2018年3月11日日曜日

 一昨日の午後からネット上はパヨク界隈の勝利宣言の歓喜の声で沸き返っている。何があったのかはよくわからないが、ある官僚の自殺に関係があるようだ。
 今日は震災の日なのでさすがに報道の方も控えめで、静かになってたようだ。昨日は東京大空襲の日で、これも忘れてはいけない。
 今日は渋谷のふれあい植物センターに行った。そのあと西郷山公園を散歩したが、河津桜や梅もまだ残っている所にコブシ、アンズ、ユキヤナギなどが咲いていた。道端ではタンポポやスミレも咲いていた。目黒川の桜(染井吉野)のつぼみも膨らんでいた。さて、そろそろ本文に。

 「風流」は今の日本語では江戸時代に形成された日本独自の美意識をあらわすのに用いられているが、芭蕉の時代には「俳諧」と同義で用いられることもあった。中世にまで遡るとこの言葉は庶民の様々な芸能を表すのに用いられていた。
 だが、そもそも風流とは何だったのか、そのあたりのそもそも論をほんの少しやってみようかと思う。(「そもそも」という言葉はコトバンク「大辞林 第三版の解説」に「(物事の)最初。起こり。どだい。」とある。今日では議論する際の基礎や根底を意味する文脈で多く用いられる。)
 風流の「風」は風雅の「風」と同様、『詩経』大序でいう「風」に由来する。

 「上以風化下、下以風刺上、主文而譎諫。言之者無罪、聞之者足以戒。故曰風。」(『詩経』大序」)

 (為政者は詩でもって民衆を風化し、民衆は詩でもって為政者を風刺する。あくまで文によって遠回しに諌める。これを言うものには罪はなく、これを聞くものを戒めることもない。それゆえ風という。)

 中国も共産主義になってからは京劇以外の音楽を禁止したり、現実にはなかなかそうはならなかったものの、「言之者無罪、聞之者足以戒」は中国の政治の本来の理想だった。
 『詩経』はウィキペディアに、

「漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品(韻文)と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。」

とあるように、もともとは音楽の歌詞だったとされている。日本でも「和歌」は「歌」という文字があるように、本来は節を付けて朗々と吟じられるものだった。
 民謡を「風」と呼ぶのは、ケルトの民謡を「エア」と呼ぶのと似ていて面白い。
 『詩経』の序は小序と大序に分けられている。小序の部分は短い。

 「關雎后妃之徳也。風之始也。故用之鄉人焉、用之邦國焉。風、風也、教也、風以動之、教以化之。」

 (「關雎」の詩は妃の徳であり、風の始まりである。天下を風化して夫婦を正したところからそう呼ばれる。それゆえこれを郷の人にこれを用いさせ、国を治めるのに用いる。風はその字の通り「かぜ」だ。教えだ。形のない風でもって国を動かし、その教えでもって郷の人を教化する。)

 この最初の部分は冒頭の「關雎」の詩の解説になっている。これに対し、これに続く部分は詩一般に関するもので、ここを「大序」という。

 「詩者志之所之也。在心為志、發言為詩。情動於中、而形於言。」

 (詩は志すところのものである。心にあるにを志しといい、言葉にして発すれば詩になる。感情が心の中を動き、言葉となって形を表わす。)

 「詩」と「志」の音の一致でもって、詩は志だという。心にある志と言葉に出せば詩になる。志は心の向うことを言い、理知的な意志に限らず、感情や衝動の向う所も含んで広く心の向うことをいう。そのためこのあと「情」という言葉で言い換えられる。
 感情が心の中を動く状態は「志」であり、それが言葉に表れれば「詩」になる。

 「言之不足、故嗟嘆之。嗟嘆之不足、故永歌之。永歌之不足、不知手之舞之、足之蹈之也。」

 (言うだけでは足りなくて叫ぶ。叫んでも足りなくて歌う。歌っても足りなくて手は舞い、足はステップを踏む。)

 言葉は叫びになり、叫びは歌になる。それがさらにダンスにまで発展する。こうして詩は単なる言葉だけのものにとどまらず、音楽やダンスを含んだ「風」に発展する。「風流」という言葉が様々な芸能を表すのは、「風」の概念が詩だけにとどまらない芸能全般に及ぶ概念だからだ。

