2018年2月16日金曜日

 今日は旧正月で韓国の皆さん、中国の皆さん、あけましておめでとうございます。日本人は‥‥関係ないね。
 日本は明治の初期に旧暦での行事が禁止され、ほとんどの行事は新暦に改められた。新暦にすると季節感が狂うからという理由で、七夕やお盆は新暦の一月遅れという妥協策がとられたが、旧暦では行われていない。新暦八月七日の七夕を旧七夕と言ったり、新暦八月十五日のお盆を旧盆と言ったりするが、正確ではない。正しくは月遅れ七夕、月遅れ盆だ。
 韓国では旧正月が連休になったり、秋夕も旧暦で行われ祝日になっているから、韓国のほうが伝統が生きているのだろう。日本は西洋かぶれの長州の連中に自己植民地化されたから、韓国や中国以上に徹底的に伝統が破壊されてきた。
 韓国の創氏改名は昭和十四年だが、日本では明治四年に姓尸(セイシ)不称令が出されて、姓を名乗ることが禁止されたことはあまり知られていない。以後明治八年に平民苗字必称義務令が出され、西洋に倣って夫婦同姓の「苗字」を名乗らねばならなくなり、苗字のことを「姓」だとか「氏」だとか呼ばせて、日本に本来苗字とは別に「姓」があったことを忘却させた。このことを知る日本人は少ない。結局韓国人の姓は残ったが日本人の姓はほぼ消滅した。筆者も自分の姓は知らない。
 日本の右翼は勉強しないから、夫婦同姓が日本の昔からの伝統だと信じ込んでいる。愚かなことだ。
 おもえば、日本の侵略戦争も去年の三月十五日の日記に書いたが、長州藩士の吉田松陰が言い出したことだった。日本は長いこと長州藩士とその後継者や長州崇拝者によって自己植民地化され、日本の伝統文化が破壊され続けてきた。連歌も俳諧も「愚なるもの」の一言で片付けられ、近代文学から長いこと排除されてきた。
 日本の文化人の評価した伝統文化は西洋人が評価したものだけだった。そんな日本も、文化人がいかに日本の文化伝統をこき下ろそうとも、庶民文化の中で伝統は形を変えて受け継がれている。いわゆる「文学」とか「芸術」とか呼ばれることの少ない大衆文芸の中で。
 芭蕉の俳諧は今日の芸人たちのお笑い芸に引き継がれているし、絵巻や俳画や浮世絵は漫画に引き継がれ、伝統音楽は今日のビジュアル系の音楽の中に息づいている。そして日本の本当の伝統の復興はまさにこれからだと思っている。
 我々日本人も伝統を大切にしていきたい。そして韓国や中国の人も伝統を大事にしていって欲しい。平昌オリンピックの開会式に出てきた五人の子供の未来の中にも、韓国の伝統の継承というのがあっても良かったなと思う。日本人だったら宮大工や刀鍛冶になるという未来があってもいいように。伝統分野とAIが結びつけば怖いものはないと思う。
 『卯辰集』に、

 曙の惜しや春たつ蝦夷が島  勤文

という句がある。曙の惜しや日本の旧正月。

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