一昨日から昨日にかけての雪はたいしたことなくてすんだ。
今日は節分で、一応豆まきをして恵方巻を食べた。世間では恵方巻の大暴落が伝えられている。確かにあれは最近になって大阪の海苔業界とセブンイレブンの陰謀で作られた行事だが、それを言えば初詣は電鉄会社の陰謀だし、ハローウィンのお菓子配りもアメリカの製菓会社の陰謀だし、行事なんてのは最初はたいした意味のなかったものが、後付でいろいろと理由が付けられてできてくようなところはある。
トカラ列島の宝島に油が流れ着いているという。一ヶ月近くも前の(一月六日の)タンカー事故が今になって何だかとんでもないことになっているような。
それでは「日の春を」の巻の続き。
五十九句目。
親と碁をうつ昼のつれづれ
餅作る奈良の広葉を打合セ 枳風
「奈良」とあるが「楢」であろう。「楢の広葉」は古歌に用例がある。
朝戸あけて見るぞさびしき片岡の
楢のひろ葉にふれる白雪
源経信(千載集)
ただ、ここでは餅に巻く楢の葉のことで、柏餅を楢柏で代用することもあったようだ。「木花-World」というサイトには、「奈良県内にはカシワは少なく、ナラガシワで柏餅を作るそうです。」とある。
カシワの葉は新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから、子孫繁栄を表わすといわれていて、前句の「親と碁をうつ」という親子仲睦ましい雰囲気を受けている。
柏餅はもとは葉を食器代わりに用いていた時代に、強飯や餅を木の葉の上に乗せたところからきたと思われる。Mengryというサイトによれば、
「江戸時代に俳人として有名だった齋藤徳元がまとめた書物「拝諧初学抄」において、1641年のものには5月の季語として「柏餅」が記載されていませんでした。
ところが、1661年から1673年にかけて成立した「酒餅論(しゅべいろん)」では、5月の季語として柏餅が紹介されていたからです。
そのため、柏餅が端午の節句の食物として定着したのは、1641年以降だと考えられます。」
だそうで、これだと芭蕉の時代には既に端午の節句の桜餅が定着していたことになる。あるいは「柏餅」という季語を避けるために「楢の葉」としたのかもしれない。
齋藤徳元については2017年11月21日の日記でもちょこっと触れている。貞門の俳人で、あの斎藤道三の曾孫で、織田信長、織田秀信に仕え、徳川の世になって江戸の市井の人となり和歌の教師をやっていた。
六十句目。
餅作る奈良の広葉を打合セ
贅に買るる秋の心は 芭蕉
「贅(にへ)」は古語辞典によれば「古く、新穀を神などに供え、感謝の意をあらわした行事」とあり、「新穀(にひ)」と同根だという。それが拡張されて朝廷への捧げものや贈り物にもなっていった。
前句の「餅作る」を端午の節句の柏餅ではなく神に供える新穀とし、「奈良」を楢ではなく文字通りに奈良の都とする。「広葉を打合セ」を捨てて、奈良で餅を作り新穀として献上するために買われてゆくのを「秋の心」だなあ、と結ぶ。
六十一句目。
贅に買るる秋の心は
鹿の音を物いはぬ人も聞つらめ 朱絃
秋の心といえば鹿の声。わかりやすい。
六十二句目。
鹿の音を物いはぬ人も聞つらめ
にくき男の鼾すむ月 不卜
鹿の妻問う声の切なさをアンタにも聞いてもらいたいものだ。鼾かいて寝やがって、と恋に転じる。「月」は放り込み。
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