2018年2月22日木曜日

 今日は新暦で二月二十二日、猫の日。
 これまでも猫の俳諧はいろいろ紹介してきたので、あとはもう、落穂拾いのようなものだ。
 今まで紹介した猫の句は、以下の通り。

発句
 何事ぞぼたんをいかる猫の様   南甫
 牡丹や白金の猫黄金の蝶     蕪村
 北窓に後めたしや猫の恋     万山 「西國曲」
 美尾谷が錣になくや猫の恋    卷耳 「北國曲」
 痩る程恋する猫や夜の雨     貴和 「北國曲」
 猫の恋通ふや犬の鼻の先     重行 「陸奥鵆」
 朧月猫とちぎるや夜の殿     越闌 「正風彦根躰」
 春雨や寝返りもせぬ膝の猫    桃醉 「陸奥鵆」
 若菜摘姿なりけり猫背中     秏登 「皮籠摺」
 あれちらせ上野の梅に猫のこゑ  厚風 「二葉集」
 行春や猫に胡蝶のそで別     正興 「西國曲」
 出代やあとに名残の猫の声    丶嶺 「西國曲」
 うそ眠る猫のつらはる椿かな   一桃 「杜撰集」
 柳されて嵐に猫ヲ釣ル夜哉    木因
 猫の尾の何うれしいぞ春の夢   賢明
 猫逃げて梅ゆすりけり朧月    言水
 ねこの子のくんずほぐれつ胡蝶哉 其角
 猫の妻竃の崩れより通ひけり   芭蕉 「江戸広小路」
 京町のねこ通いけり揚屋町    其角 「焦尾琴」
 うき友にかまれて猫の空ながめ  去来 「猿蓑」
 にくまれてたはれありくや尾切猫 芦本 「皮籠摺」
 懐旧や雨夜ふけ行猫の恋     千那 「鎌倉街道」
 ははき木の我が影法師や猫の恋  斗曲 「北國曲」
 手をあげてうたれぬ猫の夫かな  智月 「卯辰集」
 のら猫の恋ははかなし石つぶて  等年 「西國曲」
 雨だれの水さされてや猫の恋   化光 「北國曲」
 猫の恋やむとき閨の朧月     芭蕉 「をのが光」
 うらやまし思ひ切る時猫の恋   越人 「猿蓑」
 盗して見かぎられけり猫の妻   乙由 「皮籠摺」
 羽二重の膝に飽きてや猫の恋   支考 「東華集」
 傾城の生れかはりか猫の妻    木導 「韻塞」
   五十ばかりの古猫の鼠もとらずなりて、
   常にいろりに鼻さしくべて冬籠りたり、
   なまじい南泉の刀をのがれたるを、身の
   幸にして今年も暮ぬ
 いづれもの猫なで声に年の暮   嵐雪
 猫の妻いかなる君の奪ひ行く   嵐雪の妻
 初霜や猫の毛も立(たつ)台所  楚舟
 凩や盻(またたき)しげき猫の面 八桑
 あら猫のかけ出す軒や冬の月   丈草
   清少納言もよく見て
 木耳(きくらげ)の形むづかしや猫の耳   機石
 懐の猫も夜寒し後の月      秋色
   名所もそこそこに
 猫の居る木は何じややら何じややら 洛茨「花の雲」
 猫の恋初手から鳴きて哀れなり  野坡 「炭俵」
 あたまからないて見せけり猫の恋 枳邑 「二葉集」
 我影や月になを啼猫の恋     探丸 「続猿蓑」
 おもひかねその里たける野猫哉  巳百 「続猿蓑」
 いろいろの声を出しけりたはれ猫 穂音 「一幅半」
 田作りの口で鳴きけり猫の恋   許六
 石磨の音にうかれつ猫の恋    孤松 「幾人主水」
 まとふどな犬ふみつけて猫の恋  芭蕉 「茶のさうし」
 猫の恋のぼりつめてか屋根の音  信昌 「一幅半」
 ふみ分て雪にまよふや猫の恋   千代女
 行衛なき恋に疲や船の猫     擧桃 「花の雲」
 うき恋にたえてや猫の盗喰    支考 「続猿蓑」
 麦めしにやつるゝ恋か猫の妻    芭蕉 「猿蓑」

連句
   月花を糺の宮にかしこまる
 ああらけうとや猫さかり行    丹野 元禄七年「ひらひらと」の巻
   桶もたらいもあたらしき竹輪(たが)
 投うちをはづれて猫の迯あるき  木節 元禄七年「秋ちかき」の巻
   ふらふらふらのすすきふらふら
 くはとその猫にはかえぬ鳥啼て  定當『二葉集』
   よはよはと老母の寝ぬ夜思ひ出
 いつまで猫の死を隠すべき    鬼貫『大悟物狂』
   おなじ夜ねられぬほどにここかしこをめぐりて
 いとど鳴キ猫の竃にねぶる哉   鬼貫『大悟物狂』

