2023年8月14日月曜日

  今年はせっかくのコロナ明けだというのに、ちょうどお盆の時期に台風が来て、関西を直撃しそうだ。
 この前は九州に台風が来て、長崎原爆忌の行事が大幅に縮小されたし、今回は終戦記念日の行事にも影響が出る。
 侵略戦争はやってはいけないことで、それはロシアだろうが日本だろうが一緒だ。ただ、攻めて来た時には守らなくてはならない。それはウクライナも日本も一緒だ。この当たり前のことがなぜかわからない人たちがいる。まあ、わかっていてわざと面白がって騒いでるのかもしれないけど。
 当たり前のこと言ってたんじゃ、目立たないからね。当たり前のことはみんなそう考えてるし、みんな言ってることだからね。
 インフルエンサーになりたかったら当たり前じゃないことを言わなくてはならないからね。だからこいつらを相手にしちゃいけないんだど。愉快犯と一緒だから無酢するのが一番いい。

 それでは「軽口に」の巻の続き。

二表
二十三句目

   浦のとまやのさら世態也
 朝夕に隨縁真如の波立て

 隨縁真如はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「随縁真如」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 仏語。真如は絶対不変であるが、さまざまの縁に応じて種々の差別相を生ずることをいう。真如における二つの相を説く、その一つ。
  ※本覚讚釈(12C前)「真如有二二義一、一不変真如二随縁真如」
  ※十訓抄(1252)三「実相無漏の大海に五塵六欲の風はふかねども、随縁真如の浪のたたぬ時なし」

とある。
 新所帯だから縁あって結ばれたのだろうけど、真如のように不変というわけにもいかず、あれこれ波が立つ。
 点あり。

二十四句目

   朝夕に隨縁真如の波立て
 きけばこそあれ住吉の公事

 「住吉の公事」がどういう事件なのかはよくわからないが、当時神社やその本地のお寺との境界争いなど、至る所で公事(訴訟)があったから、大阪の住吉大社でもご多分に漏れずだったのか。
 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、四天王寺と住吉神社の『百錬抄』『古今著聞集』の12世紀の境界争いの例を挙げているので、今流行の話題ではなく古い話題として引き合いに出したのかもしれない。
 長点で「和田のはら立たる公事者尤々」とある。

 風はただ思はぬかたに吹きしかと
     わたのはらたつ波もなかりき
            赤染衛門(後拾遺集)

による。
 寛文の頃はまだ今の話題で句を作るのではなく、故事に絡めながらというのが普通だったのかもしれない。後の蕉門でもどこの神社の公事と特定する句は見られない所を見ると、元禄六年の「初茸や」の巻の、

   草赤き百石取の門がまへ
 公事に屓たる奈良の坊方     芭蕉

は画期的だったのかもしれない。これにしても奈良とまでしか言ってない。
 あるいは、元禄五年に許六が芭蕉に見せたという、

 行年や多賀造宮の訴詔人     許六

句が一番最初なのかもしれない。この句は湖東の多賀大社とすぐ近くにある胡宮神社との訴訟ということが特定できる。

二十五句目

   きけばこそあれ住吉の公事
 駕籠かきや松原さして急ぐらん

 公事があるというので駕籠に乗って急いで役人が駆けつける。
 点あり。

二十六句目

   駕籠かきや松原さして急ぐらん
 医者もかなはぬ木曾の御最期

 木曽義仲は最後は宇治川の戦いで破れ、数名で落ち延びて近江国粟津で討ち死にする。
 謡曲『兼平』では最後兼平と二騎になり、

 「今は力なし。あの松原に落ち行きて、御腹召され候へと、兼平勧め申せば、心細くも主従二騎、粟津の松原さして落ち行き給ふ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.923). Yamatouta e books. Kindle 版. )

となる。
 今だったら駕籠に乗って医者が駆けつける、というところか。
 長点で「さてもさてもさても道三、半井家も叶がたく覚候」とある。道三は曲直瀬道三で戦国末から安土桃山時代の名医。半井家はウィキペディアに、

