2018年3月5日月曜日

 今日は久々に土砂降りの雨と強風で、春の嵐だった。
 アカデミー賞が下馬評どおりあの半漁人の映画に決まったようで、ひょっとしてナウシカの影響があるのかなと思った。オームのポジションが半漁人になったような気がする。女=自然=神秘主義、男=人工=科学万能主義といったジェンダーのパターンを引き継いでるように思える。
 去年は『美女と野獣』が流行ったが、西洋的にはこれが出典なのかもしれない。逆のパターンというのはあまりない。美女と野獣なら世の男どもは、「なら俺でもOKかな?」なんて期待を抱いたりするが、美男と野獣女だと世の女たちは嫉妬に怒り狂う。だから、結局化け物の世話は女の仕事になってしまう。
 さて、「水仙は」の巻の続き。

 十三句目。

   餅そなへ置く名月の空
 はらはらと葉広柏の露のをと   泉川

 餅と柏は付き物。前にも書いたが、一六四一年頃には端午の節句の柏餅が定着していたので、元禄二年の時代に餅から柏への連想は自然なものだった。
 とはいえ、これは名月の句なので秋になるから、柏餅は登場しない。そのかわりやがて餅を包むであろう柏の葉に、結んだ露の落ちる音を付けている。
 葉広柏は、

 閨の上に片枝さしおほひ外面なる
     葉広柏に霰降るなり
            能因法師(新古今集)

の用例があるが、普通の柏と何が違うのかはよくわからない。地域によってはナラガシワで代用することは前にも書いたが、それともまた違うのだろうか。

 十四句目。

   はらはらと葉広柏の露のをと
 一むれあくる雁の朝啄     亀仙

 朝露というくらいで、露に朝も付き物。「あくる」は夜が明けることか、それとも間隔を開けることか。「あるく」の間違いだという説もある。確かに、刈り終わった水田の落穂を啄ばむときは水に浮いてはいない。歩いてる。

 十五句目。

   一むれあくる雁の朝啄
 折ふしは塩屋まで来る物もらひ 路通

 「物もらひ」は乞胸(ごうみね)とも呼ばれる大道芸人や門付け芸人で、海辺の藻塩を焼く小屋にまでやって来ることもあったのか。人の気配もなく、雁が長閑に餌を啄ばんでいるだけの所に来てもどうかと思うに。

 十六句目。

   折ふしは塩屋まで来る物もらひ
 乱より後は知らぬ年号     芭蕉

 京都で「戦後」というと応仁の乱の後のことだとよく冗談に言われるが、この場合の乱もおそらくそれだろう。
 都が荒れ果てて商売上がったりの芸人が、仕方なく辺鄙な田舎にまでやって来る。都の情報が入ってこないため、年号が何になったかもわからない。

 十七句目。

   乱より後は知らぬ年号
 猪猿や無下に見残す花のおく  泉川

 戦乱の都から避難してきた者が、出家して一人山奥に隠棲する様か。吉野の西行庵を髣髴させる。となると保元・平治の乱の後は知らぬということか。
 猪や猿は花を見るでもなく、何事もなく通り過ぎてゆく。そんな山奥で花を見ながらの隠棲生活で、世俗の年号のことももはやわからなくなった。

 十八句目。

   猪猿や無下に見残す花のおく
 雪のふすまをまくる春風    路通

 舞台を北国の山奥とし、花の奥にはまだ雪が残っていて、それを春風が少しづつまくってゆく。

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