先日仕事で通り過ぎた熱海へ、今日はあらためて遊びとして花見に行った。
熱海桜はほぼ満開で、桜祭が行われ、たくさんの人が訪れていた。花が下向きに咲くあたり、やはり寒緋桜が入っている。今日は暖かくて春をフライングゲットした気分だった。
熱海梅園の梅もよく咲いていた。韓国庭園があった。森元と金大中がここを訪れたことを記念して作られたものだという。
それでは「日の春を」の巻の続き。
八十七句目。
欅よりきて橋造る秋
信長の治れる代や聞ゆらん 揚水
織田信長は言うまでもなく戦国時代の人で始終戦争に明け暮れ、徳川の太平の世なんて想像もしなかったにちがいない。「らん」はこの場合反語に取った方がいいだろう。今は太平の世で、欅の木を集めて橋を作る。
八十八句目。
信長の治れる代や聞ゆらん
居士とよばるるから国の児 文鱗
信長というと森蘭丸との関係が有名で、バイセクシャルだったとされている。それに信長は中国かぶれで、朝鮮半島から中国全土を征服して中華皇帝になろうとした人だったから、「丸」ではなく「居士」と呼ばれる中国のお稚児さんを囲っていそうだな、ということか。
前句を信長の治めていた時代にこんな噂が聞こえなかっただろうか、と取り成し、中国の稚児を囲っていたという噂を付ける。
今では「居士」というと戒名くらいにしか使われないが、中国の文人などが仏教に傾倒しながらも在家にとどまるものを居士というようになり、コトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」には、
「中国では,唐・宋時代,禅がさかんになるとともに居士と称する人が漸増。龐居士,韓愈,白居易などがよく知られ,明代の《居士分灯録》,清の《居士伝》などの居士伝も選述されている。宋代の字書《祖庭事苑(そていじえん)》は,(1)仕官を求めず,(2)寡欲にして徳を積み,(3)富裕で,(4)道を守りみずから悟ることの4点をあげて,居士の定義としている。」
とある。信長が中華皇帝になっていたら、こうした人たちを稚児として侍らしていたとしてもおかしくない。
八十九句目。
居士とよばるるから国の児
紅に牡丹十里の香を分て 千春
中国の「居士」と呼ばれる文人なら牡丹を十里に渡って植えるようなこともしそうだ。まあ、「白髪三千丈」の国だから実際に十里なくても誇張してそういう詩を書きそうだ。
九十句目。
紅に牡丹十里の香を分て
雲すむ谷に出る湯をきく 峡水
十里の牡丹を花の雲に喩え、そこに湧き出る温泉があるとなれば、まさに極楽極楽。
九十一句目。
雲すむ谷に出る湯をきく
岩ねふみ重き地蔵を荷ひ捨 其角
岩山を地蔵を背負って運んでいたものの、その重さに耐えかねて地蔵は地面に落ちる。すると霊験あらたかにそこから温泉が湧き出てくる。ありがたやありがたや。
九十二句目。
岩ねふみ重き地蔵を荷ひ捨
笑へや三井の若法師ども コ斎
これは「弁慶の引き摺り鐘」を本説にしたものだろうか。
弁慶はその怪力でもって三井寺の鐘を背負って比叡山に持ってゆくが、そこで鐘を撞いてみると「いのー、いのー」と音がし、「いのー」は「去のう」で帰ろうという意味。そこで、「そんなに三井寺へ帰りたいのか」と谷底へ投げ捨てたという伝説が残されている。
本説をとる場合は必ず少し変えなくてはいけないので、ここでは釣鐘ではなく地蔵にする。
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