 「半井家(なからいけ)は、日本の医家の家系。和気氏の流れを汲む。室町時代後期に半井明親(初代半井驢庵)が出て半井の家名を称したと伝えられ、その子孫は江戸幕府の奥医師の長(典薬頭)を世襲する家の一つとなった。また、その一族は各地で医家として続いた。門弟で半井の名字を認められた系統もある。」

とある。

二十七句目

   医者もかなはぬ木曾の御最期
 はや七日寝覚めの床のゆめうつつ

 寝覚めの床はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「寝覚ノ床」の意味・読み・例文・類語」に、

 「長野県木曾郡上松町にある木曾川の峡谷。花崗岩の白い柱状節理と水蝕地形の景観で知られる。浦島太郎伝説がある。国名勝。」

とある。後に芭蕉も『更科紀行』に、

 「棧(かけ)はし・寐覚(ねざめ)など過ぎて、猿が馬場・たち峠などは、四十八曲リとかや」

と記している。
 前句を木曾の旅路での最期と取り成す。
 点あり。

二十八句目

   はや七日寝覚めの床のゆめうつつ
 勧進ずまふありてなければ

 昔の勧進相撲の興行は七日間行われることが多かった。
 「ありてなければ」は、

 世中は夢かうつつかうつつとも
     夢ともしらず有りてなければ
            よみ人しらず(古今集)

の歌によるもので、前句の「夢うつつ」を受ける。相撲の七日間は夢のようだ。それくらいみんな熱狂した。
 長点で「ゆめかうつつか有てなければ、の本歌、此句のためによみ置たるかと思れ候。但丸山岸左門にたづねたく候」とある。
 丸山という相撲取は何人かいたようで、時代は下るが享保の頃には丸山権太左衛門がいるし、この時代には丸山仁太夫もいる。丸山岸左門はその先代だろうか。
 延宝の頃の「見渡せば」四十八句目には、

   腰の骨いたくもあるる里の月
 又なげられし丸山の色      似春

の句がある。

二十九句目

   勧進ずまふありてなければ
 白紙は外聞ばかりの花野にて

 白紙(しらかみ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「白紙」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 色の白い紙。はくし。
  ※蜻蛉(974頃)下「昨日のしらかみおもひいでてにやあらん、かくいふめり」
  ② 何も書いてない紙。はくし。
  ※歌舞伎・名歌徳三舛玉垣(1801)三立「『蜜書でござるか。何と書てござるかな』『一字一点なき白紙(しらかみ)』」
  ③ 後に現金ととりかえる祝儀の白紙。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「勧進すまふありてなければ〈略〉白紙は外聞ばかりの花野にて〈西鶴〉」

とある。「白紙(はくし)」の所にも、

 「⑤ かみばなのこと。遊里では祝儀に用いられ、後日現金と引き換えるしるしとして白い紙だけを包んで与えた。
  ※雑俳・柳多留‐一三九(1835)「銀札に白紙を使ふ別世界」

とある。「かみばな」ともいう所から「花野」が導き出されたか。
 ただ、必ずしも現金に換えてもらえるわけではなく、形だけの白紙もあったのだろう。これでは相撲を取る意味がない。
 点なし。

三十句目

   白紙は外聞ばかりの花野にて
 まだくれがたの月に提灯

 「月夜に提灯」は無用なものの喩え。形だけの白紙は月夜の提灯のようなもので、「花野」には「くれがたの月」という景を添える。
 点なし。

三十一句目

   まだくれがたの月に提灯
 約束も時付をして仲人かか

 時付(ときづけ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「時付」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 到着の時刻などを書きしるすこと。
  ※吾妻鏡‐建長二年(1250)四月二日「云二頭人一云二奉行人一、莫レ及二遅参一、且可レ進二覧時付着到一之由」
  ② 「ときづけ(時付)の早飛脚」の略。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「まだくれがたの月に挑灯 約束も時付をして仲人かか〈西鶴〉」

