態の人を売買(転売)することもあるが、誘拐などの強制手段や甘言によって誘い出して移送することも多数あり、広義には当人に気づかせないグループ詐欺的な方法を含むことがあるなど、多様な実体・本質と分野を含む用語である。」
とある。
この種の人身売買は近代に入っても戦後間もない頃までは合法的に行われていて、従軍慰安婦の多くもこうした債務奴隷だったと思われる。
飢饉で荒れ果てた村から、朝もまだ薄暗い落月の頃、娘は売られてゆき、寒声つかふ芸能の世界に入ってゆくのだろう。「おろかさは」はそんな過酷な世界に対して発せられる。
四十七句目。
うらるる娘里の落月
憂中の名残に汲ん秋の汐 瓠界
「憂中」は「うき仲」で恋に転じる。
謡曲『松風』からの発想か。『松風』では須磨も汐汲む海女の姉妹を残して在原行平が去っていくわけだが、本説を取る時はそのまんまではなく少し変える。ここでは娘が売られてゆくことで別れとなる。
四十八句目。
憂中の名残に汲ん秋の汐
雁に鷗に浦づくしまふ 才麿
謡曲『融』の趣向で逃げるか。後半の舞が見所の能だが、それを「浦づくし」と言ったか。
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