田氏捨女について、これまで名前の話しかしてこなかったが、代表作といえばやはり、
雪の朝二の字二の字の下駄の跡 捨女
だろう。数えで六歳の冬だから、今で言う五歳くらいか。
土芳の『三冊子』の「あかさうし」に、「師の詞にも、俳諧は三尺の童にさせよ、初心の句こそたのもしけれなどと、たびたび云ひ出られしも」とあるのを地で行くような句ともいえよう。
捨女は寛永十一年(一六三四年)の生まれで芭蕉より十歳年上になる。今で言う兵庫県丹波市柏原の生まれで、季吟に和歌を習い、俳諧は宮川松堅に学んだという。いずれも貞門の系統にある。蕉門との関わりがあったかどうかはよくわからない。
雪の朝の句は今でこそ忘れられているが、かつては人口に膾炙する句だった。
筆者がこの句を知ったのはまだ小学生の頃、家に置いてあった週刊朝日の(左翼の家庭だから週刊朝日と朝日新聞は普通にあり、たまに朝日ジャーナルもあった)佃公彦の「ほのぼの親子」という漫画だったと思う。
この句を基にしながら、下駄にもう一枚歯を打ちつけて、二の字コの字にして、ニコニコニコとする話だったと思う。今だったら「ニッコニッコニー」にしたいところだ。
かつてのホトトギス系の影響力が強いのか、貞門の句は学校では習わない。これも偏向教育ではないかと思う。俳諧の初期衝動を感じさせるような好句だと思うがいかがだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