2023年8月10日木曜日

 まあとにかく日本の場合、マスコミが政府のスキャンダルを見つけ出してはあることないこと書き立てて、デモも流せば露骨な印象操作も繰り返している。昔東スポがやってたような見出しで釣るやり方を、今は主要新聞やNHKまでもが真似をしている。
 結局、叩けば叩くほど、政治そのものへの不信感が広まるだけで、野党も支持率を下げ、新聞の売り上げも減り、テレビも見なくなる。
 そんなことを繰り返している。
 そんな中でXのコミュニティノートだけが、正しい情報へのアクセスを教えてくれてる。基本的には自分で調べる習慣を付けなければいけないんだと思う。
 あの花火大会で地元民が閉め出されているとか、その花火大会のホームページを見れば、ちゃんと無料エリアが設置されているのが分る。ネットニュースの見出しだけ見てても何もわからないが、必ずどこでも広報があって、きちんとした情報を流しているから、それを確認するというひと手間かけるだけでも陰謀説にはまるのは防げると思う。
 デマや印象操作を駆逐するには、正確な情報を広めるしかない。昔も今も一緒だ。
 デマは同じデマを信じる共同体をつくる傾向があるため、一度はまるとにそこから出ることは難しい。新たな被害者を作らないことが一番大事だ。

 あと「大坂独吟集」第一百韻「去年といはん」の巻を鈴呂屋書庫にアップしたのでよろしく。

 それではX奥の細道の続き。

六月十六日

今日は旧暦6月15日で、元禄2年は6月16日。象潟へ。

今朝も雨が止んでると思って吹浦を出たが、女鹿番所を過ぎる頃にまた雨が降り出した。庄内藩から幕府領の小砂川に入る。馬はないが象潟の塩越までの船はあるという。
雨はまた土砂降りになり、船着場の小屋で一休みするが、船が出る様子もない。

結局小砂川から陸路を行くと、途中に本荘藩との境目にうやむやの関があった。

東路のとやとやとほりの曙に
   時鳥鳴くむやむやの関

の歌が夫木抄読人不知の歌にあったな。

何とか昼頃には塩越に着いた。彦助の知り合いの佐々木孫左衛門の家を訪ねた。
ちょうど女性客が来てるということで、向かい側の家に案内され、服を乾かして休ませてもらい、うどんまでご馳走になった。

象潟は内海で、それが外海と接する辺りが塩越で、ここと皇后山干満珠寺との間に橋があり、この狭い所で内海と外海が繋がってる。
今日は橋を渡らずに、ただここで雨の夕暮れの景色を眺めた。

松島は晴天で笑っていたが、ここは雨で恨んでいるかのようだ。
恨みといえば水死した西施。
恨みを抱きながらも、この世の苦しみからこれで解き放たれるんだと諦念した、そんな涅槃の眠りにつく顔を思わせる。

象潟や雨に西施がねぶの花 芭蕉

六月十七日

今日は旧暦6月16日で、元禄2年は6月17日。象潟。

今朝も小雨が降ってたが、とりあえず朝飯を食って干満珠寺へ行った。塩越はちょうど祭りをやってて人も多く、賑やかだが、祭りは午後も方が盛り上がるようだ。
干満珠寺もまた立派な伽藍で、南の干潟の辺りに西行桜があった。

西行法師の、

象潟の桜は波にうづもれて
   花の上漕ぐあまの釣り舟

の歌は向こう側の能因島の方からの眺めだろう。花の季節だったら花の波が見れたんだろうな。

一旦孫左衛門の向かいの宿に帰ってからお祭りを見に行った。そういえば本宅の方に泊まった女性客もお祭りを見に来てたんだっけ。熊野権現では踊りをやってた。
雨は昼には止んで日は差してきたが、山は雲に隠れてた。

曾良「象潟の祭りはいろいろと興味深かった。夕食が楽しみだ。象潟の祭りは料理何食うんだろう。」
芭蕉「それいい。発句にしちゃいなよ。」
曾良「発句にするというと、象潟は料理何食うや‥祭‥。こんなんでいいのかな。」

象潟や料理何食う神祭 曾良

昨日からちょくちょく訪ねてきてた加兵衛の誘いで、夕飯はまだ日のあるうちに外海の冠石の浜辺に板を敷いて、加兵衛の奥さんの焼いてくれた小鯛を食べた。

小鯛さす柳涼しや海士がつま 芭蕉

加兵衛「まあ、妻といえば北の方とも言うし、それに象潟の潟を掛けて。」

  小鯛さす柳涼しや海士がつま
北のかたよる沖の夕立

まあ、酒が回ってきたか低耳も不玉も海に入って腰までびしょ濡れで、翁も早くと言うから、まあこれも旅の楽しみかと、足先を濡らしてみたら、波がざばーんと来た。

腰たけや鶴脛ぬれて海涼し   芭蕉
象潟や蜑の戸を敷磯涼     低耳
象潟や汐焼跡は蚊のけぶり   不玉

曾良「みんなあの浜辺の句を詠んだから自分も続こうと思ったが、象潟の苫屋の土座で飲んだと言うところで季語が出てこない。前に月山の時もそうだったな。
明やすしでとりあえず結んだけど、別にここで夜を明かしたわけではない。」

