中国が水産物の輸入停止なんていっても、あの国の人は意外に国家への忠誠心ないからな。密猟が増えそうだし、福島産の魚介でも裏で産地偽装して、いくらでも買ってくれるんじゃないかな。
何度も異民族に征服されてる国だし、国がなくても親族の結束があれば、何てことない人たちなんじゃないかと思う。中国人が集まればそこが中国になるみたいな。
それでは「鼻のあなや」の巻の続き。
初裏
九句目
其外悪魚鰐のかるくち
火々出見の尊も腹をかかへられ
彦火々出見の尊(ひこほほでみのみこと)は山幸彦という名でも知られている。兄の海幸彦の釣り針を無くして海神の宮を尋ねてその釣り針を見つけ出しが、そのまま海神の娘の豊玉姫を娶ってしばらくそこで過ごした。
豊玉姫はもちろんのこと、そこにいたサメたちの軽口俳諧も楽しくて、帰りたくなくなったのだろう。
長点で「神代のかる口もこれにはよもや」とある。この句は神代の軽口俳諧よりも面白いということか。
十句目
火々出見の尊も腹をかかへられ
いま人倫に疝気もつぱら
前句の「腹をかかへられ」を腹痛として、神代の神様も腹痛に苦しんだのだから、今の人々が疝気に苦しむのももっともなことだ、とする。
疝気はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「疝気」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙 漢方で疝は痛の意で、主として下腹痛をいう。疝病。疝気病。あたばら。せん。
※大山寺本曾我物語(南北朝頃)一「居易がせんき思ひ出でられたり」
※浄瑠璃・鑓の権三重帷子(1717)上「此方は腰をお引きなさるるが疝気でも起ったか」 〔史記‐倉公伝〕
[補注]下腹部一帯の痛みを広く指すため、諸症状に適用され、俗間で男性特有の陰嚢・睾丸の病とされた。患部が特定できないため「疝気の虫」のせいにされたりもした。」
とある。
『去来抄』には「夕涼み疝気おこしてかへりけり」の句を去来が作って芭蕉に笑われたエピソードが記されている。
長点で「つたへをかれたる末世の病にこそ」とある。
十一句目
いま人倫に疝気もつぱら
だいだいもうけがたき世を身にうけて
人として生まれてくることは滅多にないことで、「受けがたき人身を受け」と仏教では言う。
それを人は代々子孫をもうけて今に至るまで命を繋いできたわけだが、その「代々」に柑橘類のダイダイを掛けて、代々の薬効を受けることができるのも有り難いことだ、とする。
正月に飾るダイダイも代々子孫が栄えますようにという意味だというから、掛詞としては自然だ。
ダイダイの薬効はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダイダイ」の意味・わかりやすい解説」に、
「果皮を乾燥したものを橙皮(とうひ)といい、リモネンを主とする精油、苦味質、ヘスペリジン、ビタミンA・B・Cなどを含み、食欲を増進する作用がある。このため、芳香性健胃剤として消化不良などの治療に用いられるほか、苦味チンキの原料の一つとされる。落下した未熟果実のうち薬用に供するものを欧米では未熟橙実(とうじつ)Aurantii Immaturi Fructusというが、漢方では未熟果実の小さいものを枳実(きじつ)、やや大きいものを枳殻(きこく)と称する。未熟なものほど苦味質が多く、苦味が強いので、消化を促進する作用はいっそう強力となるため、これらは苦味健胃剤として食滞(消化不良)、胃部のもたれ、胃痛、胸痛などの治療に用いられる。ナツミカン、温州(うんしゅう)ミカンなどの未熟な果実も枳実と称して同様に用いる。
[長沢元夫 2020年10月16日]」
とある。
点なし。
十二句目
だいだいもうけがたき世を身にうけて
吹矢の先にかかる秋風
人間に生れるのも稀だと言われているのに、代々狩猟を生業とする家に生まれてしまった、ということか。吹き矢は小動物や鳥などを狩るのに用いる。
貞享二年春の「何とはなしに」の巻二十五句目に、
花幽なる竹こきの蕎麦
いかに鳴百舌鳥は吹矢を負ながら 芭蕉
の句もある。
点あり。
十三句目
吹矢の先にかかる秋風
散露のこまかな所御らんぜよ
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は吹き矢の見世物としているが、この時代にあったかどうかはよくわからない。楊弓による射的場である矢場が広まるのは元禄の頃ではないかと思う。