 「情發於聲、聲成文。謂之音、治世之音、安以楽。其政和。乱世之音、怨以怒。其政乖。亡国之音、哀以思。其民困。」

(感情は声によって発せられ、声は文章となる。これを音という。良く治まった世の中の音は安らかで楽しい。その政策が平和だからだ。乱世の音は怨みがこもって怒っている。その政策が民衆から乖離しているからだ。亡国の音は悲しくて思い詰めた調子だ。それは民衆が困窮しているからだ。)

 感情が声になった詩文は、政治がうまくいっているかうまくいってないかを反映する。

 「故正得失、動天地、感鬼神、莫近於詩。」

 (故に政治の得失を正し、天地を動かし、鬼神を感応させること詩にまさるものはない。)

 民衆の歌う詩はこうした世論の動向を知る上で重要な指標であり、これを元に政策を修正しなくてはならない。それゆえ、詩は天地を動かし、鬼神を感応させる。
 「動天地、感鬼神(天地を動かし、鬼神を感応させる)」の部分は古今集仮名序の、

 「力をもいれずして、あめつちを動かし、目に見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなの仲をもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは、歌なり。」

に受け継がれている。

 「先王以是経夫婦、成孝敬、厚人倫、美教化、移風易俗。」

 (先王はこうした詩の持つ力でもって夫婦の道を表し、孝敬の習慣を作り上げ、人々を仲良くさせ、教化を美しいものとし、風を変えることで俗を変えてきた。)

 小序の「關雎」の詩は夫婦の道を正すための最初のもので、これを皮切りに先王は詩を用いて民を教化し、国を治めてきた。その「關雎」の詩はこういうものだった。

   關雎
 關關雎鳩 在河之洲
 窈窕淑女 君子好逑

 參差荇菜 左右流之
 窈窕淑女 寤寐求之

 求之不得 寤寐思服
 悠哉悠哉 輾轉反側

 參差荇菜 左右采之
 窈窕淑女 琴瑟友之

 參差荇菜 左右芼之
 窈窕淑女 鍾鼓樂之

 盛んに鳴き交わすミサゴが住んでいる川の中州
 奥ゆかしい淑女は君子が妻にと探す

 水に浮く大小のアサザは左右に流る
 奥ゆかしい淑女を寝ても醒めても欲しがる

 欲しくても手に入らず寝ても醒めても思い悩み
 苦しいよ苦しいよとのた打ち回るばかり

 水に浮く大小のアサザは左右に流る
 奥ゆかしい淑女は琴(きん)や瑟(しつ)を抱く

 水に浮く大小のアサザは左右に流る
 奥ゆかしい淑女に鉦や太鼓を叩いて絡む

 ミサゴは河辺に住み、空中でホバリングしては急降下して魚を捕らえる。英語ではオスプレイという。古代中国では夫婦仲の良い鳥ということで、今でいうオシドリのようなイメージがあったのだろう。
 アサザは睡蓮に似ていて、葉を水に浮かべ、水が流れると左右に動く。そこから浮かれた、落ち着かないというイメージがあったのだろう。
 ミサゴの夫婦仲のよさからよき妻を求める君子を想起させ、アサザの揺れに恋の悩みを重ねる。こうした景物から情を言い興す手法を「興(きょう)」と言う。
 こうした手法はJポップの作詞でもしばしば用いられる。庭に揺れるコスモスの花から老いた父母の優しさを言い興したり、サトウキビ畑をざわわざわわと吹く風から、戦争の迫る風雲急を連想させたり、こういう例はたくさんある。
 そしてこの恋の苦しみをどうすればいいのかというときに、レイプや略奪などという暴力的な手段に出るのではなく、しとやかな淑女の弾く琴の音に、太鼓をたたいて伴奏してやればいい、と説く。
 おそらく古代の歌垣(うたがき)の習慣から発想されたものだろう。古くは歌の掛け合いに始まり、ともに楽器を演奏する方向に発展していったのだろう。いつ始まったとも知れないこの古い平和的な習慣を、先王の道と呼んでいたのだろう。
 音楽で口説くというやり方は、日本の平安貴族も盛んに用いたが、それ以前に万葉の時代の旋頭歌の交換にはじまる和歌の贈答も盛んに行われた。(続く)

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