今日は朝から以上に暖かかったが、春の嵐で朝は雨風が強く、その後も小雨の降ったり止んだりで定まらない天気だった。
北朝鮮にも春は来るのだろうか。できれば雪崩打つような展開を期待したい。
核開発する国に経済制裁が有効だと証明されるなら、今後の核廃絶運動にも希望をもたらすだろう。
では「水仙は」の巻の残りを一気に。
二裏、三十一句目。
しばらく俗に身をかゆる僧
飼立し鳥も頃日見えぬなり 路通
雛から育ててきた鳥も最近見ないな、そういえばあの僧は還俗したんだっけ、さては‥‥
三十二句目。
飼立し鳥も頃日見えぬなり
塘の家を降うづむ雪 泉川
鳥の姿がないのを雪のせいとした。
三十三句目。
塘の家を降うづむ雪
あけぼのは筏の上にたく篝 亀仙
塘(つつみ)の家を漁師の家とした。明け方には篝(かがり)火を焚いて漁をする。
三十四句目。
あけぼのは筏の上にたく篝
あかきかしらを撫る青柳 路通
「筏」の浮かぶ水辺では、春になると柳が美しい。篝火に照らされて赤く照らされた頭を柳の糸が撫でる。春に転じることで花呼び出しになる。「あかきかしら」は酔った人にも取り成せることまで計算しているか。さっ、ここは芭蕉さん、おひとつ‥‥。
三十五句目。
あかきかしらを撫る青柳
華さけり静が舞を形見にて 芭蕉
静(しずか)は静御前で、文治二年(一一八六)四月八日、頼朝に鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられたことはよく知られている。ただ、季節としては卯の花の頃ではあっても桜の季節ではない。
『吾妻鏡』では義経と吉野山で別れたことが記されているが、これは雪の季節。謡曲『二人静』は静御前の舞をドッペルゲンガーのように二人で舞う幻想的な能だが、これも正月七日の若菜摘みの時のことになっている。静御前の死についてはいろいろな伝承があり、終焉の地とされている何箇所かの場所には静桜という桜があるが、これもいつ頃からなのかよくわからない。
それでも静御前の舞には桜の花が似合うといわれれば、誰しもうなづいてしまうところがある。別に本物の静御前の舞を見たわけではなくても、何となくイメージとして華やかで、満開の桜が似合いそうな気がしてしまう。
静御前の舞を形見にして桜の花が咲き、花見に酔いしれる赤い顔を柳の枝が撫でる。花の下では静御前が舞っているかのような幻想を見せる、芭蕉の幻術と言っていいだろう。
ちなみに『義経千本桜』はウィキペディアによれば延享四年(一七四七)初演なので、かなり後のことだ。
挙句
華さけり静が舞を形見にて
うぐひすあそぶ中だちの声 李沓
花の下の舞を祝言(結婚式)の余興としたか。鶯の歌う中、仲人さんの声がする。
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