前句の秋風から、吹き矢の命中することを露を散らすと表現したというのは間違いないだろう。ただ、どういうシチュエーションを意図したのかというと、見世物であれを射って見せようという場面なのかもしれないし、ただ吹き矢の腕を自慢したい人のセリフなのかもしれない。
点ありで「よき所ねらはれ候」とある。秋風に吹き散るのイメージと吹き矢の命中のイメージとを重ね合わせた「狙い」は秀逸といえよう。
十四句目
散露のこまかな所御らんぜよ
月をそむいてしはひこころね
「しはし」はケチという意味。前句の「散露」を露銀での支払いの場面とし、月の光を遮ってよく見えないようにしながら支払うあたり、何か胡麻化されそうだ。
露銀は豆板銀のことで、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ) 「豆板銀」の意味・わかりやすい解説」に、
「江戸時代の銀貨。小玉(こだま)銀、小粒(こつぶ)ともいう。秤量(ひょうりょう)貨幣で、形は丸い小塊。重さは5匁(18.75グラム)前後のものが多いが、1匁(3.75グラム)から10匁(37.5グラム)内外まで一定していなかった。豆板銀は銀座において、丁銀(ちょうぎん)と同じ品位でつくられ、「常是(じょうぜ)」「宝」および大黒(だいこく)像のうち一つが極印(ごくいん)として打たれた。豆板銀は丁銀の補助的役割を果たし、丁銀が封包(ふうづつみ)されるとき、その定量を満たすのに利用された。のちに計数貨幣の五匁銀、二朱銀、一朱銀がつくられると、通貨としての重要性が失われた。
[滝沢武雄]」
とある。主に上方で用いられた。
点あり。
十五句目
月をそむいてしはひこころね
つきあひも鳴音淋しきむしの声
「つきあひ」とあえて平仮名にしてるのは、月末から月初めにかけての「月間(つきあひ)」に掛けているであろう。「付き合いも無く」に「月間も鳴く」を掛けている。
月のない夜に鳴く虫の声は淋しく、しみったれた感じがする。月の夜だと賑やかなのに、という風情に、人付き合いの悪い男を掛けている。
点なし。
十六句目
つきあひも鳴音淋しきむしの声
穢多が軒ふる霜の朝風
穢多同士は穢多村や部落に固まって住んでるが、余所との交流はほとんどなく、隔離されている。
点なし。
十七句目
穢多が軒ふる霜の朝風
つなぬきの革を葎やとぢぬらん
「つなぬき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「綱貫」の意味・読み・例文・類語」に、
「① =つらぬき(貫)①
※曾我物語(南北朝頃)六「愚痴暗蔽のつなぬきはき、極大邪見の鎧に、誹謗三宝の裾金物をぞうちたりける」
② 牛の皮で作り、底に鉄の釘を打ったくつ。つなぬきぐつ。《季・冬》 〔俳諧・大坂独吟集(1675)〕」
とあり「つらぬき」は「精選版 日本国語大辞典 「貫・頬貫」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙 (動詞「つらぬく(貫)」の連用形の名詞化)
① 皮革製の浅沓(あさぐつ)。縁に貫緒(ぬきお)を通して、足の甲の上で引き締めて結ぶところからいう。貫緒のくくりから、巾着沓(きんちゃくぐつ)とも。つなぬき。〔江家次第(1111頃)〕
※源平盛衰記(14C前)三五「大将軍義経は熊皮の頬貫(ツラヌキ)をき」
② 雨や雪の日に用いた、皮革製のくつ。つなぬき。
③ 水田の作業をするときに用いた猪の皮などで作ったくつ。田沓(たぐつ)。」
とある。
日本皮革産業連合会の「皮革用語辞典」には、
「江戸中期以降の関西にのみ普及した革製の巾着沓<きんちゃくくつ>を指す。革の甲側足首周囲に何カ所かの穴を開けてひも(綱縄)を通し、これを絞り締めるようにして履く。貫き緒を通すところから名前がつけられたとの説が有力である。」
とある。紐を貫いて足に固定する、その紐の代りに葎の蔓を使うということか。前句の「軒ふる」を受けて貧相な感じに作る。
長点で「扨もよき細工にて候」とある。この句もまた穢多村の人の機転に比すべきものということであろう。
十八句目
つなぬきの革を葎やとぢぬらん
下樋の水をはこぶ六尺
葎の中を綱貫を履いて、下樋から汲んできた水を運ぶ人足とする。
