2018年3月17日土曜日

 今日は東京で染井吉野の開花宣言が出た。ただ、毎年のことだが開花すると急に寒い日が続いたりする。正岡子規も、

 毎年よ彼岸の入に寒いのは   子規

と詠んでいるから、昔からそうだったのだろう。花冷えは長持ちさせる冷蔵庫のような役割なので、そんなに悪いことでもない。あまり暖かいとあっという間に散ってしまう。
 さて、風流についていろいろ考えてきたが、要するに風流は盛んに作られては次々と流行してゆく庶民の間の民謡から来たもので、それは人と人とをつなぐものだった。同じ感情を共有し、それを人を傷つけないような柔らかい表現で広めることで、さらに多くの人の共感を得てゆく。
 こうした歌はしばしば社会の中での不満の声を代弁し、問題解決の糸口にもなって行く。権力者もこれを咎めず、むしろ参考にするべきことが、かつては君子の道として説かれてきた。
 風流は暴力による屈服ではなく、共感によって人の心をつなぐ。それによって「力を入れずして天地をうごかす」道となった。
 風流は上流階級の雅と相互に影響しあうことで「風雅」となり、身分の上下を越えた共感を生み出してゆく。
 俳諧の言葉もまた人を傷つけるような攻撃的な言葉ではなく、あくまで穏やかで婉曲で、時に笑いを交えながらながら、互いに共感できる世界を作り上げてゆく。
 このすばらしい伝統を残してくれたご先祖様に感謝するとともに、今の時代のSNSに反乱する口汚く人を罵る言葉も、少しづつ変わっていってくれるといいと思う。ネトウヨなら伝統を大切にするのはもちろんのこと、パヨクもせっかくの思想をより多くの人に広めようと思うなら、昔の人の心にも学ぶべきであろう。
 ということで一応中締めにしようと思う。

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