桜(染井吉野)は散り始めた。満月までは何とか持って欲しい。
春は短くあっという間に去ってゆくから、せめてそれまでは心行くまで酔いしれよう。それが人生の花だ。他に大切なものなんてない。
昔から長いこと人を惑わしているのは、脳内快楽物質が作り出す光の体験だ。神を見ただの、宇宙と一体化しただの、絶対的な真理を体得しただの、悟りを開いただの、真の自我を見つけただの、そんなものはすべて脳内快楽物質の作り出す幻想にすぎない。そんな境地は薬中だって知っている。
一つの世界だの歴史の終焉だの、そんなものに命を賭ける価値もない。いつだって世界はあるがままに混沌としている。
とはいえ、夢に生き夢に死ぬのは昔から人の性なのかもしれない。本当は何もないんだよ。すべてはあるがままで、それ以上のものは何もないんだ。花もあれば月もある。花はくれない柳はみどり、それだけで素晴らしいじゃないか。
まあ、いずれにせよ一度きりの人生、無駄にしないようにね。
それでは「うたてやな」の巻の続き。
三十三句目。
秣をいるる賤に名のらせ
人々をよき酒ぶりにわらはして 瓠界
酒を飲むなら明るく飲みたいものだ。上機嫌で冗談なんか飛ばして、たまたまやってきた秣を背負った客人とも、名前を聞き出してはすぐに兄弟のように仲良くなる。そんなふうに酒を飲みたいものだ。
三十四句目。
人々をよき酒ぶりにわらはして
金乞ウ夜半を春にいひ延 西鶴
年の暮れだろうか、借金を取り立てに来た人に酒を振舞い、笑わせたりして、結局支払いは来年ということになる。西鶴得意の世間胸算用。
三十五句目。
金乞ウ夜半を春にいひ延
どれ見ても一かまへあるお公家たち 万海
江戸時代のお公家さんは石高も低く抑えられていた。一説には公家の九割は三百石以下だったともいう。家の構えは立派だが借金が溜まっている家も結構あったのだろう。
三十六句目。
どれ見ても一かまへあるお公家たち
戸渡る海へ舎利をなげいれ 補天
これは難しい。
『元禄俳諧集』新日本古典文学大系71の註には、「どなたを見ても一構えあるようなお公家たちが、瀬戸を渡る舟から海へ舎利を投げ入れている。」とあるが、実際そのような習慣があったのか、その辺の事情がわからない。
淳和天皇は京都大原野西院に散骨されたというし、藤原行成が母と母方祖父の遺体を火葬して鴨川に散骨したという例はあるようだが、そんなたくさんのお公家さんたちが舎利を海に撒くことがあったのか、よくわからない。
二裏、三十七句目。
戸渡る海へ舎利をなげいれ
雨ねがふ竜の都の例にて 西鶴
『元禄俳諧集』新日本古典文学大系71の註には、『拾遺往生伝』上三十八に「伝教大師が渡唐の際に、持っていた舎利を海中に投じて竜王に与え、悪風を止めさせた」という話があるという。
三十八句目。
雨ねがふ竜の都の例にて
人は火をけし火をともしけり 鬼貫
昔は山の上で盛大な焚き火を行い、竜神を怒らせて雨を降らせようという千把焚(せんばたき)がいたるところで行われていたという。この儀式がどれくらい昔まで遡れるのかはよくわからない。
鉦や太鼓で大きな音を立てて雨乞いするというのが江戸時代には多かったようだが、火を使った雨乞いの儀式があったとしてもおかしくはない。
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