2023年8月30日水曜日

 それでは「鼻のあなや」の巻の続き、挙句まで。
 あと、手違いで八月二十八日の三裏が抜けてしまったので、そちらの方をまず先に、そのあと名残の裏に続く。

三裏
六十五句目

   あつかひ口もねぢた月影
 御もたせの手樽ののみの露落て

 手樽はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「手樽」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 柄を二本の角のように上に出し、手にさげるように造った樽。柄樽。角樽(つのだる)。柳樽。
  ※虎明本狂言・千鳥(室町末‐近世初)「てだるに一つ、よひ酒をつめてくだされひ」

とある。ただ、「デジタル大辞泉 「手樽」の意味・読み・例文・類語」のイラストを見ると、樽の上の部分に注ぎ口が付いていて、その反対側に上に取っ手が付いているものが描かれている。上に二本出てるのは柄樽となっている。
 この場合はそそぎ口が付いた方の手樽で、前句の「あつかい口」をそのそそぎ口として、取っ手を持ち上げると樽が傾いて、取っ手と反対側の口から酒の露がこぼれるということではないかと思う。
 御もたせは手土産のこと。
 点あり。

六十六句目

   御もたせの手樽ののみの露落て
 羽織の下にはるる秋霧

 手樽持参で訪れた客は、酒だけでなく羽織の「袖の下」も用意していて、これにて一件落着となった。
 点なし。

六十七句目

   羽織の下にはるる秋霧
 夕あらし膝ぶしたけに吹通り

 羽織は膝丈なので、膝の下は風が通る。夕嵐に秋霧の晴れるという景と重ね合わせる。
 長点だがコメントはない。

六十八句目

   夕あらし膝ぶしたけに吹通り
 湯ぶねにけづる杉のむら立

 湯船にお湯を張る水風呂(据え風呂とも言う)はこの当時お寺や上流の間で広まりつつあった。特に山の中の修験の寺などでは、豊富にある杉の木を用いた檜風呂があったのだろう。
 とはいえまだ、湯船を作っている所で、嵐の風が膝下を吹き抜けて行く。
 点なし。

六十九句目

   湯ぶねにけづる杉のむら立
 めづらしき御幸をまてる大天狗

 やはり水風呂は修験のイメージなのか、御幸に行くと大天狗が風呂桶を作って待っている。
 点なし。

七十句目

   めづらしき御幸をまてる大天狗
 さて京ちかき山ほととぎす

 京の近くの天狗というと鞍馬天狗だろうか。牛若丸に兵法を授けたと言われている。ただ、鞍馬の方へ御幸というと謡曲『大原御幸』になる。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、

 「岸の山吹咲き乱れ、八重立つ雲の絶間より、山郭公の一声も、君の御幸を、待ち顔なり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.1689). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。
 長点だがコメントはない。

七十一句目

   さて京ちかき山ほととぎす
 はせよしの残らずめぐるむら雨に

 時鳥に村雨というと、

 心をぞ尽し果てつる郭公
     ほのめく宵の村雨の空
             藤原長方(千載集)

の歌がある。初瀬や吉野の桜に心を尽くして京まで帰ってくると、ホトトギスの声が聞こえてくる。
 点あり。

七十二句目

   はせよしの残らずめぐるむら雨に
 ちりさふらふよ花の中宿

 吉野が出たので花の定座を繰り上げることになる。長いこと初瀬や吉野を廻ってるうちに村雨が降って花散らしの雨になる。
 点なし。

七十三句目

   ちりさふらふよ花の中宿
 今朝見れば春風計の文ことば

 前句の「花の中宿」に男女の「仲」を掛ける。
 後朝の別れの後に残された手紙を読むと、春風のように二人の仲を散らして行くような激しい言葉が書き連ねられていた。
 点あり。

七十四句目

   今朝見れば春風計の文ことば
 猶うらめしき寺のわか衆

 相手を女ではなく寺の男色の相手に転じる。
 点なし。

七十五句目

   猶うらめしき寺のわか衆
 竹箆をくるるものとはしりこぶた

 「しりこぶた」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「尻臀」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 尻の、肉の多い左右のふくらみ。しりこぶら。しりたぶら。しりたぶ。しりたむら。しりぶさ。しりむた。しりゅうた。
  ※俳諧・伊勢山田俳諧集(1650)長抜書「鬼もねふとのてくるくるしみ ねつきする地獄のかまのしりこふた」
  ※文明田舎問答(1878)〈松田敏足〉徴兵「病犬(やまいぬ)が出て、老人や子供の、脛や尻臀(シリコブタ)に噛つく」

とある。
 竹箆(しっぺい)は座禅の時肩を打つ竹で作ったへら状の坊で、てっきりこれで肩を打つのかと思ったら、なにやらお尻の方に別の竹箆が、という下ネタでした。
 指ではじく「しっぺ」もこれが語源だという。
 長点だがコメントはない。