象潟や苫やの土座も明やすし 曾良

夕食のあと象潟に船を浮かべて、夕暮れ景色を楽しんだ。
そこでまた酒とおつまみを持ち込んだが、自分はお茶にした。
夕暮れの波が空の残光を映して白く光って、西行の花の波ではないが、波の花もまた悪くないと思った。

夕晴や桜に涼む波の花 芭蕉

宿に戻ると加兵衛の兄の又左衛門もやってきた。曾良が例によってここの祭や神社のことをあれこれ詮索するけど、伝承に乏しくて困ってたな。

六月十八日

今日は旧暦6月17日で、元禄2年は6月18日。象潟。

今朝はよく晴れた。早速干満珠寺の前の橋まで行って、晴れた象潟の景色を見た。鳥海山が今日は雲もなくはっきりとその姿を現した。
今日ここで引き返すのだと思うと、胸が潰れる思いだ。

未知の世界に足を踏み入れ、次は何が見れるのかドキドキする感覚。人生はそういう旅ではなかったのか。
昨日もそれで曾良と言い争いになった。
秋はもう近いし、この北の地方はすぐに雪に閉ざされる。今のうちに引き返さないと帰れなくなる、と。
辺鄙な地方では馬もなく、今までも歩きっぱなし。

歳を考えなさい、と。
それにここから北には知ってる門人もいないし、泊まれる所もあるかどうかわからない、と。
それでも北へ行ってみたかった。津軽も蝦夷も行ってみたかった。

ゆっくり飯を食ってから出発した。北から吹く饗(あい)の風もどこか悲しげだ。

曾良「芭蕉さん、名残惜しいのは分かります。だけどせっかく今日はあの狭い海沿いの道を歩かずに、船で帰れるんだし、海川の景色は素晴らしく、良い風も吹いてることですし。」

海川や藍風わかる袖の浦 曾良

あれから気を取り直して、この前貰った会覚の発句を思い出した。
思えば羽黒山には大きな杉の木が沢山あって、そこで蝉が鳴いてたな。着いた時には三日月が見えてたっけ。あれは忘れない。

  忘なよ虹に蝉鳴山の雪
杉の茂りをかへり三ケ月 芭蕉

不玉「発句が山の雪だからここは水辺に転じよう。狩人が狩猟用の小さな弓を手に持って磯を歩いてると、西の空に夕暮れの三日月が見える。」

  杉の茂りをかへり三ケ月
磯伝ひ手束の弓を提て 不玉

曾良「狩人ではなく馬に乗った武将にしましょう。潮が引いた時に馬で通り抜けて、そのあと潮が満ちるとその通った跡がなくなる。」

  磯伝ひ手束の弓を提て
汐に絶たる馬の足跡 曾良

六月十九日

今日は旧暦6月18日で、元禄2年は6月19日。酒田。

今日も良い天気だ。
昨日の夕方m酒田の玄順の家に戻った。
明日は彦助が江戸に行くというので、杉風への手紙と、鳴海の知足や名古屋の越人への手紙を持たせようと思って今書いてる。
曾良もどこか出す手紙があるようだ。

午後から玄順(不玉)と三吟興行をしようというので、発句を考えた。
昨日吹浦まで帰ってきた時、南に温海山が見えたので、暑そうな温海山も吹浦から吹くアイの風に涼しくなるように、ということで、