とある。
 ここでは飛脚ではなく、単に会う約束の時間を指定してということか。仲人のおばさんに促されて、黄昏時に提灯を持って会いに行くが、文字通り「誰そ彼」で顔がよくわからなくて意味がない。
 点なし。

三十二句目

   約束も時付をして仲人かか
 一順箱は恋のよび出し

 前句をここで、飛脚の時間指定便で仲人が手紙をよこしたという意味に取り成したか。
 それが連歌の一巡箱みたいな恋の呼出しだとする。
 一巡箱はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「一巡・一順・一循」の意味・読み・例文・類語」の、

 「② 連歌や俳諧連句の座で、その会席に連なった人々が、発句から順番に一句ずつ作って、一回り付け終わること。
  ※私用抄(1471)「一巡の名をはじめよりしるすこと」
  ※俳諧・三冊子(1702)わすれ水「一順廻りし時、書翰を以てうかがふ」

のための箱で、おそらく当座の興で句が作れないという事態を避けるために、事前に最初の一順は箱に紙を入れて回して付けて行くことがあったのだろう。脇をすぐに出せるように、発句をあらかじめ作って亭主に教えておくというのはよくあったから、その延長であろう。
 蕪村の時代だと、連衆が一同に集まるのが難しくなったのか、書簡で俳諧をやったりしたようだ。
 点あり。

三十三句目

   一順箱は恋のよび出し
 物まふは夜分に成てどれからぞ

 前句の「恋のよび出し」は連歌や俳諧で次の句に恋を出しやすくするような句を出すことをいう。夜分をだすと男の通うのを待つ、だとか夢にあの人を見るだとか、夜這いネタに持って行くだとか、恋を出しやすくなる。
 ここはそれを踏まえつつ、一巡箱を持って夜分に「物申す」とやって来る場面とする。
 点あり。

三十四句目

   物まふは夜分に成てどれからぞ
 芝居のしくみ明日はつらみせ

 「つらみせ」は芝居の顔見世興行。「しくみ」はここでは段取りのことか。
 明日の顔見世興行の段取りを話し合って、夜になっても誰から出すか決まらない。やはり最後に出るのが一流ということで、出る順番は役者の格を決めるものだから、興行のたびにもめるのだろう。
 映画の出演者のクレジットだと、誰を筆頭にするかでもめたりする。それに近いものだろう。
 点あり。

三十五句目

   芝居のしくみ明日はつらみせ
 看板に偽のなき神無月

 「つらみせ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「面見・面見世」の意味・読み・例文・類語」に、

 「② (面見世) 江戸時代、歌舞伎の一一月一日からの興行で、新一座の役者が総員そろって客に見参すること。顔見世(かおみせ)。《季・冬》
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「物まふは夜分に成てどれからぞ 芝居のしくみ明日はつらみせ〈西鶴〉」

とあり、霜月初日に行われるから、その前日は間違いなく神無月だ。前句の「明日はつらみせ」は明日から面見世、今日はまだ神無月ということになる。
 点なし。

三十六句目

   看板に偽のなき神無月
 時雨ふり置うらやさん也

 「うらやさん」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「占屋算」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 占い。とくに、売卜者(ばいぼくしゃ)が算木と筮竹(ぜいちく)とを使って行なう占い。また、それを業とする者。占い者。易者。うらないさん。うらやふみ。うらおき。
  ※玉塵抄(1563)一三「人のしらぬことをうらや算をおいてしるぞ」

とある。
 時雨は定めなきものだが、それを予想できないで雨に打たれている占い屋は看板通りということか。

 竜田河綿おりかく神な月
     しぐれの雨をたてぬきにして
            よみ人知らず(古今集)

の歌の「神無月しぐれ」という上句と下句の接続が一致していて、連歌でいう「うたてには」になる。
 点あり。

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