それでは「十いひて」の巻の続き。
名残表
七十九句目
弥陀の来迎目前の春
ふつとふく息やうららに出ぬらん
阿弥陀如来が迎えに来てくれて西方浄土にいざなわれるなら、念仏を唱えながら迎える人生最後の一呼吸も麗らかなことだろう。
長点で「善導大師満悦たるべく候」とある。善導大師は浄土教の開祖の中の一人で、法然・親鸞に大きな影響を与えたと言われている。まさにこれが浄土の教えだ、といったところだろう。
八十句目
ふつとふく息やうららに出ぬらん
浪間かき分およぐ海士人
前句の息を一転して、水面に上がって来た海士の呼吸とする。
長点で「一句新しく候」とある。海士の息継ぎを詠んだ句は前例がなかったか。
八十一句目
浪間かき分およぐ海士人
破損舟実それよりは十三艘
実は「げに」とルビがある。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『海人』の、
「げにそれよりは十三年。
地 さては疑ふ所なし。いざ弔はんこの寺の、志ある手向草、花の蓮の妙経色色の善をなし給ふ 色色の善をなし給ふ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.4169). Yamatouta e books. Kindle 版. )
を引いている。
嵐で猟師の船団が壊滅してしまったか。放り出されてたくさんの海人たちが泳いでいる。
長点で「ことばよく直され候」とある。謡曲の言葉を一字直すだけで面白く作ったという意味だろう。
八十二句目
破損舟実それよりは十三艘
四国九国のうら手形也
浦手形は浦証文と同じで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「浦証文」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙 江戸時代、廻船が遭難してもっとも近い浦へ着いた場合、難船前後の状況、捨て荷、残り荷、船体、諸道具の状態などにつき、その浦の役人が取り調べてつくる海難証明書。浦手形。浦切手。浦証。浦状。
※財政経済史料‐一・財政・輸米・漕米規則・享保二〇年(1735)六月一一日「右破船大坂船割御代官にて吟味之訳添書致し、浦証文相添可レ被二差出一候」
とある。
十三艘が難破して浦手形の交付を受けるわけだが、その数が四国と九州を合わせた数になっている。
点あり。
八十三句目
四国九国のうら手形也
米俵あらためらるる吉利支丹
九州というと吉利支丹がまだ隠れていたか。遭難して積荷の米俵が調べられると同時に、遭難した船乗りがキリシタンだったことも発覚する。
点なし。
八十四句目
米俵あらためらるる吉利支丹
大黒のある銀弐百まひ
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、
「島原の乱後、寛永十五年(一六三八年)十月、吉利支丹伴天連(バテレン)の訴人に銀二百枚、伊留満(イルマン)の訴人に銀百枚、吉利支丹門徒の訴人に銀五十枚または三十枚を与える旨の法令が発布された。」
とある。
大黒は大黒丁銀のことで、ウィキペディアの慶長丁銀の所に、
「慶長丁銀の発行に先立ち堺の南鐐座(なんりょうざ)職人らは、菊一文字印銀(きくいちもんじいんぎん)、夷一文字印銀(えびすいちもんじいんぎん)および括袴丁銀(くくりはかまちょうぎん)を手本として家康の上覧に供したところ、大黒像の極印を打った括袴丁銀が選定され、慶長丁銀の原型となったとされる。」
とあり、大黒像が刻印されていた。
キリシタンを見つけたので銀二百枚が与えられた。
点なし。
八十五句目
大黒のある銀弐百まひ
お住持の不儀はへちまの皮袋
住持は住職と同じ。前句の大黒を住持の妻と取り成す。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「大黒」の意味・読み・例文・類語」に、
「[1] 「だいこくてん(大黒天)」の略。
※蔭凉軒日録‐永享七年(1435)九月二八日「大黒像二体、以二誉阿一預申」
