今日は寒さが戻ってきた。一日どんよりと曇っていた。
それでは「水仙は」の巻の続き。
二十三句目。
いはぬおもひのしるる溜息
元ゆひのほつれてかかる衣かつぎ 路通
「元ゆひ」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」には、
「髪の根を結い束ねるのに用いる紐(ひも)のこと。「もっとい」ともいう。平安時代の垂髪に用いたことが絵巻物でみられるが、身分の低い者は、髪の乱れを防ぐ意味から用いていた。古くは糸やこよりを用いた。垂髪が髷(まげ)をつくる髪形に転じてから、こよりにさまざまの変化を生じ、幅の広い平(ひら)元結は髪飾りとして用いられた。」
とある。
「衣かつぎ」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、
「平安時代ごろから、上流の婦人が外出するとき、顔を隠すために衣をかぶったこと。またその衣や、それをかぶった女性。中世以降は単衣(ひとえ)の小袖(こそで)を頭からかぶり、両手で支えて持った。」
画像で見ると顔を隠すというよりは髪の毛を隠すような形で、日除けの意味もあったのだろう。覆面ではない。
一句は前句の溜息をつく女性の外見を描写しただけともいえる。二句合わせて恋になる。
二十四句目。
元ゆひのほつれてかかる衣かつぎ
人のなさけをほたに柴かく 芭蕉
「ほた(榾)」は古語辞典には「燃料となる木の株や朽ち木」とある。
元結のほつれた女性を何か分けありと見て、田舎の住人が情けを掛け家に迎え入れ、薪となる榾を探しに柴刈りに行く。
二十五句目。
人のなさけをほたに柴かく
語つつ萩さく秋の悲しさを 亀仙
季節を秋に転じる。秋の夜長を語り明かすほのぼのとした世界。
二十六句目。
語つつ萩さく秋の悲しさを
陀袋さがす木曾の橡の実 路通
この年の前年の秋、芭蕉は越人と荷兮の使わした奴僕と六十斗(むそぢばかり)の道心の僧とともに姨捨山の月を見に行き、そこで、
木曾のとち浮世の人のみやげ哉 芭蕉
の句を詠んでいる。この橡の実は荷兮への土産で、三月に出版される『阿羅野』には、
木曽の月みてくる人の、みやげにとて杼(とち)の
実ひとつおくらる。年の暮迄(くれまで)うしなはず、
かざりにやせむとて
としのくれ杼の実一つころころと 荷兮
の句が掲載されている。
路通も芭蕉が荷兮に橡の実をお土産に持って帰った話を知っていて、その情景を付けたのであろう。楽屋落ちという感じもする。『阿羅野』が公刊された後なら、ああそういうことかとわかる。
二十七句目。
陀袋さがす木曾の橡の実
月の宿亭主盃持いでよ 芭蕉
『更科紀行』に、
「いでや月のあるじに酒振(ふる)まはんといへば、さかづき持出(もちいで)たり。よのつねに一めぐりもおほきに見えて、ふつつかなる蒔絵をしたり。」
とあるが、この文章がいつ頃書かれたのかはよくわからない。ただ路通の句に、実際に姨捨の宿に泊った時のことを思い出して付けたのだろう。こういうふうに実体験を句にすることは珍しい。近代の連句ではどうか知らないが。
いずれにせよ、この句は芭蕉の体験としてではなく、あくまで前句と合わせてこの句がどういう意味を持つかが重要で、橡の実はかつて食用にされていたので、酒の肴にしようと頭陀袋の中に「確か橡の実があったな」と探す場面とした方がいいだろう。
もちろんここでは土産に拾った橡の実ではなく、木曾産のしっかりあく抜きした橡の実であろう。
二十八句目。
月の宿亭主盃持いでよ
朽たる舟のそこ作りけり 李沓
朽ちた舟の底を直して浮かべるようにしたので、盃を持ってきてくれ、舟の上で飲もう、ということだろう。
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