いよいよ平昌オリンピックも始まる。開会式どれが本当かCGか。この頃の技術はよくわからない。大量のドローンのコントロールの技術はおそらくインテルのもので、スーパーボウルでも用いられていたが、それよりもはるかに複雑になって精度の高いものになっている。
伝統の踊りといかにも韓流アイドルといったヒップホップ系のダンスとの間が抜けていて連続しないあたりも、今の韓国文化の状況を象徴している。ちょっと前はラップとパンソリを融合しようなんてのもあったが。
入場行進でのバミューダの人や上半身裸の人、寒い中でアンタは偉い。
南北融和の演出はやはりこれでもかだった。
これが夢に終らず、北朝鮮が早く核放棄して国際社会に復帰することを願い(と、この鈴呂屋俳話も政治的に)「日の春を」の巻の続きを。
名表、七十九句目。
あるじは春か草の崩れ屋
傾城を忘れぬきのふけふことし 文鱗
前句の崩れ屋を遊女に入れ込んだ挙句の果てとした。春を三句続けなくてはいけないので、「けふことし」で無理矢理歳旦の言葉を入れて春にしている。
八十句目。
傾城を忘れぬきのふけふことし
経よみ習ふ声のうつくし 芳重
傾城の遊女もいろいろなことがあったのか、今は出家してお経を読んで日々を過ごすが、そこはかつての傾城の美女。その声はやはり美しい。
八十一句目。
経よみ習ふ声のうつくし
竹深き笋折に駕籠かりて 挙白
竹林の奥深く、筍を掘りに行くとどこからか経を読む美しい声が聞こえてくる。
『竹取物語』の最初の場面を踏まえているのだろう。「駕籠かりて」は「妻の嫗に預けて養はす。美しきことかぎりなし。いと幼ければ籠に入れて養ふ。」からの発想か。ただ、ここではただ読経の声が聞こえただけで、駕籠には筍を載せて持ち帰ったのだろう。
八十二句目。
竹深き笋折に駕籠かりて
梅まだ苦キ匂ひなりけり コ斎
筍を掘る頃は梅もまだ熟してなくて苦い匂いがする。
八十三句目。
梅まだ苦キ匂ひなりけり
村雨に石の灯ふき消ぬ 峡水
前句の「苦き」を捨てて梅の花の匂いとする。石灯籠の火が消えて庭が真っ暗になると雨の匂いの中にかすかに梅の匂いが混じって、それが苦く感じられるということか。
八十四句目。
村雨に石の灯ふき消ぬ
鮑とる夜の沖も静に 仙化
「石の灯」を灯台にして、火が消えたから鮑取る海女も帰ってしまい静かになる。
八十五句目。
鮑とる夜の沖も静に
伊勢を乗ル月に朝日の有がたき 不卜
鮑といえば伊勢。
伊勢の海女の朝な夕なにかづくちふ
鮑の貝の片思ひにして
よみ人知らず(万葉集)
の歌もある。
前句を静かに進む船として、月と朝日に照らされて無事伊勢に辿り着いたことを有り難いという。
八十六句目。
伊勢を乗ル月に朝日の有がたき
欅よりきて橋造る秋 李下
切り出した欅の木を筏にして伊勢まで運び、伊勢神宮に橋を架ける。「秋」は放り込み。
0 件のコメント:
コメントを投稿