2023年8月15日火曜日

  今日は終戦記念日で、若い頃は左翼だったから「敗戦の日」だといきってたけど、今思うと戦争終結よりも前に失ったものに比べて、敗戦後に失ったものってほとんどなかったんじゃないかと思う。
 三百万の命、主要都市の破壊、植民地や領土の喪失も敗戦前のまだ戦ってる頃に起きたことだし、負けてから失ったものがあまり思いつかない。これでは「負けて良かった」と思うのも無理はない。負けたというよりは単に侵略が止められたと言った方が良い。だったら「終戦記念日」ではないか。
 日本は都市は焼け野原になって、二つの原爆は落されたけど、農村はほとんど無傷だった。せいぜい軍隊に労働力を取られただけで、それは国内の事情だった。外国の軍隊によって農村が蹂躙され、先祖伝来の土地が奪われ、虐殺されたり見知らぬ異国へ連行されたりということは遂に起こらなかった。
 国は飢えたけど、主に引揚者などによる都市人口の急激な増加のせいで、農村は飢えてなかった。だから、みんな農村に買い出しに行って食いつなぐことができた。
 米軍の占領期間も短く、程なく主権を取り戻したし、果たして敗戦と言えるほど負けてたのだろうか。敗戦はむしろ精神的な影響の方が多かったのかもしれない。日本を否定することにやっきになる、いわゆる「戦後思想」を生み出してしまったという、その損失の方が大きかったのかもしれない。
 日本は未だに他の民族に支配された経験がない。その意味では「まだ日本は本当の敗戦を知らない」と言った方が良いのかもしれない。だからやはり今日は終戦記念日なんだと思う。

 あと、鈴呂屋書庫に「大坂独吟集」第四百韻「十いひて」の巻をアップしたのでよろしく。
 それでは「軽口に」の巻の続き。

二裏
三十七句目

   時雨ふり置うらやさん也
 年の比雲なかくしそ手かけもの

 「雲なかくしそ」は『伊勢物語』第二十三段の有名な筒井筒の話の後半で、男が高安の女の方に行ってしまった時の、

 君があたり見つつを居らむ生駒山
     雲な隠しそ雨は降るとも

の歌を踏まえている。
 生駒山の方を見やって、雲よ隠さないで、という場面だが、ここでは年頃となる手を掛けて育てた女を雲よ隠さないで、とする。占いに悪い結果が出たのだろう。
 長点で「高安の女のおもかげもうかび候」とある。

三十八句目

   年の比雲なかくしそ手かけもの
 晦日までの末のかねごと

 囲ってた女は晦日までの約束だった。
 点なし。

三十九句目

   晦日までの末のかねごと
 やどがへやすめば都の町はづれ

 前句の晦日までのかねごとを借家契約とし、期限切れで引っ越す。町はずれも住めば都。
 点なし。

四十句目

   やどがへやすめば都の町はづれ
 こしばりにする公家衆の文

 前句を「都の町はづれに住めば」として、郊外の隠棲として、煩わしかった大宮人との付き合いの手紙も、襖の下張りにする。
 点あり。

四十一句目

   こしばりにする公家衆の文
 取売もその跡とふや小倉山

 取売(とりうり)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「取売」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 古道具を売買すること。また、その人。道具屋。古道具屋。古手買い。くらまわり。
  ※日葡辞書(1603‐04)「Torivriuo(トリウリヲ) スル」
  ② 持ち合わせの財物を少しずつ売ってゆくこと。切り売り。
  ※浄瑠璃・夏祭浪花鑑(1745)一「まだ奇特にもお真向様は入残の取売で女夫暮す中」

とある。
 公家の手紙が腰張りになっているような家なら、宮廷とのかかわりの深かった人で、さぞかし隠れた逸品があるのではと古道具屋も目を付ける。
 小倉山だから藤原定家の時雨亭か。
 点ありで、長点ではないが「いかさまほり出し可有候」とコメントがある。

