2023年8月23日水曜日

  ラノベと純文学の違いは何かと考えるに、ラノベは基本的にはヒロイズムで、主人公は憧れるもので感情移入できるかどうかはそれほど問題にならない。
 これに対して純文学はクズを描くもので、いかにもクズな人間の弱さをさらけ出して、読者はそれに感情移入して、自分だけじゃないんだという安心感を得るものなんだと思う。
 ラノベでもクズな主人公はいるが、ただ特殊な能力を発揮して人を救ったりして賞賛を得ていくうちに、ヒーローへと成長してゆくという上昇志向の強さが大きな特徴ではないかと思う。
 トロッコ問題に喩えるなら、五人であれ一人であれ誰も犠牲にはできないとばかりに、力技でトロッコを脱線させてみんなを救うのがラノベで、どちらも選べないと言ってうじうじ悩んでるうちになぜかどちらも死んでしまい、ずっと後悔と罪の意識に苦しみ続けながら生きて行くというのが純文学ではないかと思う。

 それでは大坂独吟集から、第六百韻。
 由平独吟百韻「鼻のあなや」の巻(宗因編『大阪独吟集』より)

発句

  くさめを誘ふ夜寒のあらし、何としてかはし
  のがんといひもあへねば、煮豆腐うり是へを
  そしと夕なみの、所もところ松がはな、はぢ
  けば落る血のなみだの 白川よぶねにはあら
  で、淀の河づらしかめて、かくおもひよりぬ
               舟夕子 由平
 鼻のあなや紅くくる唐がらし

 新大陸から来た唐辛子は瞬く間に世界中に広まって行き、日本でも唐辛子の未知の辛さは南蛮とも呼ばれ、流行することになった。
 とはいえ料理一般に用いられることはなく、薬味として用いられたり、青唐辛子は味噌と混ぜて南蛮味噌として用いられた。
 唐辛子に含まれるカプサイシンは血流を良くして体を温める作用があり、秋の夜寒に好まれた。
 前書では、夜寒を凌ごうと思ってると煮豆腐売りがやってくる。この頃大阪で売られていた煮豆腐がどのようなものだったかはよくわからないが、唐辛子で味付けした辛いものだったと思われる。
 「所もところ松がはな」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に西区千代崎町の寺島が松ヶ鼻と呼ばれてたという。
 淀川から分れた大川が中之島の先で安治川と木津川に分れ、その木津川を下ると、かつて東に並行してあった百間堀川と交わる地点があり、その地点で木津川も二つに分かれて川がH状になる、その南側の中州の北端に松の名木があり、そこが松ヶ鼻、その中州は松島と呼ばれていた。ここに松ヶ鼻の渡しがあり、東側が新町通りになる。
 当時の煮豆腐は激辛だったのか、鼻が真赤になり、涙が出てくるのを、「松がはな、はぢけば落る血のなみだの 白川よぶねにはあらで」と掛けて、発句に繋がる。
 「紅くくる」は言わずと知れた、

 ちはやぶる神代も聞かず竜田川
     からくれなゐに水くくるとは
             在原業平(古今集)

の歌によるもので、真っ赤になった鼻の穴に涙の水くくるとは、となる。
 長点で「おなじ紅も染やうにて新らしくこそ」とある。唐辛子の鼻の紅は新味があった。


   鼻のあなや紅くくる唐がらし
 夕日こぼるるすりこぎの露

 擂鉢の唐辛子も赤いし、その唐辛子に染まる鼻の紅も夕日が照らしたみたいだ。こぼれる露は唐辛子を擦った時の水分であると同時に、そのときの鼻水であろう。
 長点で「飛鳥井殿の夕日もきえ可申候」とある。飛鳥井殿の夕日というと、この歌だろうか。

 夕日さす裾野の末にわくる露
     うつる香袖に匂ふ浮橋
             飛鳥井雅経(明日香井集)

