今日たまたま仕事で熱海の方へ行ったが、桜が咲いていた。河津桜がもう咲いているのかと思ったら、「あたみ桜」という河津桜よりも早咲きの種類だという。
今年はどこの梅も遅いらしい。河津桜も遅れているという。日本も寒いが平昌はもっと寒いんだろうな。暖房が壊れてたりバスは来なかったり、日本選手には殊更寒そうだ。まあ、アメリカ映画でもそうだが、ハンディを背負ってもそれでも勝つというのが最高にかっこいい。期待しよう。
それでは「日の春を」の巻の続き。
七十五句目。
萩さし出す長がつれあひ
問し時露と禿に名を付て 千春
「禿(かむろ)」はウィキペディアに、
「禿(かむろ、かぶろ)は遊女見習いの幼女をさす普通名詞。
本来はおかっぱの髪型からつけられた名であるが、時代と共に髪を結うようになってからも、遊郭に住み込む幼女のことをかむろと呼んだ。7 - 8歳頃に遊郭に売られてきた女子や、遊女の産んだ娘が該当する。最上級の太夫や、または花魁と呼ばれた高級女郎の下について、身のまわりの世話をしながら、遊女としてのあり方などを学んだ。」
とある。
前句の長を遊女のこととし、その連れ合いのかむろの名前を聞かれた時、咄嗟に「露」と答えて、その場の名前とした。まあ、「露(仮)」といったところか。『伊勢物語』の、
白玉か何ぞと人の問ひしとき
露と答へて消えなましものを
在原業平
の歌を踏まえて遊女が洒落てみたもので、元歌の意味と何の関係もないので、本歌や本説ではない。
七十六句目。
問し時露と禿に名を付て
心なからん世は蝉のから 朱絃
この付け句だと、前句と合わせて『伊勢物語』の本説となる。
本説をとる場合、元ネタと少し変えなくてはならない。変えなければただのパクリだ。
遊女はかむろを連れて逃げたもののかむろは連れ戻されてしまう。そこでなんと心無い世の中だ、まるで蝉の抜け殻のようだ、と結ぶ。
「蝉のから」は空蝉ともいう。
七十七句目。
心なからん世は蝉のから
三度ふむよし野の桜芳野山 仙化
花の定座なので、前句の心に違えて心ある芳野山を出す。ただ、通常は「花」という文字を入れなくてはいけない。
これより後の元禄三年の秋、『猿蓑』にも収録された「灰汁桶の」の巻の興行の時、去来は芭蕉に、この花の定座は桜に変えようかと提案する。このときのことは『去来抄』に記されている。
「卯七曰、猿みのに、花を桜にかへらるるはいかに。
去来曰、此時予花を桜にかへんといふ。先師曰、故はいかに。去来曰、凡花は桜にあらずといへる、一通りはする事にて、花婿茶の出はな抔も、はなやかなるによる。はなやかなりと云ふも據(よるところ)有り。必竟花はさく節をのがるまじと思ひ侍る也。先師曰、さればよ、古は四本の内一本は桜也。汝がいふ所もゆひなきにあらず。兎もかくも作すべし。されど尋常の桜に替たるは詮なし。糸桜一はひと句主我まま也と笑ひ給ひけり。」 (岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,54~55)
「四本の内一本は桜」という規則はいつ頃の何によるのかはよくわからない。連歌の式目『応安新式』では花は一座三句で、似せ物の花(比喩としての花)を入れて四句になっている。宗祇の時代の『新式今案』では、花は一座四句になる。ただ、ここでは三の懐紙の花を桜にしているから、「四本の内一本は桜」という芭蕉の知っているルールに従っているのであろう。
ちなみの芭蕉の貞門時代の貞徳翁十三回忌追善俳諧「野は雪に」百韻の七十七句目は「一門に逢や病後の花心 一以」で、似せ物の花になっている。談林時代の延宝三年、宗因が江戸に来たときの「いと涼しき」百韻も、九十九句目が「そも是は大師以来の法の花 似春」で、やはり似せ物の花になっている。
「花」は昔は一座三句だったし、一座四句になったといっても四句詠まなくてはいけないというものではない。だから、別に似せ物の花の句を入れなくても違反にはならない。百韻一巻に四花八月というのは式目にはないし、そもそも「定座」自体が式目にはない。戦国時代末期に習慣として定着したものだろう。
三度(みたび)来てもやはり吉野の桜はすばらしく、人を圧倒するものがある。「よしの」を重複させることで、「よしの」が「良し」にかけて用いられることを意識させる。
七十八句目。
三度ふむよし野の桜芳野山
あるじは春か草の崩れ屋 李下
三度目の吉野来訪で、以前尋ねた草庵に行ってみたら空き屋になっていた。高齢でお亡くなりになったのか、あるじはなく、春だけがあるじか、と在原業平の「月やあらぬ」の心を感じさせる。
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