四十二句目

   取売もその跡とふや小倉山
 十分一ほどさく花すすき

 十分一はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「十分一」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① あるものを一〇にわけたうちの一つ。また転じて、少数であること。わずかであること。じゅうぶんの一。分一。
  ※古文真宝笑雲抄(1525)三「民より十分一の年貢を取て其を賃にして守護代官はやとはれて吏に成て居ぢゃぞ」
  ※浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油屋「草葉の影からにっこりと笑はしまして下されと。恨みも。異見も十分一(じふぶいチ)明けて言はれぬ百千万」
  ② 「じゅうぶいちぎん(十分一銀)」の略。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「ふやが軒端に匂ふ梅が香 春のよの価千金十分一〈三昌〉」

とある。また、「精選版 日本国語大辞典 「十分一銀」の意味・読み・例文・類語」には、

 「〘名〙 江戸時代、婚姻の仲人や就職の斡旋、また借金などを世話した場合に、手数料として、扱った金額の十分の一を取ること。また、その金。じゅうぶいち。
  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)一「今時の仲人、頼もしづくにはあらず、其敷銀に応じて、たとへば五十貫目つけば五貫目取事といへり、此ごとく十分一銀(じふフいちギン)出して、娌呼かたへ遣しけるは内証心もとなし」

とあり、こちらは「五分一」が二割の手数料だったのに対してその半分ということになる。
 この場合は委託販売のような形式だろうか。骨董屋は十分の一のマージンで小倉山の古物を売却するが、小倉山に咲く花の十分の一は地味な花薄といったところか。
 長点で「半金一二十枚は此句に有之」とある。この句は十分の一どころか半分の小判二十枚くらいの価値はあるということか。 

四十三句目

   十分一ほどさく花すすき
 虫のねも世間各別鳴そめて

 花薄もまだ十分の一ほどしか咲いてない時期なら秋もまだ浅く、いろんな虫が鳴き始める。
 点なし。

四十四句目

   虫のねも世間各別鳴そめて
 うてば身にしむ針は当流

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、

 秋風は身に染むばかり吹きにけり
     いまやうつらむ妹が狭衣
              藤原輔尹(新古今集)

の歌を引いている。砧を打つ歌だが、今流行の針を打てば身に染む、とする。
 点なし。

四十五句目

   うてば身にしむ針は当流
 食後にも今宵の月をこころがけ

 食後に針を打つとかそういう健康法があったのか、よくわからない。
 当時は朝飯と夕飯の二食で、旅などで体を使う時や客人をもてなす時など昼飯も食った。また、遊郭に通ったりすると夜食を食う。この場合は夕飯で、まだ明るいうちに食う。
 点なし。

四十六句目

   食後にも今宵の月をこころがけ
 はたごやたちて名どころの山

 名所になっている山のあるところだと、この時代は寺社へのお参りを口実にした旅行者が訪れるようになり、旅籠屋も月見の客を呼び込む工夫をするようになった。
 こういう今どきの流行のネタが延宝以降の俳諧の方向性になって行く。
 点なし。

四十七句目

   はたごやたちて名どころの山
 かりごろも花見虱やのこるらん

 花見虱は第二百韻の「松にばかり」の巻七十七句目にも、

   宮司が衣うちかへしけり
 神木の花見虱やうつるらん   素玄

の句があった。桜の季節には虱もわいてくる。
 「かりごろも」は狩衣(かりぎぬ)だとすれば古風な感じになる。江戸時代には公家か神職くらいだろう。
 こういう新味と貞門以来の古風な世界の共存が寛文の終わりなのかもしれない。古風な要素がある方が点ありになるのか。
 点あり。

四十八句目

   かりごろも花見虱やのこるらん
 ほとけのわかれなげく生類

 これは釈迦涅槃図であろう。五十二類の動物たちが集まって仏様の死を惜しむ。釈迦入滅の涅槃会は旧暦二月十五日、如月の望月になる。花見虱の出てくる時期でもある。
 点ありで「五十二類の中よりみぐしに取付候哉」とある。集まって来た動物からうつされたか。

四十九句目

   ほとけのわかれなげく生
 盤得がぐちのなみだに雪消て

 盤得は槃特(はんどく)で、「槃特が愚痴も文殊が知恵」という諺があり、頭が悪くても努力すれば悟りを得られるという意味。
 お釈迦様の涅槃を悲しむ槃特の涙も雪を解かす。
 点なし。

五十句目

   盤得がぐちのなみだに雪消て
 こよみえよまず春をしらまし

 暦が読めなくても雪が溶ければ、誰だって春が来たのが分る。
 点なし。

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