2018年2月5日月曜日

 「こやん」は韓国語で猫のことだが、これはちょうど八十八年のソウルオリンピックの頃に、その後の韓流ブームに先行するような韓国ブームがあり、又ちょうどその頃多言語のラボ活動にはまってたということもあってこんな名前をつけてしまっただけで、少なくとも自分の知る限り先祖に韓国・北朝鮮の国籍の人はもとより、他の外国人もいない。母方は奄美大島だが、まあこれは日本人といっていい。つまり純粋な日本人ということになる。
 ソテジ・ワ・アイドルの「ナン・アラヨ」に韓国のラップに興味を持ち、DEUXや朴善美とかも聞いた。
 その後、音楽の好みがヒップホップからメタルに変わったが、gostwind、gaia、sad legendなど、韓国にはいいバンドがたくさんある。mad fretとdark mirror ov tragedyは実際にライブを見た。アイドルだけが韓流ではないと言いたい。
 「嫌韓」は日本でもほんの一部の人のことだと思うし、多分韓国の「反日」も一部の人だと思う。慰安婦の少女像の前でデモしている人もそんなにたいした人数ではないし、日本の在特会のデモだってたいした人数ではない。その少数の活動を、テレビやネットがあたかも国全体に蔓延する大きな動きであるかのように煽り立てて、結局それが嫌韓・反日のムードを作っているだけなんだと思う。
 日本のいわゆるパヨクが根も葉もない「安倍が侵略戦争を企てている」というデマを流して、それを韓国人が真に受けて北朝鮮よりも日本の方が脅威だなんて思っているなら悲しいことだ。対立を煽っているのが誰なのか、敵を見誤らないようにしたい。
 沖縄の問題でもそうだ。対立を煽っているのは誰なのか、間違えてはいけない。小生も非力ながらアジアの平和を祈っている。
 それでは「日の春を」の巻の続き。

 六十七句目。

   梅はさかりの院々を閉
 二月の蓬莱人もすさめずや  コ斎

 蓬莱山は東の海にある神仙郷で、正月には米を山のように盛り、裏白やユズリハや乾物などを乗せた掛蓬莱を飾った。
 二月に入っても掛蓬莱を飾ることがあったのかどうかはよくわからない。
 ここでは前句の梅を二月(きさらぎ)の蓬莱と呼んだのかもしれない。梅の枝は蓬莱の玉の枝のようでもあり、それを愛でずにお寺の門を閉ざしているのを見て、二月にも蓬莱があるのに心を寄せることがないのだろうか、となる。
 「すさぶ」「すさむ」は心の趣くままにという意味で、「すさめ」はその他動詞形。

 六十八句目。

   二月の蓬莱人もすさめずや
 姉待牛のおそき日の影    芳重

 蓬莱から来る正月様は牛に乗ってやってくる。

 誰が聟ぞ歯朶に餅おふうしの年  芭蕉

は貞享二年、『野ざらし紀行』の旅の途中、故郷の伊賀で正月を迎えたときの句だ。
 二月の牛はそんな正月の牛のように心引かれることもなく、ただ待っている姉の元へゆっくりと歩いて行く。それはまるで遅日の歩みのようだ。

 六十九句目。

   姉待牛のおそき日の影
 胸あはぬ越の縮をおりかねて 芭蕉

 「胸あはぬ」は、

 錦木は立てながらこそ朽ちにけれ
     けふの細布胸合はじとや
               能因法師
 みちのくのけふの細布程せばめ
     胸あひがたき恋もするかな
               源俊頼

などの用例がある。「狭布(けふ)の細布」は幅が細いため、着物にしようとすると胸が合わないところから、逢うことのできない恋に掛けて用いられた。
 「越後縮(えちごちぢみ)」はウィキペディアの「越後上布」の項に、

 「現在では新潟県南魚沼市、小千谷市を中心に生産される、平織の麻織物。古くは魚沼から頚城、古志の地域で広く作られていた。縮織のものは小千谷縮、越後縮と言う。」

とある。「縮織(ちぢみおり)」はコトバンクの「大辞林第三版の解説」によれば、

 「布面に細かい皺(しぼ)を表した織物の総称。特に、緯よこ糸に強撚糸を用いて織り上げたのち、湯に浸してもみ、皺を表したもの。綿・麻・絹などを材料とする。夏用。越後縮・明石縮など。」

だという。
 前句の「牛」から牽牛・織姫の縁で、狭布(けふ)の細布ならぬ越後縮みを折る女性を登場させたのだろう。
 ただ、ここでは胸が合わないのは元々細い布だからではなく、多分皺をつけるときに縮みすぎたのだろう。なかなか思うような幅に織れなくて、牽牛は延々と待たされている。

 七十句目。

   胸あはぬ越の縮をおりかねて
 おもひあらはに菅の刈さし  枳風

 菅(スゲ)は笠や蓑を作るのに用いられる。「刈さし」は刈ろうとしてやめる。女は逢うことのできない恋に縮みを折りかね、男は菅を刈ろうにも手につかづ、思いをあらわにする。相対付け。

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