2023年8月12日土曜日

  それでは『大坂独吟集』から第五百韻、鶴永独吟百韻「軽口に」の巻。

発句

   伏見の里に日高につき、下り舟待いとまあり
   ければ、西岸寺のもとへ尋ねけるに、折ふし
   淀の人所望にて、任口
   鳴ますかよよよよよどにほととぎす
   めづらしき句を聞、我もあいさつに此句を言
   捨、其よもすがら、ひとりねられぬままに書
   つづけ行に、あかつきのかね八軒屋の庭鳥に
   おどろき侍る。
 軽口にまかせてなけよほととぎす 鶴永

 鶴永は後の西鶴で、このころから速吟の軽口俳諧を得意としてたようだ。矢数俳諧でその名をとどろかすのはもう少し後になる。
 日の高いうちに伏見の里に着いて、大阪へ下る舟を待つのに時間があったので、西岸寺へ行くと、淀の人の所望で伏見の任口が、

 鳴ますかよよよよよどにほととぎす 任口

という句を詠んだ。これは、

 君によりよよよよよよとよよよよと
     ねをのみそなくよよよよよよと
            古今和歌六帖

の歌を踏まえたもの。

 君により代々夜々よよと夜々よよと
     音をのみぞ泣く代々夜々よよと

だろうか。任口の句の方も、

 鳴ますか代々夜々淀にほととぎす

であろう。
 面白い句だったので私鶴永も、

 軽口にまかせてなけよほととぎす 鶴永

の句を詠んだ。
 そのあと夜の船に乗って、眠れぬままに句を付けて行くと、大阪の八軒屋で夜明けの鐘を聞く頃に、この百韻一巻が完成した。
 なお、この頃の伏見は寂れていて、後に西鶴は『日本永代蔵』巻三「世は抜取り観音の眼」に、

 「その時の繁盛に変り、屋形の跡は芋畠となり、見るに寂しき桃林に、花咲く春は人も住むかと思はれける。常は昼も蝙蝠(かうふり)飛んで、螢も出づべき風情なり。京街道は昔残りて、見世(みせ)の付きたる家もあり。片脇は崩れ次第に、人倫絶えて、一町に三所(みところ)ばかり、かすかなる朝夕の煙、蚊屋なしの夏の夜、蒲団持たずの冬を漸(やうや)うに送りぬ。」

と記している。
 長点で「郭公も追付がたくや」とある。それくらいの即吟だった。


   軽口にまかせてなけよほととぎす
 瓢箪あくる卯の花見酒

 時鳥の季節は卯の花の季節。瓢箪に花見酒を汲んで軽口をたたく。
 卯の花の花見は後の其角編『虚栗』にも、

    四月十八日即興
 偽レル卯花に樽を画きけり    千之

の句があり、

   偽レル卯花に樽を画きけり
 鰹をのぞむ楼の上の月      其角

と、初鰹を肴にするという展開をしている。
 点あり。

第三

   瓢箪あくる卯の花見酒
 水心しらなみよする岸に来て

 水心はここでは水に風流を感じる心という意味か。あるいは酒の肴となる魚介を求めてのことか。江戸だと初鰹の季節だが、大阪のこの季節の肴は何だったのか。
 長点だがコメントはない。

四句目

   水心しらなみよする岸に来て
 こぎ行ふねに下手の大つれ

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注には「水心 水泳の心得」とある。
 舟をこいで逃げる者がいるのに、わらわらとやってきた岡っ引きの大群に、誰一人として泳げるものはいなかった。
 点あり。

五句目

   こぎ行ふねに下手の大つれ
 橋がかり今をはじめの旅ごろも

 「橋がかり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「橋懸・橋掛」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 能舞台の一部で、鏡の間と舞台とをつなぐ通路。舞台に向かって左手後方に斜めに、欄干のある橋のように掛け渡されている。→のうぶたい(能舞台)。
  ※太平記(14C後)二七「東西に幄(かりや)を打て、両方に橋(ハシ)懸りを懸たりける」
  ② 初期の歌舞伎劇場の舞台の一部。見物席から見て左側(下手)奥寄りをいい、役者の登場、退場に用いられた。のち、上手出口すなわちチョボ床の下の廊下状板敷をいう。
  ※慶長見聞集(1614)五「をしゃう先立てまく打上はしかかりに出るを見れば」
  ③ 建物の各部をつなぐ通路として渡した橋。渡殿(わたどの)。
  ※浄瑠璃・公平入道山めぐり(1681‐88頃)五「くうでん・らうがく・はしがかり、仏前の方丈きらいなく、あなたこなたをほっかけたり」
  [補注]①について、古くは、舞台真後ろから奥に延びる形もあるなど、その位置・角度などは一定していない。」

とある。
 「今をはじめの旅ごろも」は謡曲『高砂』の冒頭で、

 「今を初めの旅衣、今を初めの旅衣日も行く末ぞ久しき。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.97). Yamatouta e books. Kindle 版. )

という阿蘇の宮の神主友成が都に上るついでに播州高砂の浦の松を見に行こうという所から始まり、シテとツレがともに橋がかりから舞台に上がる。
 謡曲『高砂』はこのあと住吉へ舟をこぎ出す物語で、それを大下手なツレが演じて、シテの足を引っ張る。
 長点で「下手にはあらで、句体は春藤高安に見え候」とある。春藤はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「春藤流」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 能楽の脇方(わきかた)の一派。金春座付の脇方として春藤源七友高を祖とし、天文年間(一五三二‐五五)に始まったが、明治に至り廃絶。」

とあり、高安はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「高安流」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 能のワキ方の一派。河内高安の人、高安長助(一説には、長助の子で金剛流ワキ方一〇世金剛又兵衛康季の養子となった高安与八郎)を祖とする。
  ② 能の囃子(はやし)方の大鼓(おおつづみ)の一派。室町末期、観世小次郎信光の子、観世彌三郎元供に大鼓を学んだと伝えられる、高安与右衛門道善を祖とする。」

とある。いずれも能のワキ方の一流の家になる。

六句目

   橋がかり今をはじめの旅ごろも
 虹立そらの日和一段

 旅立つと雨上がりの虹が見えて、日和も一段と良くなる。
 街道の起点は東海道だと日本橋と三条大橋で、橋から旅立つことが多い。
 点なし。

七句目

   虹立そらの日和一段
 文月や爰元無事にてらすらん

 「爰元無事」は文(手紙)の決まり文句で、文月の月の照らすと掛ける。
 雨上がりの空に虹が出て、月も照る。七夕頃の空か。
 点あり。

八句目

   文月や爰元無事にてらすらん
 きんかあたまに盆前の露

 「きんかあたま」は金柑頭であろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「金柑頭」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 毛髪がなくて金柑(きんかん)のように赤く光った頭。はげあたま。きんかんあたま。金魚頭。きんか。
  ※俳諧・鷹筑波(1638)三「ひかりものなりあらおそろしや たれしかるきんかあたまをふりまわし〈静寿〉」
  [語誌]語源として、「金革」の略とも、「きんかり」光るさまからともいわれる。この語の使用時期より古くキンカン単独での例が見られるところから、直接的には柑橘類の「金柑」の形状からの連想が考えられるが、光るさまをいう擬態語「ぎんがり」との音の類似、また、「金」と光るイメージの類似など、複合的背景のあることも考えられる。

とある。明智光秀が有名だ。
 前句の「てらす」から禿げ頭が光って月のように照らす、とする。

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