2023年8月9日水曜日

 カクヨム短歌・俳句コンテストに応募した時にアカウントを作ったので、それからそこに投稿された小説を読むようになった。
 読書量が表示され、大体十万字を一冊分と勘定しているので、今のところこれまでの累計が1,432,794字、14冊分になっている。一月ちょっとでこんなに読んでいたのかというくらいの量だ。今までのkindleではせいぜい月四冊か五冊だったから、一気に読書量が増えている。
 まあ、閑な御隠居さんだからということもあるだろうけど、現役世代でも本屋に行く手間もないし、手軽に読めるということで、若い世代は「なろう」や「カクヨム」などの投稿サイトで無料で読むほうが主流になってるのかもしれない。
 これに対し書籍化されたものを紙の本や電子書籍で読む層は、これまでの自分がそうであったように、かなり年齢層が高いのではないかと思う。
 つまりデータに現れるラノベの読者層は書籍化後の読者だからかなり年齢層が高く、データに現れない投稿サイトで直接読む層は、多分お金に余裕のない若者層が中心になっているんではないかと思われる。
 投稿サイトは作家と読者の間にタイムラグがないため、本当に今面白い、今受ける小説が読める。これに対し書籍はタイムラグが大きく、ましてそれがアニメ化される頃には何年も経過することになる。
 小説投稿サイトはかつて俳諧が通ったのと同じ問題が生じる可能性がある。それは柳田國男も指摘してた作者の過剰の問題だ。
 これまでは小説家になろうと思ったら、まずまとまった分量の作品を書き上げて、その原稿を持って出版社を回らなくてはならなかった。そして類稀な幸運によって出版までこぎつけても売れるという保証はないし、売れたとしてもその印税は一年後になる。それまでの長い間食つなぐのは大変なことで、高度成長後はサラリーマンと両立させる人も出てきたが、それ以前まではいわゆる破滅型の人が多かった。それくらい人生のすべてを小説に賭ける覚悟がなければ、小説家なんて志せない時代だった。
 今は違う。スマホでも執筆できるし、パソコンやタブレットを使うにしても今はどこでもできるようになった。(中には原稿用紙に万年筆で書いてから入力してる人もいるが、それは趣味の問題だ。)
 それで毎日一章づつ投稿してゆくだけで、取り合えず人の目には触れることになる。あとはその膨大な数の執筆者の中でいかに抜きんでるかだけの勝負になる。
 この状態ではプロとしての自立は無理だし、二、三冊書籍化できても、とてもではないが印税生活はできない。しかもネット読者が増えれば増える程、書籍全体の売り上げが下がってゆくことになる。
 程なくほとんどの作家が専業では食えない時代が来るのではないかと思われる。
 誰でも小説家になれる時代は、結局小説自体の希少価値を失ってゆくのかもしれない。絵師にしても既にそういう状態なのかもしれない。