第三

   夕日こぼるるすりこぎの露
 古筆の先より秋の雨はれて

 古くなった筆が毛が抜けて擂粉木みたいだ、ということか。筆の先から滴る露を擂粉木の露として、前句の「夕日こぼるる」に「秋の雨はれて」とする。

 秋の雨はれて夕日のこぼるれば
     古筆の先より擂粉木の露

とすればわかりやすい。
 点あり。

四句目

   古筆の先より秋の雨はれて
 飛ゆく鴈をみちの記の末

 これも「古筆の先より」「道の記の末」と付いて、「秋の雨はれて」を「飛びゆく鴈」で受ける。道の記というと宗祇の『筑紫道記』も思い浮かぶ。
 点なし。

五句目

   飛ゆく鴈をみちの記の末
 それの年のその比そこの月の景

 「それの年の」は紀貫之の『土佐日記』の冒頭の有名な「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」の後の部分の「それの年のしはすの二十日あまりの一日の、」を拝借して、前句の「みちの記」の書き出しとしたか。
 「飛ゆく鴈」に「月の景」が付く。
 言葉の続き具合が後の、

 見渡せば詠れば見れば須磨の秋 桃青

の句を思わせる。
 点ありで、「貫之が筆の跡めづらしく候」とある。確かに「男もすなる」の書き出しと「むまのはなむけ」は有名だが、その間の文章はあまり引用されない。

六句目

   それの年のその比そこの月の景
 聞たやうなる松風の声

 月に松風は、

 琴の音を雪にしらふときくゆなり
     月さゆる夜の峰の松風
             道性法親王(千載集)
 ながむればちちに物思ふ月にまた
     我が身ひとつの峰の松風
             鴨長明(新古今集)

などの多くの歌に詠まれている。あの時のあの月を思い出してごらんなんて言われると、何となく松風の声も聞いたような気になる。そんなあやふやな記憶で発心したりして。
 点なし。

七句目

   聞たやうなる松風の声
 等類はのがれがたしや磯のなみ

 前句の「聞たやうなる」を松風の声の歌がどこかで聞いたような、という意味に取り成し、その上磯の波となると、これは等類だということになる。
 松風に磯の波といえば、

 春のたつ磯辺の波は高砂の
     尾上に通ふ峰の松風
            藤原範宗(建保名所百首)

だろうか。この歌は『歌枕名寄』にも「春やたつ磯辺の波や」の形で収録されている。
 似たような名所の歌に、

 こゆるぎの磯の松風おとすれば
     夕波千鳥たち騒ぐなり
            源通親(夫木抄)
 たかしやまつなき方の松風や
     麓の浦の磯波の声
            飛鳥井雅有(夫木抄)
 夏の夜をあかしの瀬戸の波の上に
     月吹きかへせ磯の松風
            藤原良経(夫木抄)

などの歌がある。海の名所に磯の波と松風を詠んだ歌はこの他にも多数ある。
 点なし。

八句目

   等類はのがれがたしや磯のなみ
 其外悪魚鰐のかるくち

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『海人』の、

 「かくて竜宮に到りて、宮中を見ればその高さ、三十丈の玉塔に、かの玉を籠め置き、香花を供 へ守護神に、八竜並み居たりその外悪魚鰐の口、逃れ難しやわが命。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.4167). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。
 悪魚はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「悪魚」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 人畜に害を与える魚。猛魚。
  ※謡曲・海人(1430頃)「そのほか悪魚、鰐(わに)の口、逃(のが)れがたしや我が命」
  ② とくに「さめ(鮫)」の異称。
  ※雑俳・柳多留‐一五(1780)「すりばちへ悪魚を入れるかまぼこ屋」

とある。「わに」も出雲の方ではサメのことをそう呼ぶらしく、神話に出て来る鰐もサメではないかと言われている。となると、悪魚と鰐は等類になる。
 「かるくち」は西鶴(この頃は鶴永)が得意とした速吟俳諧だが、この頃の談林俳諧一般をいう言葉でもある。磯の波に悪魚鰐の口を開けたような軽口俳諧は当世流行で似たり寄ったりの物が多いということか。まあ、ニタリという尾びれの長いサメもいることだし。
 長点で「観世が音局聞心ちし候」と、観世流の謡曲の一節が聞こえてきそうだと評している。当時の軽口俳諧は謡曲の言葉を多用したのもその特徴の一つになっている。

0 件のコメント:

コメントを投稿