それでは「軽口に」の巻の続き、挙句まで。
名残裏
九十三句目
苔のむすまでぬかぬわきざし
うで香や富士の煙の立次第
うで香はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「腕香」の意味・読み・例文・類語」に、
「① 僧侶、修験者などの荒行(あらぎょう)の一つ。腕の上で香をたき、その熱さに耐える修行。
※蔭凉軒日録‐延徳元年(1489)一一月一九日「今夜后板於二法堂一焼二腕香一」
② 近世のもの貰いの一種。腕に刃物をたてたり、苦行のまねをして米、銭を乞うたり、また、膏薬の類を売ったりした。」
とある。この場合は①か②かはわからない。腕の上に香を富士山のように山にして燃やし、その煙が立つとじっと熱さに耐えている。
前句を腕に脇指を突き刺した状態で抜こうともしないと取り成して、痛みと熱さと両方に耐える。
点あり。
九十四句目
うで香や富士の煙の立次第
ならびに料足あしたかの山
富士山の傍には愛鷹山があって、あしらいになる。ここでは腕に富士山のような香を焚く芸人として、その投げ銭は愛鷹山のようにうず高く積まれる。
点なし。
九十五句目
ならびに料足あしたかの山
はなれ駒九十九疋やつづくらん
はなれ駒は放し飼いの馬のことだが、ここでは一貫の駒引銭から一枚放れた銭とする。駒引銭はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「駒牽銭・駒引銭」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙 江戸時代、民間製作の絵銭の一種。表面に手綱を引かれた馬の図が鋳出されていて、えびす、大黒などの絵銭とともに日本絵銭の代表的なもの。江戸時代の銭貨鋳造所の「銭座」で数取りのしるしに普通銭貨一〇〇枚に一枚の割で特製したものとする説は誤りで、すべて民間で鋳造されたもの。こまひきぜに。こません。こまひき。」
とある。一枚使えば残りの九十九疋も結局次々と出て行ってしまう。今の一万円札も一度くずすとあっという間になくなるようなもの。
点あり。
九十六句目
はなれ駒九十九疋やつづくらん
あとのまつりにわたる神ぬし
今日では相馬の野馬追くらいしか残ってないが、かつては馬の放牧をやってたところではあちこちで似たような祭りがあったのかもしれない。
ただ、気を付けないと馬がみんな逃げて行ってしまい、後の祭りになる。
相馬の野馬追もかつては五月に行われいたというから、加茂の競馬と同根なのかもしれない。放牧馬の見本市的なものがあったのかもしれない。
点あり。
九十七句目
あとのまつりにわたる神ぬし
素麺も白木綿なれやゆでちらし
この場合は前句は単に「祭りの後に神主に渡る」の意味になり、白木綿(しらゆう)のような素麺が茹で上がって神主のもとに渡される。
白木綿はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「白木綿」の意味・読み・例文・類語」に、
「① 白いゆう。楮(こうぞ)の皮をさらしたりして白い紐(ひも)状にしたもの。幣帛(へいはく)として榊(さかき)、しめなわなどにつける。
※詞花(1151頃)冬・一五七「くれなゐに見えしこずゑも雪降ればしらゆふかくる神なみの杜(もり)〈藤原忠通〉」
② 植物、浜木綿(はまゆう)をいう。〔俳諧・類船集(1676)〕」
とある。
点なし。
九十八句目
素麺も白木綿なれやゆでちらし
茶屋もいそがし見せさし時分
「見せさし時分」は店鎖頃(みせさしごろ)のことであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「店鎖頃」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙 店の表戸や錠などをしめる頃。店を閉じる時分。みせさしじぶん。みせさしどき。
※浄瑠璃・冥途の飛脚(1711頃)上「待つ日も西のもどり足みせさし比に成りにけり」
とある。
閉店前の忙しさに茹でた素麺も茹で散らかした状態になっている。
点なし。
九十九句目
茶屋もいそがし見せさし時分
花のなみ伏見の里をくだり舟
伏見に花見に来た大阪人は、茶店が閉店になる夕暮れ時に、一斉に船に乗って川を下って帰って行く。
伏見の醍醐寺は嵯峨天皇もお花見した場所で、古くからの花見の名所だった。江戸に飛鳥山公園のできるまでは花見は公園ではなく寺社でするのが普通で、江戸なら寛永寺、京なら清水寺など、多くの群衆が訪れた。
点あり。
挙句
花のなみ伏見の里をくだり舟
あげ句のはては大阪の春
「挙句の果て」という慣用句は連歌の挙句から来た言葉だが、挙句をこの諺に掛けてこう用いるの誰でも思いつきそうだが、まあ、最初にやったものが勝ちというところか。伏見から川をくだるのだから、最後は大阪に着くのは間違いない。
長点で、「天満橋八軒屋なりと吟じあげ句、南無天神ばしにひびきて、感応うたがひなくこそ」とある。
前書きの「あかつきのかね八軒屋の庭鳥におどろき侍る」に応じて、八軒屋で吟じ上げるに挙句を掛けて、その吟は大阪天満宮に響いて天神様を感応させること間違いない、と結ぶ。
八軒家浜船着場のあった場所は今の天満橋と天神橋の間にある。
このあと、
「愚墨六十句
長十九
ほととぎすひとつも声の落句なし
とや申べからん。是こそ俳諧の正風とおぼゆ
るはひがこころへにやあらん。しらずかし。
西幽子(さいゆうし)判」
と結ぶ。これこそ俳諧の正風と持ち上げておきながら最後て「しらずかし」と結ぶ辺りは、今の「知らんけど」に受け継がれている大阪人のユーモアといえよう。
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