今日は満月で、暖かい一日だった。春もやや景色ととのう気分だった。
そろそろまた俳諧一巻を読んでみたくなった。
旧暦では正月なので、やはりその季節のものをということで、元禄二年の正月、芭蕉が奥の細道に旅立つ三ヶ月前、興行場所は江戸で、それ以上詳しいことはわからない。連衆は当初奥の細道に同行するといわれていた路通と、大垣藩邸の門人たちだという。
この年の歳旦には、
元日は田毎の日こそ恋しけれ 芭蕉
の句がある。
芭蕉は去年の秋に『更科紀行』の旅で姨捨山の月を見に行ったが、田毎の月は田んぼに水が張られ、まだ田植えの行われていない初夏の時期のものだから、見てはいない。
しかも、田毎の月ではなく「田毎の日」という。初日の出の光が田んぼに映って田毎の日になることを想像したのか。ただこの時期の田んぼは水を張っていない。あくまでも想像の中のものだ。旅の途中のどこかで、水の張った初夏の田んぼに朝日が当たって輝いて見えたという記憶があったのか。道祖神の胸中を騒がせたような句だ。
さて、何日のどこでかはよくわからないが、興行は路通の発句で始まる。
水仙は見るまを春に得たりけり 路通
水仙は冬の終わり、新暦正月の頃から咲いている。それを見ている間に春(旧正月)が来たという句だ。この発句からしても、興行は年が明けてそんなに日の経ってない頃に行われたのだろう。脇も正月の句で応じる。
水仙は見るまを春に得たりけり
窓のほそめに開く歳旦 李沓
「見る間」をそのまんま見る隙間として、「窓のほそめに開く」と展開する。そして第三は猫の日で紹介した芭蕉の句だ。
窓のほそめに開く歳旦
我猫に野等猫とをる鳴侘て 芭蕉
歳旦から猫の恋へと展開する。
我猫に野等猫とをる鳴侘て
ほしわすれたるきぬ張の月 亀仙
昔は月の定座といってもそんな厳密なものではなく、四句目の短句で月を出しても別に問題はなかった。
春の句に月を出すと朧月になるが、「朧月」という言葉を出してしまうと春に限定されてしまうので、春の季題の入れずに春の月を詠まなくてはならない。その工夫で出てきたのが、「ほしわすれたるきぬ張の月」。
乾いた絹の白い月は秋の月。湿れば朧の春の月。なかなか考えたものだ。亀仙人の名は伊達じゃない。
ほしわすれたるきぬ張の月
槿にいらぬ糸瓜のからみあひ 泉川
「槿」は「あさがほ」と読む。古代はムクゲのことだったが、江戸時代だと今の朝顔の意味になる。
絹張りの月を序詞のように解して、干し忘れた洗濯物の絹張りから白い秋の月を導き出す。
干し忘れた原因は、物干しに朝顔や糸瓜が絡みついていたから、どこか他に干そうと思っているうちに忘れてしまったということか。
槿にいらぬ糸瓜のからみあひ
仁といはれてわたる白つゆ 執筆
ここで執筆の登場となる。連歌では挙句を詠むことが多いが、この頃の俳諧では連衆が一巡したあと、顔見世として登場することも珍しくない。
朝顔と糸瓜が絡みついてもそれを無理にどかすのでもなく、自然のままにしてゆくこの家の住人を、仁徳のある人とし、白露の清き輝きに喩える。
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