ようやくネットで森友関係の改竄前の十四の文書を見つけ、読むことができた。
まあ、要するに国有地を払い下げてもらう時に、最初は国会議員や首相夫人に口利きしてもらって、日本会議の理念に基づいた教育を行うとか言って安倍首相の名をちらつかせたりもしたのだろう。
貰い受けたときは適正価格だったが、それが高くて払えないというので後に買い取るという前提での賃貸契約でとりあえず取得するが、その頃からか価格が高いなど言っていたようだ。
そしてひとたび契約してしまうと、そのあと地盤が悪いだとかゴミが埋まっているだとかいろいろ難癖付けて値引き交渉をする。そのときにはもはや国会議員や首相夫人の名は出てこない。ただ、かつてそうした人たちの口利きがあったということで、虎の威を借る狐だったのだろうな。財務省の役人も相当手を焼いたのだろう。結局ほとんどただ同然で国有地を手に入れたというわけだ。その過程がこの文章を読むとよくわかる。
仮に最初から首相の強い意向で学園の用地取得が行われたのなら、一度適正価格で契約してから値切るなんて回りくどいことはしなかっただろう。最初から圧力かけて安く譲り受け、官僚の方がそれを正当化するために地盤が悪いだとかゴミ処理に費用がかかるだとかいう理由付けをするという展開のほうが自然だ。
まあ、そういうわけで、この十四の文章から首相の犯罪を立証することは難しい。だからパヨクは結局改竄そのものの責任問題で政府を追及するしかない。そんなところだろうか。
まあ、風流でない話題はこれくらいにして、昨日の続きに入ろう。
「至于王道衰、礼儀廃、政教失、国異政、家殊俗、而変風変雅作矣。」
(周の王道が衰え、礼儀が廃れ、政教も失われ、国ごとに異なる政治が行なわれ、家ごとに風俗が異なるようになって、変風変雅の作が生じた。)
周の王道の時代というのは、まあ記憶の中で美化された世界で、実際には存在しないユートピアと言ってもいいのだろう。実際の周の時代には、周辺にいろいろな民族がいて、やはりそれぞれの政治形態があり、習俗があり、いろいろな歌があったはずだ。
国によって、時代によって、様々な文化があり、様々な流行があり、様々な音楽があり様々な詩のあるのは常と言ってもいい。
文字のなかった時代は口承で伝達するとしても、もとのテキストとの比較ができないため、記憶が時間が経つと変容するように中身も変容して行き、いくつもの異なるバージョンが生じたりする。
また、人間の旺盛な制作欲は次から次へと新しい作品を生み出すが、それを全部記憶できるわけではないので、新しい作品が流行すれば自然と古いものは忘却されてゆく。
こうして芸術は絶えず流行を繰り返し、変化してゆくのは自然なことだった。不易というのはそれを文字によって記録できるようになってからのことだ。
前に「『去来抄』を読む」という文章の中で述べたことだが、ここで繰り返しておこう。
卜田隆嗣(しめだたかし)の『声の力─ボルネオ島プナンの歌と出すことの美学─』(一九九六、弘文堂)に、こういう話が記されている。
ボルネオ島の中央部に近い、ブラガ川源流地帯に住む、最近まで狩猟採集生活を続けてきた人々の集落の音楽を研究した時の話だが、半年ばかり現地を離れ、日本に戻って、そして再び再調査に言った時、歌っている歌のほとんどが別のものになっていたというのだった。
「彼らはやはり頻繁に歌っていた。ところがそのうたは、半年ほど前に録音して持って帰ったものとは全く違ったものばかりであった。大ざっぱな印象としては、あまり音高の種類は多くなく、音域もせまいという共通した特徴があるのだが、旋律も歌詞も、一つとして完全に同じものがないのだ。歌詞の場合には「うた」に特有の表現がルーチン化して用いられることも少なくないが、しかしそれも比率としては10パーセントに満たない。これにはかなり衝撃を受けた。
