暖かい日が続いている。月も大分丸くなった。今はどこも夜は明るいが、昔だったら月の明かりだけの真っ暗闇で、そんななか幽かに見える桜が本当の夜桜だったんだろうな。
では「うたてやな」の巻の続き。
三十九句目。
人は火をけし火をともしけり
げぢげぢに妹がくろ髪からるるな 才麿
漫画なんかでよく科学者が出てきて、ボンと試験管が爆発すると、髪の毛が‥‥なんて場面を思い浮かべてしまうが、火も使い方を誤ると髪を焦がす。
『元禄俳諧集』新日本古典文学大系71の註には『和漢三才図会』の「按蚰蜒有毒如舐頭髮則毛脱昔以梶原景時比蚰蜒言動則入讒於耳爲害也」が引用されている。「按ずるに、蚰蜒毒有る如し、頭髮を舐(ね)ぶれば則毛脱る。」そのあとに「昔、梶原景時を以て蚰蜒に比す。言動則ち讒を耳に入れて害を為せば也。」と続く。梶原景時はウィキペディアによれば、「源義経と対立し頼朝に讒言して死に追いやった『大悪人』と古くから評せられている」とある。
じっさいにゲジゲジの毒で禿げることはないが、禿げるとゲジゲジに舐められたんだろうと言われたりしたのだろう。実際は火のせいでも、会話では敢えてからかってそう言うのはよくあることだ。
四十句目。
げぢげぢに妹がくろ髪からるるな
こひともいはず死果しよし 来山
愛しい男は結局打ち明けることもなく、何もないまま死んでしまった。前句の「くろ髪からるるな」を、出家したりするなよ、という意味に取り成す。
四十一句目。
こひともいはず死果しよし
盆池や面を見せぬ藻のうき葉 補天
前句の「こひ」を「鯉」のことにする。「盆池」は「まるいけ」と読む。庭の小さな池のこと。廃墟となって荒れ果てた池には藻がびっしりと茂り、鯉も死んでしまったのだろう。蛙の飛び込む音が聞こえてきそうだ。
四十二句目。
盆池や面を見せぬ藻のうき葉
けふも出がけに揃ふ小比丘尼 瓠界
この小比丘尼は遊女か。当時、熊野比丘尼、浮世比丘尼と呼ばれる遊女がいた。「盆池」は「血盆池地獄」の連想が働き、地獄絵を解説する本来の熊野比丘尼と縁がある。
四十三句目。
けふも出がけに揃ふ小比丘尼
物いはで気の毒の牛が角なるや 鬼貫
「牛の角を蜂が刺す」という諺は何も感じないことの例え。春を売る小比丘尼たちの物一つ言わない姿は、きゃっきゃと騒ぐ普通の娘たちと違って気の毒で、辛いことが多すぎて感覚が麻痺してしまったのだろうかと心配する。このあたりが鬼貫の「誠」か。今の援交少女にも通じるものがある。
四十四句目。
物いはで気の毒の牛が角なるや
築地くぐりし雪の足あと 万海
築地(ついじ)は屋敷の周囲にめぐらす屋根を瓦で葺いた土塀で、そこから転じて築地のある屋敷に住む公卿や堂上方をも意味する。
築地をめぐらした公卿の屋敷の門をくぐる牛車の牛が、雪の降る中でも「もう」とも言わず黙々と歩いてゆくのを気の毒だとする。
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