今日は暖かかった。近所の梅も河津桜も満開で、まさに春爛漫。こんな日が永遠に続いたらいいなあ、なんて思いながらも昼寝してうだうだと過ごすのであった。
さて、「水仙は」の巻の続き。初裏に入る。
仁といはれてわたる白つゆ
婿入に茶売も己が名を替て 李沓
前句を「白露」から「仁」に名前を変えたという意味に取り成す。
茶売りはここではお茶を売り歩く人という意味ではあるまい。おそらく陰間茶屋の男娼だろう。婿入りが決まってそれまでの源氏名の白露を捨て、仁という名前でこれから生きてゆく。
八句目。
婿入に茶売も己が名を替て
恋に古風の残る奥筋 芭蕉
平安時代の通い婚を想像したのか、夫が妻の家に入り苗字を変えるとした。ただ、芭蕉はまだ奥の細道に旅立つ前なので、陸奥での経験ではない。想像で付けている。
其角も母方の榎本の姓を名乗っていたし、後に宝井姓に改名したが、これは俗姓で、本来の血統を表す姓ではなく、武家の苗字に準じた苗字帯刀を許されない庶民の姓なのだろう。
婿養子に入ると苗字が嫁の姓に変わり、その息子もまた母方の苗字を名乗るのは、日本独自の習慣だったのだろう。
昔の韓国では代理母(シバジ)というのがあって、昔そんな映画のビデオを借りてきて見た記憶があるが、日本人は血統へのこだわりがあまりなく、跡継ぎがいないなら婿をとればいいという発想だった。姓と苗字の違いもそのあたりの血統へのこだわりのなさの反映なのだろう。
日本の「家」は本当の家ではなく擬制だという議論もある。また、日本では孝より忠が優先されるというのも、そのあたりの文化の差だろう。忠臣蔵でも義士たちは忠を優先して家族を捨てる。
九句目。
恋に古風の残る奥筋
めづらしき歌かき付て覚ゆらん 亀仙
遠い陸奥のことだから、今では珍しくなった和歌の贈答など古代の風習が行われているのを知り、その歌を書き付けて覚える。
十句目。
めづらしき歌かき付て覚ゆらん
形(なり)もおかしうそだつ賤(しづ)の子 路通
身分の低いあばら家に住んでいるような貧しい子供が、珍しく和歌に興味を持ち、学ぼうとしている。なかなか殊勝なことだが、上流にあこがれてちぐはぐな格好をしては却って浮いてしまう。
十一句目。
形もおかしうそだつ賤の子
此里に持つたへたる布袴 芭蕉
布袴(ぬのはかま)は「ほうこ」とも読む。布袴(ほうこ)はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」によると、
「1 布製の括(くく)り袴(ばかま)。裾口の括り緒から指貫(さしぬき)の袴ともいう。
2 束帯の表袴(うえのはかま)・大口袴の代わりに指貫・下袴を用いた服装。束帯に次ぐ礼装で、朝儀以外の内々の式などに着用した。」
という。
都落ちした貴族がどこか辺鄙な田舎の里に布袴を伝えたのだろう。その影響を受けて、その土地の子供の着るものがどこかおかしい。
十二句目。
此里に持つたへたる布袴
餅そなへ置く名月の空 李沓
前句の「持(もち)」を受けて、布袴とともに名月に餅を供える習慣も伝わったとする。
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