この時まで、わたしはまったく無意識のうちに、プナンのうたは有限個のレパートリーから成り立っていて、そこに新しいものが追加されたり古いものが削除されたりしながら、伝承されていくものだ、と信じ込んでいたのである。前回の調査では、伝承の部分にまで立ち入る余裕はなかったので、今回はそのあたりもちょっと突っ込んで調べてみようと思っていたところヘ、いきなりわたし自身が意識していない偏向(バイアス)を指摘されたようなかっこうである。
これは一体どういうことか。プナンにはうたの伝承などまったくないのか。それならうたはどのようにして創り出されるのか。そもそも「うた」とは何なのか。」(『声の力─ボルネオ島プナンの歌と出すことの美学─』卜田隆嗣、一九九六、弘文堂、p.6)
どうやら流行のサイクルが早いのは、我々の社会だけではないようだ。
考えてみれば、これは自然なことだろう。録音機もなければ楽譜もないプナンの人々が、一体どうやって膨大な過去の音楽を記憶することができるだろうか。
彼らに我々と違う特別な能力があるわけでなく、あくまで自身の記憶に頼る限り、そんなに多くのレパートリーを覚えているわけではない。
一方で、人間に正常な創作意欲がある限り、次から次へと新しい曲が生れてくる。そうなれば、古い曲はごく一部を除いて速やかに忘却されてゆくしかない。少なくとも、権力によって覚えることを強要され続けない限り、次から次へと新しいものが生み出され、一時流行し、やがて忘れ去られるというのは普通のことだ。
流行とは、人間のあくなき創作欲と記憶力の限界とによって生じる自然現象である。
風(民謡)も常に流行を繰り返し、変化して止まない。雅の方は文字によって記述されるから風ほど急速に流行と忘却を繰り返すことはないにせよ、やはり長い時間の流れの中では変化してゆく。変風変雅はいつの時代でも自然に起こっていると考えていい。
「国史明乎得失之迹、傷人倫之廃、哀刑政之苛、吟詠情性、以風其上、達於事変、而懐其旧俗者也。」
(歴史を収集する官僚はこれら政治の得失を明らかにし、人倫の廃れるのを傷み、刑政の過酷を哀れみ、情性を吟詠し、以てそれを風刺し、世の事々の変化に通じ、その旧俗を懐かしむのである。)
史書などの編纂に関わる官僚は、先王の時代の理想が失われ、人倫が廃れ、過酷な刑罰が行われている現実に対し、人々の苦しみや悲しみを歌にして風刺し、昔を懐かしむ。
「故変風発乎情、止乎礼義。」
(故に変化して止まぬ諸国の風は情によって発せられ、礼儀によって完成する。)
風はただ無条件に感情を爆発させるようなものではなく、きちんとした形式にまとめ上げられることによって、社会の一定の秩序の中に組み入れることができる。
それはまず第一に非暴力であること。暴動を起すのではなく不満を歌にして歌うことによって非暴力による不満の表現に留めることで、社会の平和を維持することができる。
そして、その言葉はみだりに人を傷つけるような罵声ではないということ。比喩や興などの技巧は物事を婉曲に表現することで言葉を和らげることで、言葉が暴力に変わるのを防ぐ。
歌は感情の発露でありエモだが、それが一定の詩や音楽としての形式を持つことで、裸のままの感情の暴力性を抑えることができる。
「発乎情、民之性也、止乎礼義、先王之沢也。」
(情を発するのは民衆の自然な心であり、それを礼儀によって完成させるのは先王の恩沢である。)
民衆が様々な喜び悲しみ、苦しみ、不満を歌で表現するのは自然なことであり、それを暴力的にならないように一定の形式を与えたのは先王の恩沢だった。
実際には音楽の形式は民衆の中から自然に生まれたものであろう。ただ、それが長く子々孫々に引き継がれ、一つの伝統になったとき、その始祖として先王が仮定される。そして、先王の権威によってその伝統が維持されているということではないかと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