先日も貞門時代の芭蕉(宗房)の句と田氏捨女の句を比較してみたが、今回も句合わせのようにして、両者を比べてみようと思う。
春風に吹き出し笑ふ花もがな 宗房
木のめにもこぼすしおがまや花の顔 捨女
芭蕉の句の良さはシンプルで覚えやすいという所にもある。今で言えばキャッチーということか。「春風に」の句は一読してわかりやすい。
これに対し捨女の「木のめにも」の句は、木の芽の蕾を結ぶさまを塩釜からこぼれた塩に喩え、そこに花の顔の笑ったようなイメージを作り出す。複雑な構成で味わい深いものの、後になって思い出すのはおそらく芭蕉の句のほうだろう。
糸桜こやかへるさの足もつれ 宗房
散行やあともむすばぬいとざくら 捨女
糸桜の「糸」をどう展開させるかというのが、この両句のポイントとなる。
芭蕉は糸桜の立ち去りがたい雰囲気を、糸に足が引っかかりもつれたようだと展開する。芭蕉らしいやや突飛な思い付きで、足のもつれる様は現実味はなく、むしろシュールともいえる。
これに対し捨女は糸なのに散る桜を結び止めてくれないと嘆きに展開する。落ち着いた無難な展開と言えよう。
しばしまもまつやほととぎす千年 宗房
待ほどやみろくの出世ほととぎす 捨女
ホトトギスはその一声を待つことを古来本意とするが、芭蕉はそれを一日千秋の思いに掛けてしばし間も千年と大きく出る。
捨女の句はそのさらに上を行く。弥勒が現れるまでの間、つまり五十六億七千万年。『源氏物語』夕顔巻の「うばそくがおこなふ道」ではないが、「いとこちたし。」
七夕のあはぬこころや雨中天 宗房
女七夕男たなはたつる関か今日の雨 捨女
芭蕉の「雨中天」は「有頂天」に掛けて作られた造語であろう。逢えれば有頂天、逢えなきゃ雨中天、なるほどキャッチーで覚えやすい。
捨女の句は「女七夕男(めたなを)たな」というやや聞きなれない言葉を用いる。「女棚・男棚(めんたな・おんたな)」という牽牛淑女二星の和名で、当時の人はすぐわかったのかもしれない。
その末尾の「たな」を「たなばた」と伸ばし、そこから「はたつる(端つる・隔つる)」を導き出し、関所の景まで添える。かなり手の込んだ重層的な句の作り方をしていて、貞門の技法の一つの頂点ともいえるかもしれない。
ただ、一読してのわかりやすさという点では芭蕉の句のほうが後まで記憶に残りそうだ。
影は天の下てる姫か月のかほ 宗房
俗もこよいいもいして見ん月の顔 捨女
芭蕉の句の「下照姫」は記紀神話に登場する神様の名前で、「夷振(ひなぶり)」と呼ばれる歌を詠んだことから、『古今和歌集』の仮名序に、
「この歌天地の開け始まりける時よりいできにけり。しかあれども世に伝はることは久方の天にしては下照姫に始まり、あらがねの地にしてはすさのをの命よりぞおこりける」
と和歌の起源に結び付けられている。
ただ、ここでは「月の顔」という言葉に掛けて「天の下てる姫」の名を持ち出したにすぎない。
捨女の句は、月の顔を何か神聖なものに喩えてはいるものの、俗の方に重点が置かれている。
俗、いわば一般人も今夜は「いもい(いもひ)」つまり物忌みして月の顔を見よう、という言葉の中には「芋」が隠され、芋名月と掛けている。
ここまで見ても捨女の作風は複雑で重層的な構成にあり、幼少期の伝説の「二の字二の字」の句とはかなりかけ離れている。
芭蕉も当時は貞門のこうした手法を学んではいるが、複雑でありながらもキャッチーでわかりやすい五七五の中に納まるあたりは、やはり貞門の枠に収まらない非凡さではなかったかと思う。
霰まじる帷子雪はこもんかな 宗房
姫松のかたびら雪やだてうすぎ 捨女
帷子雪は牡丹雪のことだが、ここではその「帷子」という名に掛けて、芭蕉は霰が混じれば霰小紋だと洒落てみる。
それに対し捨女は姫松に帷子雪がかかれば、帷子が一重の衣なので伊達の薄着だと洒落てみる。甲乙つけ難し。
全体としてみればやはり捨女の句は貞門の一つの到達点というか完成形のようなものを感じさせるのに対し、芭蕉の句はまだ習作のような、まだ基本を学んでいる段階だが、貞門の複雑な技法を用いながらもそれを感じさせないキャッチーさが、その後の様々な流行の中でもトップを走り続けることのできた要因ではなかったかと思う。
捨女の句は貞門の句として完成されすぎてしまったため、おそらく談林の流行にはついてゆけなかったし、心惹かれるものもなかったのではないかと思う。
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