温海山や吹浦かけて夕涼 芭蕉

午後からさっきの発句で三吟興行を始めた。

不玉「海辺での夕涼みですな。あれは楽しかった。ここは漁師の海松刈る磯での一休みにしておこう。」

   温海山や吹浦かけて夕涼
みるかる磯にたたむ帆柱 不玉

曾良「では夕涼みから月見に転じましょうか。旅体ということで、海辺の関屋で酒盛りですね。」

  みるかる磯にたたむ帆柱
月出ば関やをからん酒持て 曾良

芭蕉「関屋の辺りは陶芸が盛んで、その窯の煙で月が見えないから、町はずれの関屋で月見する。」

  月出ば関やをからん酒持て
土もの竈の煙る秋風 芭蕉

不玉「焼物というと薪が必要。秋だから紅葉した柏の木を切って乾かす。」

  土もの竈の煙る秋風
しるしして堀にやりたる色柏 不玉

曾良「前句を掘りに行くではなく、お堀に取り成しましょう。お城だからもののふですね。実朝の歌にもあるように、籠手の上に霰たばしる。」

  しるしして堀にやりたる色柏
あられの玉を振ふ蓑の毛 曾良

芭蕉「蓑を着て霰に打たれてるのは長良川の鵜匠にしようか。冬は鳥小屋で鵜の世話をしている。」

  あられの玉を振ふ蓑の毛
鳥屋籠る鵜飼の宿に冬の来て 芭蕉

不玉「白髪頭の老人が焚火の火に浮かび上がる。漁の時は髪を結って烏帽子を被るが、今は髪を垂らしている。」

  鳥屋籠る鵜飼の宿に冬の来て
火を焼かげに白髪たれつつ 不玉

曾良「藻塩焼く海士のことにでもしましょうか。海辺の街道は道が狭くて、波打ち際をやっと通れる、象潟の道がそうでしたね。昔だったら須磨明石か清見が関か。」

  火を焼かげに白髪たれつつ
海道は道もなきまで切狭め 曾良

芭蕉「みちのくの旅の土産といえば、武隈の松の松ぼっくりかな。木曽の栃の実を荷兮子への土産にしたけど。」

  海道は道もなきまで切狭め
松かさ送る武隈の土産 芭蕉

不玉「遊女には値のはる物を貢ぐのが普通だが、松ぼっくりを送るとは、旅の鄙びた田舎の遊女か。」

  松かさ送る武隈の土産
草枕おかしき恋もしならひて 不玉

曾良「旅で恋のことで祈るなら、やはり道祖神でしょうか。道祖神は巷の神で猿田彦大神のことでもあります。土金の徳を持ち、天の天照大神に対して、我ら臣民にとっての最高神は猿田彦大神に他なりません。」

  草枕おかしき恋もしならひて
ちまたの神に申かねごと 曾良

六月二十日

今日も良い天気だがとにかく暑い。旅の疲れを癒すのに専念しよう。
三吟の続き。
芭蕉「巷の女に会いに行く時の源氏の君に同行する惟光の気持ちで。」

  ちまたの神に申かねごと
御供して当なき吾もしのぶらん 芭蕉

不玉「世を忍ぶことにして西行法師にでもしようか。吉野の山に籠って弥勒の世を見に行く。吉野金峯山寺は弥勒様のお寺。」

  御供して当なき吾もしのぶらん
此世のすゑをみよしのに入 不玉

曾良「大きな寺院では麓に妻帯した僧も沢山住んでますね。鐘は吉野世尊寺の三郎鐘。」

  此世のすゑをみよしのに入
あさ勤妻帯寺のかねの声 曾良

芭蕉「妻帯した親鸞は越後流刑だっけね。ここはちょっと佐渡に流刑になった日蓮のイメージを加えて、架空の僧の法難としておこう。」

  あさ勤妻帯寺のかねの声
けふも命と嶋の乞食 芭蕉

不玉「花と一緒に散ってしまうまい。何とか生き延びようとする流人は、薬効のある茱萸(ぐみ)を折って食べる。」

  けふも命と嶋の乞食
憔たる花しちるなと茱萸折て 不玉

曾良「花には朧月。鳩も心あるのか、桜の枝ではなく茱萸の枝で巣を掛ける。」

  憔たる花しちるなと茱萸折て
おぼろの鳩の寝所の月 曾良

不玉「鳩は山鳩で山奥にその声が木魂する。」

  おぼろの鳩の寝所の月
物いへば木魂にひびく春の風 不玉

芭蕉「木魂は木の精霊ということで、春のその声の主は山姫であろう。山姫は式目では非人倫。つまり人外。」

  物いへば木魂にひびく春の風
姿は瀧に消る山姫 芭蕉

曾良「山姫が現れたので、山で荷物を運んでたいかつい剛力さんもびっくりですね。」

  姿は瀧に消る山姫
剛力がけつまづきたる笹づたひ 曾良

不玉「剛力さんといえば修験者に従って荷物を運ぶ人だから、棺桶を運ぶこともある。」

  剛力がけつまづきたる笹づたひ
棺を納るつかのあら芝 不玉

芭蕉「棺桶の中の遺体は死化粧が施され、棺の行く道も霜が降りて岩も白く化粧する。」

  棺を納るつかのあら芝
初霜はよしなき岩を粧らん 芭蕉

曾良「粧うというと女性ですな。やはり美女がいいでしょう。匈奴に嫁がされた王昭君ですな。」

  初霜はよしなき岩を粧らん
ゑびすの衣を縫々ぞ泣 曾良

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