七十六句目

   竹箆をくるるものとはしりこぶた
 ひねるとこそはかねて聞しか

 尻はつねるもんだと思っていたが、ということで、普通に叩かれたことにして逃げる。
 点なし。

七十七句目

   ひねるとこそはかねて聞しか
 三枚のかるたの外に月の暮

 この頃のかるたは「うんすんかるた」であろう。ウィキペディアに、

 「うんすん
  3人から6人。1人に3枚ずつ3回、9枚宛の札を配り、残りは山札として裏向きに重ねておく。
  親から順に左廻り、山札から1枚を引き、不要な札を1枚捨てることを繰り返す。
  3枚以上の同数値のセット、もしくは3枚以上の同スート、続き数値の札のセットができると場にさらす。
  手札が無くなった者が出た時点、もしくは同スートのウン、スン、ロバイを揃えた者が出た時点で、その者の勝とし、1回のゲームを終わりとする。
  上がった者を0点とし、後は手札によってマイナス点とする。数札はその数値、絵札10点、ロバイ15点。
  基本は以上であるが、「つけ札」「拾う」などの細則がある。

とある。
 前句の「ひねる」を勝負事で負ける意味に取り成す。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「捻・拈・撚」の意味・読み・例文・類語」に、

 「⑤ 相撲などを、かるくやる。また一般に、勝負事などで相手を軽く負かす。
  ※浄瑠璃・五十年忌歌念仏(1707)上「若い時は小相撲の一番もひねったおれぢゃ」

とある。今でも「軽くひねられた」というふうに用いる。

七十八句目

   三枚のかるたの外に月の暮
 気疎秋ののらのより合

 「気疎」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「気疎」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘形口〙 けうと・し 〘形ク〙 (古く「けうとし」と発音された語の近世初期以降変化した形。→けうとい)
  ① 人気(ひとけ)がなくてさびしい。気味が悪い。恐ろしい。
  ※浮世草子・宗祇諸国物語(1685)四「なれぬほどは鹿狼(しかおほかみ)の声もけうとく」
  ※読本・雨月物語(1776)吉備津の釜「あな哀れ、わかき御許のかく気疎(ケウト)きあら野にさまよひ給ふよ」
  ② 興ざめである。いやである。
  ※浮世草子・男色大鑑(1687)二「角落して、きゃうとき鹿の通ひ路」
  ③ 驚いている様子である。あきれている。
  ※日葡辞書(1603‐04)「Qiôtoi(キョウトイ) ウマ〈訳〉驚きやすい馬。Qiôtoi(キョウトイ) ヒト〈訳〉不意の出来事に驚き走り回る人」
  ④ 不思議である。変だ。腑(ふ)に落ちない。
  ※浄瑠璃・葵上(1681‐90頃か)三「こはけうとき御有さま何とうきよを見かぎりて」
  ⑤ (顔つきが)当惑している様子である。
  ※浄瑠璃・大原御幸(1681‐84頃)二「弁慶けうときかほつきにて」
  ⑥ (多く連用形を用い、下の形容詞または形容動詞につづく) 程度が普通以上である。はなはだしい。
  ※浮世草子・好色産毛(1695頃)一「気疎(ケウト)く見事なる品もおほかりける」
  ⑦ 結構である。すばらしい。立派だ。
  ※浄瑠璃・伽羅先代萩(1785)六「是は又けふとい事じゃは。そふお行儀な所を見ては」

とある。この場合は①か。
 人気のない所で人が集まってカルタをしている。何だか妖しげな雰囲気だ。無宿人だろうか。
 点なし。

名残裏
九十三句目

   湯漬も玉をみだす春風
 油断すな花ちらぬまの早使

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『鞍馬天狗』の、

 「花咲かば告げんといひし山里の、告げんといひし山里の、使は来たり馬に鞍、鞍馬の山のうず 桜、手折枝折をしるべにて、奥も迷はじ咲きつづく、木蔭に並みゐていざいざ、花を眺めん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.4009). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。西谷の僧正に仕える能力が、花の盛りを知らせに東谷の僧の所にやって来るところから物語は始まる。
 こうした花の便りを伝える使いに、春風で花はすぐに散るから油断するな、とする。
 点なし。

九十四句目

   油断すな花ちらぬまの早使
 頓死をなげく鶯の声

 鶯に散る花は、

 花の散ることやわびしき春霞
     たつたの山のうぐひすのこゑ
              藤原後蔭(古今集)
   うぐひすのなくをよめる
 木づたへばおのが羽風に散る花を
     誰におほせてここらなくらむ
              素性法師(古今集)

などの歌がある。
 花の散った後の鶯の声の侘しさは、頓死を歎くかのようだが、花がまだ散らぬ間なら「頓死を歎く」はよくわからない。鶯の羽風で花が散るから気を付けろという意味なんだろうけど、うまく言葉がつながっていない。
 点なし。

