ようやくあちらこちらで梅が咲いているのを見るようになった。今日はやや暖かく、夕暮れには三日月(正確には五日の月)がぽっかりと浮かんでいた。
こうなると思い出すのが、
春もやや気色ととのふ月と梅 芭蕉
の句だ。元禄六年の春の句で、『続猿蓑』にも収録されている。木因宛ての書簡には正月廿日という日付がある。この句には真跡自画賛もあり、そこには右側に丸い月の上半分が描かれ、左下から梅の枝が伸びて、その上に句が書かれている。
梅に朧月という情景は綺麗だけど特に新しいというものではない。むしろあまりにもベタだから、「やや気色ととのふ」とはぐらかした感じが面白い。これぞこれ春の景色は月と梅、では俳諧にならない。春には桜もあれば他にも目出度く華やかな景色を彩ってくれるものはたくさんある。その中では月に梅も「やや景色ととのふ」程度とする所が俳諧になる。
月に照らし出される梅は目には幽かにしか見えなくて、それだけに香りが際立つ。月もまた朧に霞んでいる。梅は春の初めに咲くことから、時期的にも、「やや春らしくなったな」という時に咲く。
この年の歳旦には、
年々や猿に着せたる猿の面 芭蕉
の句を詠んでいる。梅に月という使い古されたテーマでも、「やや景色ととのふ」という口語的な言い回しで新しいお面を被せて新しい句に作り上げる、それはまさに「猿に着せたる猿の面」だろう。
同じ年の春に、
蒟蒻のさしみもすこし梅の花 芭蕉
これは追悼句だという。精進料理の蒟蒻の刺身を亡き人に供え、そこに梅の花を添える。古今集の、
あるじ身まかりにける人の家の梅の花をみてよめる
色もかもむかしのこさににほへども
うへけん人のかげぞこひしき
紀貫之
の古歌に「蒟蒻のさしみ」という新味のお面を被せている。
古典の本意本情の不易に新味のお面を追加する。それが芭蕉の句の基本でもある。
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