2018年2月17日土曜日

 学校の歴史の授業では、江戸時代は武士以外は苗字帯刀が禁じられていたと習うが、江戸時代の俳諧師の名前には大抵苗字のようなものがくっついている。
 江戸時代後期に書かれた竹内玄玄一の『俳家奇人談』『続俳家奇人談』は岩波文庫にもなっているので、手に入りやすいが、この目次を見ると、全員に苗字がついているわけではない。しかも本文を読むと、「苗字」という文字は出てこなくて、所々「姓」と記されている。
 一般には江戸時代は既に「姓」と「苗字」が混同されていたとされているが、果してそうだろうか。だったら、なぜ姓と苗字の両方の文字が出てこないのか。むしろ「姓」は本来の源、平、藤原などの限られた姓とは別に、苗字ですらない任意につけられたものを「姓」と呼んでいたのではないかと思われる。
 たとえば、俳諧の祖荒木田守武のところでは、「荒木田」は明らかに苗字なのだが、そこには特に「姓」とも「苗字」とも書かれていない。
 同じく俳諧の祖山崎宗鑑のところには、「本姓支那氏」と書かれている。足利家の家臣だが、支那氏を検索してもなかなか出てこない。ウィキペディアで山崎宗鑑のところを見ると、

 「近江国栗太郡志那村(後の常盤村、現草津市志那町)に生まれ、佐々木義清の裔で志那弥三郎範重と言い、幼少時より室町幕府9代将軍足利義尚に仕え(近習とも祐筆とも)、一休禅師とも親しくよく連れ立って志那に来たと伝えられている。」

とある。
 そしてその後出家し、「山城国(摂津国?)山崎に庵「對月庵」を結び、山崎宗鑑と呼ばれた」とある。
 支那も山崎も地名で、おそらく苗字は佐々木だったものと思われる。苗字とは別に最初の姓(一種の通名)が支那氏、のちに山崎姓に改名したと考えれば納得がいく。
 松永貞徳は戦国大名の松永弾正の親戚で「松永」は苗字だったと思われる。ここには荒木田と同様、姓とも苗字とも書かれていない。
 野々口立圃はウィキペディアによれば、

 「先祖は地下侍といわれる。京都一条に生まれ、父の代に丹波国桑田郡木目村から京へ上り、雛人形を製造・販売していたため、雛屋を称す。」

とあり、『俳家奇人談』には「野々口立圃、初名親重、俗姓雛屋市兵衛」とある。屋号と思われる「雛屋」が俗姓とされている。
 松江重頼はウィキペディアによれば「京都の裕福な撰糸商人」とあり、武士ではなかった。『俳家奇人談』には「松江重頼、俗名大文字屋治右衛門、俳名維舟といふ。」とある。「姓」だったと思われるが特に書いていない。
 ここまで見ると「姓」は屋号も含めた一種の通名としても姓のことを言っていると思われる。
 さて、それでは芭蕉はどうかというと、まず名前を「松尾桃青」と記していて今日のように「松尾芭蕉」とは呼んでいない。「松尾芭蕉」という呼び名がいつ頃から用いられるようになったかは興味深いテーマだが、なかなか調べるのも大変なので今は保留する。
 芭蕉の俳号は桃青で、自らの住居を芭蕉庵と称したことで芭蕉庵桃青となり、自ら句の下に「はせを」と署名するようになった。それに出自を示す松尾の苗字を冠し、松尾桃青になったものと思われる。
 『俳家奇人談』には「松尾忠左衛門は、伊賀上野藤堂何某の近臣なり。」とだけあり「姓」とは記されてない。
 ちなみに伊賀の松尾氏は桓武平氏に端を発する柘植氏の系譜を引くから、芭蕉に本来の意味での姓があったとしたら「平」ではなかったかと思われる。世が世なら平宗房(たいらのむねふさ)になっていたか。
 其角の場合は『俳家奇人談』には「榎本其角」になっているが、「榎本(母方の姓、後改姓宝井)其角は、竹下東順が子也」とあり、途中で改姓している。ここで「姓」は途中で変えられるものだということがわかる。
 『続俳家奇人談』の「谷口蕪村」のところにも、「谷口蕪村は別姓与謝」とある。ウィキペディアには「本姓は谷口、あるいは谷」で、「丹後を歴遊し42歳の頃京都に居を構えた。この頃与謝を名乗るようになる。母親が丹後与謝の出身だから名乗ったという説もあるが定かではない。」とある。蕪村も姓を途中で変えたといっていいだろう。
 ここでいう「姓」が途中で変えられるという性格を持っている以上、やはり本来の姓でも武家の苗字でもない、一種の通名と考えるのが妥当であろう。
 それではこの通名としての「姓」は夫婦同姓だったのかどうかというと、それもよくわからない。女性の俳諧師は姓も苗字も記されていない。唯一の例外が田氏捨女で、「捨女は丹波の国田氏の娘なり」とある。結婚して苗字が変わったなら田氏ではなくなるが、「はたちの春宗族へ嫁して、ほどなく嬛(やもめ)となる。」とある。「宗族」は同じ田氏に嫁いだということなのか、出戻りだから田氏に戻ったのか、よくわからない。
 江戸時代の人の名前というのはなかなか難しい。年齢によっても名前を変えてゆくし、俳号と僧名を使い分けたり、奥が深い。
 近代のような戸籍上の本名というのがなかった時代だと、デスノートにはどの名前を記せばいいのか謎だ。

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