下樋はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「下樋」の意味・読み・例文・類語」に、
「① (「したひ」とも) 水を引くために地中に設けた樋(とい)。
※古事記(712)下・歌謡「あしひきの 山田を作り 山高み 斯多備(シタビ)を走(わし)せ」
※光悦本謡曲・三輪(1465頃)「下ひの水をとも、こけに聞えてしづかなる、此山住ぞさびしき」
② 琴の腹部、すなわち甲と裏板との間の空洞の部分。
※万葉(8C後)七・一一二九「琴取れば嘆き先立つけだしくも琴の下樋(したび)に妻やこもれる」
とある。簡易水道のようなものであろう。
六尺はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「六尺・陸尺・漉酌」の意味・読み・例文・類語」に、
「① 貴人の駕籠を担ぐ人足。また、雑役夫、下僕の称。〔日葡辞書(1603‐04)〕
※評判記・色道大鏡(1678)一四「婦人歩行のしりへに、六尺(ろくシャク)・小者などに物もたせてつれゆく事」
② 雑貨品を売り歩く行商人。〔日葡辞書(1603‐04)〕
③ (「漉酌」とも書く) 造り酒屋の下男。〔文明本節用集(室町中)〕
※歌謡・松の葉(1703)三・いけだ「池田伊丹の六しゃく達は、昼は縄おび縄だすき、夜は綸子の八重まはり」
④ 棺担ぎ棒。また、棺を担ぐ役目をいう。
⑤ 江戸時代、駕籠舁(かごかき)をはじめ、賄方(まかないかた)・掃除夫など雑役人の総称。江戸幕府では紅葉山御高盛六尺二〇人・御賄六尺三八八人・御風呂屋六尺一二人など頭とも数百人の六尺を抱え、それぞれに役米・金、役扶持を給した。」
六尺棒で物を運ぶところから来た名称であろう。
点あり。
十九句目
下樋の水をはこぶ六尺
山陰に半季先よりすみ衣
半季はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「半季」の意味・読み・例文・類語」に、
「① 各季節の半分。
② 一年の半分。半年。半期。
※浮世草子・世間娘容気(1717)五「半季(ハンキ)の買がかりを算用して」
③ 江戸時代、奉公人の雇用期間を三月五日と九月五日からの向こう半年間と区切って奉公すること。また、その期限。半季勤。半季奉公。
※俳諧・大坂独吟集(1675)下「山陰に半季先よりすみ衣 二月二日に松の木ばしら〈由平〉」
とある。
先は今では未来のことも先というが、元々は過去のことだったか。今下樋の水を運んでる六尺も半季方向に入る前は墨染の衣を着た隠遁僧だった。
岩間閉じし氷も今朝は解け初めて
苔の下みづ道求むらむ
西行法師(新古今集)
の歌を詠んだ西行法師さんだろうか。罪荷をあえて習うか。
点なし。
二十句目
山陰に半季先よりすみ衣
二月二日に松の木ばしら
二月二日は出替りの日。出替りはコトバンクの「世界大百科事典 第2版 「出替り」の意味・わかりやすい解説」に、
「半季奉公および年切奉公の雇人が交替あるいは契約を更改する日をいう。この切替えの期日は地方によって異なるが,半季奉公の場合2月2日と8月2日を当てるところが多い。ただし京坂の商家では元禄(1688‐1704)以前からすでに3月と9月の両5日であった。2月,8月の江戸でも1668年(寛文8)幕府の命により3月,9月に改められたが,以後も出稼人の農事のつごうを考慮したためか2月,8月も長く並存して行われた。」
とある。
「かしらは猿」の巻三十六句目に、
爰に又はたち計のおとこ山
三月五日たてりとおもへば
の句があり、宗因の評に「近日に罷成候」とあったから、二月二日から三月五日に変わったのは大阪でも寛文の終わり頃だったのだろう。
ここでは半季前の二月二日に奉公をやめて出家して、松の柱の庵に暮らすことになる。
点なし。
二十一句目
二月二日に松の木ばしら
旅芝居花のさかりにとてもなら
前句の松の木ばしらを舞台の設営とする。「とても」は「どうしても」の意味で、何が何でも花の盛りまでに舞台を完成させたいというので、二月二日に柱を立てる。
長点でコメントはない。
二十二句目
旅芝居花のさかりにとてもなら
まへ髪ごそり少年の春
風紀を乱すというので前髪のある若衆姿ではだめで、どうしても興行したけりゃ野郎歌舞伎にしろということか。
点なし。
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