※虎明本狂言・夷大黒(室町末‐近世初)「ひえの山の三面の大黒は、いづれの大こくよりもれいげんあらたにて」
[2] 〘名〙
① 僧侶の妻。梵妻。大黒天は、元来厨(くりや)にまつられた神であるところから、寺院の飯たき女をいい、また、私妾や妻をもいうようになったという。また、世をはばかって厨だけにいて、世間に出さないからとも、大黒天の甲子祭から、子(寝)祭とのしゃれからともいう。
※歌謡・閑吟集(1518)「よべのよばひ男、たそれたもれ、ごきかごにけつまづゐて、大黒ふみのく」
※浮世草子・傾城禁短気(1711)二「されば世間の人口をいとひ給ふ、歴々のお寺方の大黒(ダイコク)は、若衆髪に中剃して、男の声づかひを習ひ」
② 「だいこくがさ(大黒傘)」の略。
※雑俳・柳多留‐九(1774)「傘でさへ大こくはふとってう」
③ 江戸浅草の一二月二七日の歳の市で売られた木彫りの大黒天の像。うまく盗み、持ち帰れば幸運が得られるとされた。
※雑俳・柳多留‐二四(1791)「大黒はぬすんでばちにならぬもの」
④ 「だいこくまい(大黒舞)」の略。
※雑俳・柳多留拾遺(1801)巻一一「大こくも恵方からくりゃ安く見へ」
とあり、ここでは[2]①の意味になる。
ヘチマの皮はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「糸瓜の皮」の意味・読み・例文・類語」に、
「① ヘチマの外皮。
② ヘチマの種子などを取り除いたあとの繊維。垢すりなどに用いる。〔日葡辞書(1603‐04)〕
③ つまらないもの、とるにたりないもの、役にたたないもののたとえ。問題にもしない、という時にもいう。へちまの皮袋。へちまの根。
※浮世草子・元祿大平記(1702)四「此上は命もなんのへちまの皮(カハ)とにくからぬ心ざし」
とある。
住持の妻は財布をがっちり握っているから多少の浮気もへとも思わない。
長点で「念比に被付句作やすらかに候」とあり、年頃と懇ろの仲と掛けて用いている。
八十六句目
お住持の不儀はへちまの皮袋
からかさ一本女郎町の湯屋
湯屋は銭湯のことだが、関西では湯女のサービスのある売春がらみの所が多かったという。これも女郎町の湯屋で、そうした湯屋であろう。戦後のトルコ風呂の発想にも通じる。
不儀と言ってもプロの女性相手の湯屋通いで、唐傘一本持って気軽に出かけて行く。
点あり。
八十七句目
からかさ一本女郎町の湯屋
飴を売人の心もうつり瘡
瘡はここでは梅毒のことであろう。前句の唐傘一本を飴売りの傘として、傘だけに瘡をうつされる。
長点で「右同前」とある。「念比に被付句作やすらかに候」ということ。
八十八句目
飴を売人の心もうつり瘡
虱はひ出る神前の月
前句の瘡を虱に食われた跡の瘡として、飴売りを神前の飴売りとする。
点なし。
八十九句目
虱はひ出る神前の月
秋まつり古ふんどしも時を得て
秋祭りで古い褌を引っ張り出したら夏の虱がまだいて這い出してきた。
点あり。
九十句目
秋まつり古ふんどしも時を得て
相撲の芝居ゆるされにけり
秋祭りで相撲や芝居の小屋が並び、古い褌も役に立つ。
点あり。
九十一句目
相撲の芝居ゆるされにけり
位にも昇る四条の役者共
前句を相撲を題材にした芝居とする。京の四条は芝居小屋が並んでいたが、その役者が天皇に招かれたのか官位を貰う。
長点で「清和の御位河原者に成候か。乍恐(おそれながら)俳諧御免とこそ」とある。さすがに当時は河原者と呼ばれた非人身分の歌舞伎役者が天皇に呼ばれて官位を貰うということはなかったのだろう。俳諧ならではの空想ということか。
九十二句目
位にも昇る四条の役者共
引三線は座頭よりなを
琵琶法師の蝉丸は皇子でありながら盲目ゆえに逢坂山に捨てられたという伝説があるが、今の芝居小屋の三味線引きは座頭の三味線(この頃は既に琵琶を弾く座頭は過去のものになっていた)よりも優れているので、昇殿しても不思議はない、と。
点なし。
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