今日は夕方から雨になった。しばらく降るようだ。
上島鬼貫は伊丹の造り酒屋の三男だと言われているが、一方で藤原秀衡を先祖に持つ武士で、後に三池藩に仕官している。
そうなると、姓は藤原で、苗字は上島ということになる。そのほかに油屋という屋号もある。本名は藤原宗邇(ふじわらのむねちか)。
天和の頃は伊丹流長発句をはやらせた。上島青人(あおんど)、上島鉄卵はこの頃のメンバーで、一族と思われる。
さて、この、
うたてやな桜を見れば咲にけり 鬼貫
の句だが、この句を発句に鉄卵追善の五十韻が始まる。
「うたてやな」は謡曲に用いられる言葉で、ぐぐると謡曲『隅田川』の一節が出てくる。そのほかに謡曲『敦盛』にも、
ワキ:不思議やな鳬鐘を鳴らし法事をなして。まどろむ隙もなきところに。
敦盛の来たり給うぞや。さては夢にてあるやらん
シテ:何しに夢にてあるべきぞ。現の因果を晴らさんために。これまで現れ 来たりたり
ワキ:うたてやな一念弥陀仏即滅無量の。罪障を晴らさん称名の。法事を絶 えせず弔う功力に。何の因果は荒磯海の
というふうに用いられている。
謡曲の言葉は全国共通の言葉なので、どの地方の人にもわかりやすいということで、談林俳諧から蕉風確立期にかけてしばしば用いられた。
あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁 芭蕉(延宝五年)
の「あら何ともなや」は謡曲『船弁慶』、
あな無残やな甲の下のきりぎりす 芭蕉(元禄二年)
の「あな無残やな」は謡曲『実盛』で用いられている。この句は後に『奥の細道』に載せる時には「あな」をカットして単に「無残やな」としている。
「うたてやな」は悪い事態に対してあきらめのこもった文脈で主に用いられ、困ったもんだ、やなものだ、というような意味になる。
鉄卵の月命日だというのに、よりによってこんな日に桜が開花して、どうしていいものやら、と悲しむに悲しめず喜ぶに喜べない状態を表して言っているといってよいだろう。
これに対し才麿が脇を付ける。
うたてやな桜を見れば咲にけり
月のおぼろは物たらぬ色 才麿
前句の心を受けて、せっかく桜に十日の朧月が出て、夜もやや明るく桜を照らし出し、風情もあるというのに、ここに鉄卵がいないことを思うと物足りない気持ちです、と和す。
第三は来山が付ける。
月のおぼろは物たらぬ色
酒盛の跡も春なる夕にて 来山
ここで発句の鉄卵追悼の気持ちを断ち切り、何で月の朧が物足りないか、別の理由を考える。
蘇軾の『春夜』に「春宵一刻直千金」とあるが、その日は早く仕事も終わり、早めの酒宴となってしまったのだろう。せっかくの春の宵なのに、みんなとっくに酔いつぶれて、そりゃ確かに物足りない。
四句目。
酒盛の跡も春なる夕にて
名に聞ふれし浦の網主 補天
「網主」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」によれば、
「網主はアミモトとも呼ばれ,漁労経営者で,網子はアンゴ,オゴとも呼ばれ,網主に労力を提供する労働者。網主と網子の関係はきわめて封建的,徒弟的で,網主が網子の生活全般を援助する代りに,漁獲はすべて網主のものになり,しかも世襲的に何代も続く場合がある。」
だという。たくさんの網子を主従関係で従えている偉い人のようだ。当然網主の名前は近隣にも鳴り響いていることだろう。大漁ともなれば昼からでも盛大に酒宴を催し、夕方には酒宴もお開きになる。
補天は大阪の来山の門人で、賀子編の『蓮実』に、
水仙やせまくて広き花に勢 補天
の句がある。
五句目。
名に聞ふれし浦の網主
五月雨に預てとをるきみが駒 瓠界
「五月雨にきみが駒を預けて通る」の倒置。誰に預けたかというと、それが前句の網主になる。「きみが駒」は単に主人の駒という程度の意味か。
瓠界(こかい)も大阪の人で、宗因の門下。賀子編の『蓮実』に、
芭蕉葉や誰ぞ手をひろげたるやうに 瓠界
の句がある。
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