今日は久々に土砂降りの雨と強風で、春の嵐だった。
アカデミー賞が下馬評どおりあの半漁人の映画に決まったようで、ひょっとしてナウシカの影響があるのかなと思った。オームのポジションが半漁人になったような気がする。女=自然=神秘主義、男=人工=科学万能主義といったジェンダーのパターンを引き継いでるように思える。
去年は『美女と野獣』が流行ったが、西洋的にはこれが出典なのかもしれない。逆のパターンというのはあまりない。美女と野獣なら世の男どもは、「なら俺でもOKかな?」なんて期待を抱いたりするが、美男と野獣女だと世の女たちは嫉妬に怒り狂う。だから、結局化け物の世話は女の仕事になってしまう。
さて、「水仙は」の巻の続き。
十三句目。
餅そなへ置く名月の空
はらはらと葉広柏の露のをと 泉川
餅と柏は付き物。前にも書いたが、一六四一年頃には端午の節句の柏餅が定着していたので、元禄二年の時代に餅から柏への連想は自然なものだった。
とはいえ、これは名月の句なので秋になるから、柏餅は登場しない。そのかわりやがて餅を包むであろう柏の葉に、結んだ露の落ちる音を付けている。
葉広柏は、
閨の上に片枝さしおほひ外面なる
葉広柏に霰降るなり
能因法師(新古今集)
の用例があるが、普通の柏と何が違うのかはよくわからない。地域によってはナラガシワで代用することは前にも書いたが、それともまた違うのだろうか。
十四句目。
はらはらと葉広柏の露のをと
一むれあくる雁の朝啄 亀仙
朝露というくらいで、露に朝も付き物。「あくる」は夜が明けることか、それとも間隔を開けることか。「あるく」の間違いだという説もある。確かに、刈り終わった水田の落穂を啄ばむときは水に浮いてはいない。歩いてる。
十五句目。
一むれあくる雁の朝啄
折ふしは塩屋まで来る物もらひ 路通
「物もらひ」は乞胸(ごうみね)とも呼ばれる大道芸人や門付け芸人で、海辺の藻塩を焼く小屋にまでやって来ることもあったのか。人の気配もなく、雁が長閑に餌を啄ばんでいるだけの所に来てもどうかと思うに。
十六句目。
折ふしは塩屋まで来る物もらひ
乱より後は知らぬ年号 芭蕉
京都で「戦後」というと応仁の乱の後のことだとよく冗談に言われるが、この場合の乱もおそらくそれだろう。
都が荒れ果てて商売上がったりの芸人が、仕方なく辺鄙な田舎にまでやって来る。都の情報が入ってこないため、年号が何になったかもわからない。
十七句目。
乱より後は知らぬ年号
猪猿や無下に見残す花のおく 泉川
戦乱の都から避難してきた者が、出家して一人山奥に隠棲する様か。吉野の西行庵を髣髴させる。となると保元・平治の乱の後は知らぬということか。
猪や猿は花を見るでもなく、何事もなく通り過ぎてゆく。そんな山奥で花を見ながらの隠棲生活で、世俗の年号のことももはやわからなくなった。
十八句目。
猪猿や無下に見残す花のおく
雪のふすまをまくる春風 路通
舞台を北国の山奥とし、花の奥にはまだ雪が残っていて、それを春風が少しづつまくってゆく。
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