 さて、これに付け加えるとすれば、まず、

   窓のほそめに開く歳旦
 我猫に野良猫とをる鳴侘て   芭蕉 元禄二年「水仙は」の巻

 正月の朝、窓を細く開けて外を見るとうちの猫と他所の猫が鳴きながら通り過ぎてゆく。歳旦に猫の恋の訪れを付ける。

   一霞おち来る瀧にかた打て
 猫ざれかかる蝶のむらがり   梅額 元禄二年「とりどりの」の巻

 前句の春の霞の中での滝行の句を、蝶を追っかけているうちに猫が誤って滝に打たれてしまうとした。滝といっても修行用の滝だから、石樋で引いてきた水を修行場に落としているだけのものだろう。

   洗濯にやとはれありく賤が業
 猫のいがみの声もうらめし   景桃丸 元禄三年「半日は」の巻

 「洗濯・クリーニングの教科書」というサイトによると、

 「江戸時代になると「洗濯女」が登場します。大商人の家、裕福な屋敷をもわり、洗濯物を集めては共同の井戸で洗う仕事です。」

 富山県クリーニング生活衛生同業組合のサイトには、

 「室町時代(1338~1573年)に、染物屋である紺屋が営業としてはじめたものである。 顧客は、公卿や幕府に仕える武家やあった。
副業から専業になるのは、江戸時代の元禄(1668~1704年)から、享保(1716~1736)にかけてであり、江戸で洗濯屋が、京都では、紺屋から独立した洗い物屋が出現する。」
 「江戸時代の洗濯屋は洗濯女が2人1組になって、顧客の家へ出かけ灰汁を使った洗濯で木綿を主とする衣料の洗濯をしている。しかし身分の高い武士や豊かな商人の高級衣料は、悉皆屋(しっかいや 染め物や洗い張りをする店)を通して、京都の洗い物屋へ送るのが常であった。」

とある。
 とにかく、芭蕉の時代には既に洗濯を職業とする女性がいたようだ。井戸端で作業をしていると、横で恋するオス猫同士がかち合って喧嘩を始める。おわーーーっ、わーーーーおっ、ってこれがうるさい。

   漸とかきおこされて髪けづり
 猫可愛がる人ぞ恋しき     野坡 元禄七年「五人ぶち」の巻

 髪を結ってもらっている女性。元禄の頃から島田髷が流行し、髪を結う人が増えてきた。貞享の頃の芭蕉の『甲子吟行画巻』の西行谷の芋洗う女は、昔ながらに長い髪を後ろに垂らし、一箇所でまとめるだけだったが、この頃から少しづつ都会を中心に江戸時代特有の髷を結う習慣が浸透してきたのだろう。
 「猫可愛がる人」は『源氏物語』の柏木の俤か。

   急に建ぬる別屋寂しき
 若猫のさわたりありく草の中  可雪 「西國曲」

 家の庭に急遽建てた別屋は寂しい所にあり、あたりは猫がうろうろするほか何もない。ただ草だけが生い茂っている。紫陽花でも咲けば「別屋敷」になるのだが。
 そして今回のおまけは、近代俳句から。

 去勢の猫と去勢せぬ僧春の日に   金子兜太

 猫を去勢するようになったのは、おそらく高度成長期以降であろう。まずは裕福な家で大事に飼われている猫からだったにちがいない。今でこそ地域猫とか言って野良猫を去勢したりするが。
 猫が去勢される一方、お坊さんはすっかり俗化し金儲け主義になっていった。昔も妻帯する僧はいたが、明治五年に「僧侶肉食妻帯蓄髪並ニ法用ノ外ハ一般ノ服着用随意タラシム」となり、僧の妻帯が一般化し、それとともにお寺の経営も世襲に近くなっていった。今でもお寺を継がなくてはいけないからといってミュージシャンが突如引退したりする。
 春の日に恋もせずに子猫のように無邪気にふるまう猫と、色欲に取り付かれる僧の組み合わせは面白い。
 日清紡のCMではないが、近代の俳人は名前ばかりが有名で代表作はと聞かれても答えられない人が多い。金子兜太もその一人で、名前は知ってるけどーー、何の句を詠んだかは知らないーーだが、ネットで検索してこの句を見つけた。
 まあ、また一つ近代俳句が遠くなったなという感じで、ご冥福をお祈りします。

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