今日は松田町の寄(やどりき)ロウバイ園へ蝋梅を見に行った。朝は曇っていて、わずかだが雨が降った。蝋梅は見頃でいい香りがした。
立春だが相変わらず寒い。
それでは「日の春を」の巻の続き。
六十三句目。
にくき男の鼾すむ月
苫の雨袂七里をぬらす覧 李下
「苫」は古語辞典によれば「スゲ・カヤなどの草を編んだ薦(こも)。小屋の屋根・周囲や船の上部などを覆うのに使う。」とある。
「苫」に「ぬらす」とくれば、百人一首でもおなじみの、
秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
わが衣手は露にぬれつつ
天智天皇
の歌が思い浮かぶ。「苫は雨」本当の雨ではなく苫から漏れ落ちる露のことで、涙を象徴する。
にくき男が月のある夜に鼾をかいて寝ていても、我が袖は袂七里を濡らすかのようだと、白髪三千丈的な大げさな表現をする。七里を旅する男の句で、「にくき男」はこの場合恋敵か。
六十四句目。
苫の雨袂七里をぬらす覧
生駒河内の冬の川づら 揚水
生駒山の西側は河内の国、そこを流れる川というと恩智川だろうか。恩智川は小さな川だが、生駒山のほうからたくさんの水が流れ込むため、しばしば氾濫を起こした。
この句は生駒の袂にある河内の冬の川は、雨が降ると七里に渡って氾濫を起こす、という意味か。
三裏、六十五句目。
生駒河内の冬の川づら
水車米つく音はあらしにて 其角
このあたりは米屋が多かったのだろうか。川の水で水車を廻し一斉に精米作業を行う。その音はまるで嵐のようだ、と。
六十六句目。
水車米つく音はあらしにて
梅はさかりの院々を閉 千春
「院」はこの場合僧の住居を兼ねた小寺院のことか。水車の音がうるさくて、せっかく梅の咲いた寺院も閉じて静かな所に行ってしまった、ということか。
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