ネットで久しぶりにコロナのデータを検索しようとしてわかったのは、日本も五類意向で五月以降、データの公表が五か月単位になったことと、ジョー・ホプキンス大学のデータが三月九日で停止したことで、以前のような毎日毎日逐一感染者数や死者数がカウントされる時代が終わったのは確かだ。
まあ、ある程度時間が経過して、十分なデータが揃ったなら、今回のコロナの正確な顛末が分ることにはなるだろう。
ただ問題なのはリアルタイムな正確なデータが出回らなくなると、検証不能ということで様々なデマが飛び交う可能性があるということだ。特にこうしたデマは政府のコロナ対策を糾弾する反政府的な活動と結びついたもので、世界的な一連の反ワクデマとはまた違ったものになる。
反政府的デマの特徴は、政府を批判できるという目的のためなら様々な矛盾した主張も厭わないということで、その主張は絶えず変るし、前の主張と完全に矛盾したことを言う場合も多い。
たとえば、初期の比政府が大規模な行動制限をしようとすれば、コロナはたいしたことないのにそれにかこつけて独裁政治をしようとしてる、なんて調子で煽って来る。
そして実際に世界で多くの死者を出すようになると一転して日本のコロナ対策は遅れている、中国のゼロコロナを見習えになってくる。
世界的にコロナが静まってくると、未だに日本だけがコロナをやってるとか言うし、それで日本も五類移行とともに世界の流れに乗って生活を元に戻そうとすると、今度は感染者が急増してるからマスクをしろとか言い出す。
実際多くの人は既にコロナのデータに関心を失っているから、その人たちにはどうでもいいことなんだけどね。どうせいくらコロナの不安を煽っても、今まで通りマスコミは信用を失い、左翼政党は議席を減らすという流れは変わらないとは思うが。
デマは基本的には鍋の理論に陥ることが多い。最近のマイナカードデマもその典型だ。
紙保険証での不正なんて聞いたことがない。
紙保険証がなくなると不正で飯を食ってる人が困る。
(不正があったのを認める)
マイナカードでも不正はできる。
(なら不正で飯食ってる人は困らないじゃないか。)
それでは今日はX奥の細道の続き。
六月二十五日
今日は旧暦6月24日で、元禄2年は6月25日。酒田を出る。
今日も天気は良い。朝から大勢の人が見送りに集まってくれて、最上川河口の船場まで送ってくれた。
対岸が歌枕にもなっている袖の浦だという。
いずれにせよ広大な河口域で海も見えて、ここを船で渡らなくてはならない。
最上川を渡って羽州浜街道をしばらく行くと浜中宿があり、昼過ぎにその次の大山宿に着いた、酒田で紹介された丸屋義左衛門の宿に泊まることにする。
六月二十六日
今日は旧暦6月25日で、元禄2年は6月26日。羽州浜街道。
昨日の夜、雨が降ったが、朝には晴れていた。
大山宿を出てしばらく行くと矢引峠越えの狭くて険しい道になり、三瀬宿に出る。
三瀬宿の先に行くと海に出て、今度は岩の切り立った海岸沿いの狭い道になる。
小波渡を過ぎると鬼架け橋という岩の橋があり、大波渡、堅苔沢を過ぎてしばらく行くと巨大な立岩が見えてくる。どれも絶景だ。
温海宿は立岩からそう遠くなかったが、この辺りでまた雨がぱらついてきた。
鈴木所左衛門の家に泊めてもらう。ここも酒田の宮部弥三郎の紹介によるものだ。
夕暮れには大雨になった。
六月二十七日
今日は旧暦6月26日で、元禄2年は6月27日。温海宿を出る。
昨日の雨も止んだ。これから山の方へ入って出羽街道に出て中村宿に向かうが、その前に馬を借りて鼠ヶ関に行ってみようと思う。
曾良は何か面倒くさそうで同行せず、温泉に入って待ってるそうだ。
曾良「ああ、朝湯は気持ちいいな。朝の温泉街も良いもんだ。
えっ?鼠ケ関?古代出羽道が通ってた場所でもないし、昔の念珠関はあそこではないと思うんだ。
古代の出羽路はこれから行く今の出羽街道に近い所を通ってたと思う。それを今から見に行きたい。」
鼠ヶ関には普通に番所があった。番所の向こうは大きな入江があって港町だった。
手形もないし、ここで引き返した。
温海宿に戻ると曾良と合流して、山の中の出羽街道山通りを目指す。
小国宿に出ると、こっちの方が酒田から新潟へのメインなのか、古代の道もこっちを通ってたと曾良も言う。
小名部を過ぎると堀切峠があり、ここも出羽と越後の国境になる。海沿いの険しさはなく、なだらかな山道が続く。
あれから時々雨が降ったが出羽街道山通りは順調で、小俣宿を過ぎ、夕方には中村宿に着いた。
六月二十八日
今日は旧暦6月27日で、元禄2年は6月28日。村上へ。
朝は晴れてたが変わりやすい天気だ。中村宿を出て葡萄峠の山道は険しくはないがだらだらと長かった。途中で激しい雨になったが、すぐ止んだ。
まだ明るいうちに村上に着いた。久左衛門の宿に泊まる。
曾良は用事があるのか、何か三人ばかり宿にやってきて城に行くと言って出て行った。昔伊勢長島にいた頃の知り合いがいるらしい。
城といっても天守閣はない。
六月二十九日
今日は旧暦6月28日で、元禄2年は6月29日。村上。
今日は天気が良い。休養にはちょうど良い。
曾良は昔伊勢長島にいた頃仕えてた主君の息子が今の村上藩の家老で、それで会いに行ってたようだ。主君の方は亡くなられて、今日は墓参りに行くという。
曾良の名前も木曽川と長良川から取ったというし。
曾良が墓参りから帰って来た。昨日から一緒にいる喜兵衛、友兵衛、彦左衛門も一緒で、冷麦を持って来てくれた。
午後は宿の久左衛門も一緒に瀬波の浜の海を見に行く。
瀬波の砂浜で海を眺めながら楽しいひと時を過ごした。
佐渡島の方に赤々とした日が傾いてゆくのは何だかエモい。今日までは6月で暦の上では夏だが、風は秋風だ。
帰りにいろいろお土産を貰ったが取っておいても荷物になるので、宿に帰ってから食おう。
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