 あと「呟き奥の細道」改め「X奥の細道」の五月分を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。

 それでは今日はX奥の細道の続き。

六月十二日

今日は旧暦6月11日で、元禄2年は6月12日。鶴岡。

昨日から時折にわか雨が降る不安定な天気だ。
昨日の俳諧の続き。
芭蕉「畑になった廓の値段は一歩だった。」

  旧の廓は畑に焼ける
金銭の春も壱歩に改り 芭蕉

重行「奈良の都では和同開珎が鋳造され、一歩とされた。出来たばかりの貨幣を投げ打って、帰国した遣唐使が唐で学んだ豆腐の店を開く。」

  金銭の春も壱歩に改り
奈良の都に豆腐始 重行

曾良「奈良の都の冬は寒く、雪の夜はやはり湯豆腐が良いですな。」

  奈良の都に豆腐始
此雪に先あたれとや釜揚て 曾良

芭蕉「湯豆腐に誘ってくれたのは上臈か遊女か。夜着や布団ではなく寝巻き姿という所が艶やか。」

  此雪に先あたれとや釜揚て
寝まきながらのけはひ美し 芭蕉

露丸「遊女は美しくも悲しいもの。筑紫船に乗せられて売られてゆく。」

  寝まきながらのけはひ美し
遥けさは目を泣腫す筑紫船 露丸

曾良「筑紫船を筑紫へ向かう平家の船としましょうか。仲間が一人、また一人討たれてゆく。」

  遥けさは目を泣腫す筑紫船
所々に友をうたせて 曾良

重行「友をうたせては法難で弟子を失った開祖様にしようか。それにも負けずに千日回峰行のための庵を構える。」

  所々に友をうたせて
千日の庵を結ぶ小松原 重行

露丸「修行のための庵なのに、カタツムリを踏んで殺生をしてしまう。」

  千日の庵を結ぶ小松原
蝸牛のからを踏つぶす音 露丸

芭蕉「愛しい人の夢を見たのに、カタツムリを踏んで目を覚ましてしまう。あな疎し。穴を導き出す序詞を付けようか。」

  蝸牛のからを踏つぶす音
身は蟻のあなうと夢や覚すらん 芭蕉

重行「あな疎‥それで蟻と仲良くするんだったら落馬だな。我落ちにきの僧正遍照さんの俳諧歌から女郎花に落ちたとか。」

  身は蟻のあなうと夢や覚すらん
こけて露けきをみなへし花 重行

曾良「月の定座ですね。月に気を取られて転んだことにしましょう。風狂な行脚の僧ですな。」

  こけて露けきをみなへし花
明はつる月を行脚の空に見て 曾良

芭蕉「行脚の僧といえばみちのくの行脚。幾つもの温泉を渡り歩く。」

  明はつる月を行脚の空に見て
温泉かぞふる陸奥の秋風 芭蕉

露丸「ここは能因法師の逆パターンで、秋風にみちのくの温泉に入って、正月の氷室の氷の厚さを模した氷様(ひのためし)を奏す頃には都に戻りたい。」

  温泉かぞふる陸奥の秋風
初雁の比よりおもふ氷様 露丸

曾良「氷室神社の千木は男の神様なのに横そぎの雌千木になってましてな。男の娘でしょうか。横そぎ作る宮ではそのまんまですから、雄とも雌ともつかない山そぎというのは。実は両性具有。」

  初雁の比よりおもふ氷様
山殺作る宮の葺かへ 曾良

重行「男の娘とか両性具有とか、その性壁ついて行けんのう。男勝りの尼さんくらいなら。」

  山殺作る宮の葺かへ
尼衣男にまさる心にて 重行

露丸「尼だけど心は男で、真間の継橋を渡って手古奈に会いにゆくってのはどうかな。」

  尼衣男にまさる心にて
行かよふべき歌のつぎ橋 露丸

芭蕉「歌の継橋だから、ここは歌の道の伝授を受けるということで、古今伝授の三鳥の秘事の一つを。これは春澄も分からなかったからな。」

  行かよふべき歌のつぎ橋
花のとき啼とやらいふ呼子鳥 芭蕉

曾良「どんな声か知りませんが、エコーがかかって輪郭のはっきりしない声が聞こえたら、それがきっと呼子鳥なんでしょう。」

  花のとき啼とやらいふ呼子鳥
艶に曇りし春の山びこ 曾良

六月十三日

今日は旧暦6月12日で、元禄2年は6月13日。鶴岡を出る。

昨日の昼から晴れて、今日はいい天気だ。これから赤川を船で下って酒田へ向かう。
船に乗ろうとしてた時に、羽黒山から飛脚が来て、浴衣2枚と、

忘なよ虹に蝉鳴山の雪 会覚

の発句を送ってきた。

鶴岡から船で下ること七里、赤川は海の近くで最上川に合流すると、その対岸が酒田だ。
途中ちょっとぱらぱらっと来たが、すぐに止んだ。夕日は見えなかった。
酒田の玄順の家に着いたが玄順はいなくて、明日の朝戻るということだった。

六月十四日

今日は旧暦6月13日で、元禄2年は6月14日。酒田。

今日は晴れて暑い。玄順にも会えて、寺島彦助の家に招かれた。
興行になるので発句を用意しないとね。
昨日酒田に作る直前、最上川に出た時に海が見えたっけ。海に入りたる最上川。挨拶だから涼しいと一応褒めて、

涼しさや海に入たる最上川 芭蕉

暑い中、寺島彦助の家で興行をした。俳号は詮道という。玄順の俳号は不玉。それに曾良とあと三人ばかり集まった。発句はさっき作った。

涼しさや海に入たる最上川 芭蕉

詮道「最上川河口はとにかく広くて漠としてのう。明け方そこに満月が沈んで行くと、波がキラキラと光って物憂げで、その憂きに浮き海松をかけて。」

  涼しさや海に入たる最上川
月をゆりなす浪のうきみる 詮道

不玉「んだ。憂きといえば海辺に住む流人か隠遁者で、窓開けて月を見るだ。そしたら鴨がたくさん飛んでて、夏だから黒鴨だ。」

  月をゆりなす浪のうきみる
黒がもの飛行庵の窓明て 不玉

定連「窓を開けて外の天気を見るだ。雨が降りそうでの。」

  黒がもの飛行庵の窓明て
麓は雨にならん雲きれ 定連

曾良「もうすぐ雨が降るというので、外へ出ずに内職ですね。次の市の立つ時のために、この辺りの名産品の樺細工のお盆を作っておくというのはどうでしょう。」

  麓は雨にならん雲きれ
かばとぢの折敷作りて市を待 曾良

任暁「内職といえば夜だの。油の火を頼りに。」

  かばとぢの折敷作りて市を待
影に任する宵の油火 任暁

扇風「前句の影をやってくる男の影として、男を待つ女の不機嫌な恋心にしておこう。」

  影に任する宵の油火
不機嫌の心に重き恋衣 扇風

六月十五日

今日は旧暦6月14日で元禄2年は6月15日。象潟へ。

今日は朝から小雨が降っている。彦助の案内で象潟へ行くんだが、道は大丈夫だろうか。

結局吹浦まで来たが、ここで土砂降りの雨になって、道はドロドロだしここから先は海沿いの細い道になるので、今日はここで一泊することにした。

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