九十五句目

   頓死をなげく鶯の声
 跡敷の公事は霞てみとせまで

 跡敷(あとしき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「跡式・跡職」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 相続の対象となる家督または財産。また、家督と財産。分割相続が普通であった鎌倉時代には、総領の相続する家督と財産、庶子の相続する財産をいったが、長子単独相続制に変わった室町時代には、家督と長子に集中する財産との単一体を意味した。江戸時代、武士間では単独相続が一般的であったため、原則として家名と家祿の結合体を意味する語として用いられたが、分割相続が広範にみられ、しかも、財産が相続の客体として重視された町人階級では、財産だけをさす場合に使用されることもあった。
  ※今川仮名目録‐追加(1553)一一条「父の跡職、嫡子可二相続一事勿論也」
  ※三河物語(1626頃)一「松平蔵人殿舎弟の十郎三郎殿御死去なされければ、御跡次(あとつぎ)の御子無しと仰せ有つて、其の御跡式(アトシキ)を押領(をうれう)し給ふ」
  ② =あとしきそうぞく(跡式相続)
  ※禁令考‐別巻・棠蔭秘鑑・亨・三・寛保三年(1743)「怪敷儀も無之におゐては、譲状之通、跡式可申付」
  ③ 家督相続人。遺産相続人。跡目。あとつぎ。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)下「頓死をなげく鶯の声 跡識の公事は霞てみとせまで」

とある。家督相続でもめて裁判になって、三年の月日が流れる。頓死で遺言もなかったのだろう。死を嘆く鶯の声は訴訟の終わらないもやもやの中にある。
 点なし。

九十六句目

   跡敷の公事は霞てみとせまで
 彼行平のちうな分別

 「ちうな」は中納言のこと。謡曲『松風』に、

 「(クドキ)さても行平三年の程、御つれづれの御舟遊び、月に心は須磨の浦の夜汐を運ぶ蜑乙女に、おととい選はれまゐらせつつ、折にふれたる名なれやとて松風村雨と召されしより、月にも 馴るる須磨の蜑 の、 
 シテ   「塩焼き衣、色かへて、
 シテ・ツレ「縑の衣の、空焚きなり。 
 シテ   「かくて三年も過ぎ行けば、行平都に上り給ひ、 
 ツレ   「いく程なくて世を早う、去り給ひぬと聞きしより、」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (pp.1561-1562). Yamatouta e books. Kindle 版. )

とあることから、中納言の遺産が松風・村雨という二人の妻の間で訴訟沙汰になったということか。
 長点だがコメントはない。

九十七句目

   彼行平のちうな分別
 無疵ものあげて一尺五六寸

 行平というと平安時代末期から鎌倉時代前期の豊後国の刀工に紀新大夫行平がいる。ここでは前句の行平を刀鍛冶としてその作品の無傷の一尺五六寸の刀とする。ただ日本刀の標準は二尺三寸くらいだから、これは脇指になる。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注には、中脇指だから「ちうな分別」だという。
 なお、この注には大和の刀匠左衛門大夫行平の名が挙げられていて鬼切丸の作者だという。ネットではこの人物は確認できなかった。酒吞童子を倒すのに用いられたという鬼切丸は、ウィキペディアによると、伯耆国の刀工大原安綱の銘があるが、後の追刻という説もあるという。、
 点あり。

九十八句目

   無疵ものあげて一尺五六寸
 命しらずの麻の手ぬぐひ

 前句の一尺五六寸を手拭の長さとして、麻の手拭は丈夫なので「命しらずの麻の手ぬぐひ」とする。
 点あり。

九十九句目

   命しらずの麻の手ぬぐひ
 柄杓よりつたふ雫のよの中に

 重労働の末に柄杓の水でかろうじて喉を潤すような世の中では、命知らずの麻の手拭は有り難い味方だ。
 長点だがコメントはない。

挙句

   柄杓よりつたふ雫のよの中に
 あらんかぎりはのめよ酒壺

 酒壺の酒を柄杓ですくって、さあこの辛くも儚い浮世をせめては飲みつくそうではないか、と一巻は目出度く?終わる。
 点あり。

 「愚墨六十句
     長廿七

 伝きく天宝の唐がらし、鼻より入て口よりい
 づる色あひは、たちうり染のもみ紅梅、一句
 一句のこまやかなるは、おいまがけしかのこ、
 後藤がほり、すがたうるはしくやすらかなる
 は、柳に桜、あさぎにうこん源左衛門が海道
 下り、筆でかくとも即合点、おそれながらも
 候べく候
      西幽子(さいゆうし)判」

 点の数は鶴永(西鶴)に並ぶが、長点の数は大差をつけて勝っている。西鶴とはまた違った意味で談林俳諧の頂点を感じさせる作品で、由平はコトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「前川由平」の解説」に、

 「?-1707ごろ 江戸時代前期の俳人。
和気由貞の子。大坂の人。西山宗因にまなぶ。井原西鶴,和気遠舟とともに大坂俳壇の三巨頭といわれた。元禄(げんろく)のころ雑俳点者として活躍。宝永4年ごろ死去。通称は江助,江介。別号に半幽,自入,舟夕子(しゅうせきし),瓢叟(ひょうそう)など。著作に「由平独百韻」「俳諧(はいかい)胴ほね」。

と後の大阪談林を代表する人物となっていった。
 ここでも後藤祐乗の彫金の技術と野郎歌舞伎の名女形の右近源左衛門の優雅さに喩えられ、多くの加点となった。

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