また寒さが戻ってきたけど、まあ今まで春が来なかったことはないから、すぐに暖かくなるにちがいない。もうすぐ旧正月で俳諧も春になる。
アイスホッケーの次の試合は荒れなけりゃいいな。勝っても一切ガッツポーズなしでお葬式のように引き上げた方がいいんだろうな。浦和レッズの教訓。なぜか日本のマスコミはあちらの味方だから。
では「日の春を」の巻、今日は一気に挙句まで。
名裏、九十三句目。
笑へや三井の若法師ども
逢ぬ恋よしなきやつに返歌して 仙化
女っけのない武家や寺院での男色は半ば公認のものだったが、これもその稚児ネタになる。
とはいえこれはからかわれたのだろうか。いかにも脈の有りそうの和歌を送ってきて、それに返歌して逢いに行っても姿を見せてもくれない。三井寺の若法師たちのせせら笑う声が聞こえてくるようで切ない。
九十四句目。
逢ぬ恋よしなきやつに返歌して
管弦をさます宵は泣るる 芳重
舞台を王朝時代に変え、管弦のあそびも失恋の痛みから少しも楽しむ気分にはなれない。恨みがましい返歌を曲に乗せて歌い上げ、側近などもともに泪したのであろう。『源氏物語』などにあってもよさそうな場面だ。
九十五句目。
管弦をさます宵は泣るる
足引の廬山に泊るさびしさよ 揚水
これは白楽天が廬山尋陽で作詞した『琵琶行』を本説としている。
琵琶行 白楽天
今夜聞君琵琶語 如聴仙楽耳暫明
莫辞更坐弾一曲 為君翻作琵琶行
感我此言良久立 却坐促絃絃転急
凄凄不似向前声 満座重聞皆掩泣
座中泣下誰最多 江州司馬青衫濕
今夜は君が琵琶を弾きながらする物語を聞くとしよう。
仙楽を聴いているようで、耳は少しづつさえてくる。
遠慮しないで坐ってもう一曲弾いてくれ。
君のために「琵琶行」という詩に作り直してあげよう。
私がそういうとしばらく立っていたが、
再び坐り直すと絃を促し、激しくかき鳴らす。
凄凄として今まで聞いたのと違う声となり、
満座は重ねて聞いて、皆涙をおおう。
座中で最もたくさんの涙を滴らせたのは、
江州の司馬であった白楽天自身で、その青衫(せいさん)を濡らした。
元ネタでは琵琶の演奏で盛り上がることになるが、「管弦をさます」というところで若干元ネタと変えていることになる。
九十六句目。
足引の廬山に泊るさびしさよ
千声となふる観音の御名 其角
これは京都の廬山寺のことか。洛陽三十三所観音霊場の三十二番目の霊場となっている。巡礼者の唱える「南無観世音菩薩」の御名が聞こえてきたとしてもおかしくない。
想像上の中国からいきなり京都の街中の現実に引き戻すあたり、さすが其角さんといった展開だ。
九十七句目。
千声となふる観音の御名
舟いくつ涼みながらの川伝い 枳風
熊野詣は本宮と新宮の間を船で行き来する。巡礼者は船の上で観音の御名を唱える。
九十八句目。
舟いくつ涼みながらの川伝い
をなごにまじる松の白鷺 峡水
納涼船を連ねて川を行くと、岸辺には水汲みや洗濯などの女たちの姿がちらほら見え、それに混じって白鷺の姿も見える。
九十九句目。
をなごにまじる松の白鷺
寝筵の七府に契る花匂へ 不卜
『夫木抄』の、
みちのくの十符の菅薦七符には
君を寝させて三符に我が寝む
よみ人知らず
を本歌とする。
『奥の細道』の多賀城へ向う所に「かの画図にまかせてたどり行ば、おくの細道の山際に十苻(とふ)の菅有。今も年々十苻の管菰(すがごも)を調て国守に献ずと云り」とある。十苻の菅は良質で、十苻の菅で編んだ御座はかつて都でも評判だったし、芭蕉の時代でもまだ作られていた。
十符という数字に掛けて七符は君で三符は私と遠慮がちに分け合って添い寝する夫婦を詠んだ歌で、前句の「松の白鷺」を白髪の比喩と見たか、末永く寄り添う夫婦に桜の花よ匂えと祝福する。
挙句。
寝筵の七府に契る花匂へ
連衆くははる春ぞ久しき 挙白
前句の「寝筵」は捨てて、「寝筵の七府に契る」という花も匂ってくれ、こうしてたくさんの連衆が集まって俳諧百韻興行を成し遂げたその春をいつまでも、と締めくくる。
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