2018年3月18日日曜日

 今日は平塚の花菜ガーデンへ行き、いろいろな花を見てきた。チューリップ、ヒヤシンス、クロッカス、アネモネ、ムスカリ、水仙、クリスマスローズ、ユキヤナギ、木蓮、ミモザ、花桃、早咲きの桜、いろいろあった。よく見ると土筆も顔を出していた。
 そのあと秦野の水無川沿いのおかめ桜を見に行った。川の両側に植えられた桜の木はまだ若く、寄付した人の名札がかかっていた。これから木が大きくなるのが楽しみだ。
 あたみ桜、河津桜、おかめ桜、染井吉野、八重桜、これで春の桜リレーはほぼ完成といっていいだろう。河津桜は既に人気が出て、あちこちに名所ができた。
 日本は長いこと山桜の時代があり、近代に入ると染井吉野に取って代わられていったが、その染井吉野が今は一斉に老木となり、その前途が心配されていたが、これからは単品ではなく桜リレーの時代になると思う。
 陸上でもスケートでも日本はリレーが強いから、桜もリレーすれば最強だと思う。桜が途切れることなく咲き続ければ、いつでも思いついたときに花見ができる。別に皆が集まらなくても、御一人様(ぼっち)でもかまわない、それがこれからのスタイルになるのではないかと思う。
 昔だって桜の花を見て誰もが浮かれていたわけではない。親族をなくして悲しみの中で桜を見る人もいた。

   またきさらぎ十日をむかへて鉄卵をおもふ興行
 うたてやな桜を見れば咲にけり  鬼貫

 鉄卵の死は前年(元禄二年)の十月十日で、月命日の興行。同族でもあり、伊丹流の時代からの俳諧仲間だった。
 嬉しいはずの桜の開花も、人によっては事情があってそれが悲しくも感じられる。それに共感するのも俳諧の風流だ。共感は人と人とをつなぐ。それは個と個をつなぐことだということも忘れてはならない。人間はみんな一人なんだ、それを理解するのも風流の基本だ。

 鴉啼いてわたしも一人      山頭火
 咳をしても一人         放哉

 これは近代の自由律俳句。
 芭蕉にも、

 月花のなくて酒飲むひとり哉   芭蕉

の句がある。
 平昌オリンピックにつぎ、平昌パラリンピックも終った。メダリストたちは障害者に夢を与えたかもしれないし、ホーキングを引き合いに出すのもいい。でも別にメダリストになれなくても、ホーキングのようになれなくても、障害者が普通に幸せに暮らせる世の中を作ってゆくことが大事だと思う。

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