それでは「軽口に」の巻の続き。
三表
五十一句目
こよみえよまず春をしらまし
けぶり立夷が千嶋の初やいと
夷(えぞ)が千嶋は『西行法師家集』に、
述懐の心を
いたちもるあまみかせきに成りにけり
えぞかちしまを煙こめたり
西行法師
とあり、『夫木抄』と『山家集』では上五七が「いたけもるあまみるときに」になっている。どっちにしても意味が分かりにくい。
思ひこそ千嶋の奥を隔てねと
えぞ通はさぬ壺のいしぶみ
顕昭法師(夫木抄)
の歌があることをみると、今の千島列島ではなくただ北の方にはたくさん島があるくらいの認識だったのかもしれない。
「いたちもるあまみかせきに」だと板地を漏る(守ると掛ける)天海が関に、という何か関所があったような感じもする。「いたけもるあまみるときに」だと上五が不明だが、蜑見る(海松と掛ける)時にになりそうだ。いずれにせよ北海道ではなく、陸奥の煙であろう。
ここでも「立夷が千嶋の初やいと」は東北の田舎の方の人が正月初めてのお灸をするというくらいのイメージで、暦が読めない人でも正月は来てる、という前句に繋がる。
点あり。
五十二句目
けぶり立夷が千嶋の初やいと
あまのあか子も田鶴もなく也
やはり「いたけもるあまみるときに」を「蜑みる時に」と読んでたか。お灸をする婆に赤子を付けて、海女の三代とする。血筋の絶えないことの目出度さに田鶴を添える。
点あり。
五十三句目
あまのあか子も田鶴もなく也
小便やもしほたれぬる朝ぼらけ
海女の赤子は当然小便をすることだろう。その様が藻塩草から海水が垂れるかのようだ。
長点で「行平卿の捨子にやといたはしく候」とある。謡曲『松風』は行平と二人の海女のかつての恋を呼び興す話で、
「寄せては帰るかたをなみ、寄せては帰るかたをなみ、蘆辺の田鶴こそは立ち騒げ・四方の嵐も 音添へて、夜寒何と過さん。更け行く月こそさやかなれ。汲むは影なれや。焼く塩煙心せよ。さのみなど蜑人の憂き・秋のみを・過ごさん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.1557). Yamatouta e books. Kindle 版. )
と田鶴も登場する。
五十四句目
小便やもしほたれぬる朝ぼらけ
須磨の上野にはゆるつまみな
須磨の上野は歌枕で、
篠(すず)船を寄する音にや騒ぐらむ
須磨の上野に雉子鳴くなり
顕昭(夫木抄)
などの歌に詠まれている。「つまみ菜」は間引き菜で、須磨の漁業だけでなく、海辺の小高い所で畑も作っている。
長点で「塩汁にても旅行の砌は賞味たるべく候」と名物になっていたか。この時代の須磨は藻塩製塩はやっていない。
五十五句目
須磨の上野にはゆるつまみな
山家までかまぼこ汁に霧晴て
藻塩は焼かなくても須磨は漁村で、京・大阪向けの蒲鉾も作ってたのだろう。蒲鉾にすると保存できるので、山奥の家でも魚が食べられるようになる。
須磨に霧は、
藻塩焼く煙になるる須磨あまは
秋立つ霧もわかずやあるらん
よみ人知らず(拾遺集)
の歌がある。
点あり。
五十六句目
山家までかまぼこ汁に霧晴て
まつりや秋のとまり客人
山家に籠る僧がいきなり蒲鉾を食ったりするのは、祭りがあってお客さんが来てるからだ。
点なし。
五十七句目
まつりや秋のとまり客人
御造作や夕月ながる竜田川
御造作はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「御造作」の意味・読み・例文・類語」に、
「〘名〙 (「ご」は接頭語) 相手を敬って、その人に饗応、馳走をすること、手数をかけることなどをいう語。また、御馳走になった時の挨拶(あいさつ)に用いる語。ごちそうさま。
※俳諧・大坂独吟集(1675)上「まつりや秋のとまり客人 御造作や夕月ながる龍田川〈西鶴〉」
※滑稽本・旧観帖(1805‐09)二「ばあさま御ぞうさになり申す」
とある。祭の客人は竜田川の紅葉を見に来てた。
秋のはつる心をたつた河に思ひやりてよめる
年ごとにもみぢ葉流す竜田河
みなとや秋のとまりなるらむ
紀貫之(古今集)
の歌の縁で、前句の「とまり」を竜田川の泊りとする。
点ありで「泊なるらんと云る幽成所よく被思召出候」と、よく「とまり」からこの歌を思い起こして竜田川に展開したと感心する。こういう證歌があるかどうかがこの時代は重要だった。
五十八句目
御造作や夕月ながる竜田川
からくれなゐのせんだくぞする
竜田川から「からくれなゐ」はお約束といった所だろう。
千早ぶる神代もきかず龍田川
からくれなゐに水くくるとは
在原業平(古今集)
の歌はあまりに有名だ。「水くくる」から紅葉の流れる水で洗濯をすると卑俗に落とす。
点あり。
五十九句目
からくれなゐのせんだくぞする
のり鍋や衛士の焼火のもえぬらん
衛士というと、
みかきもり衛士のたく火の夜はもえ
昼は消えつつものをこそ思へ
大中臣能宣(詞華集)
の歌が百人一首でもよく知られていて、和歌ではどちらかというと昼の消える所に恋の悲しみを重ねるものだが、ここでは洗濯糊を煮る鍋の火が燃えて過ぎて、洗濯物を赤々と照らす。別に洗濯物が燃えたわけではあるまい。
点なし。
六十句目
のり鍋や衛士の焼火のもえぬらん
禁裏の庭に蠅は一むら
禁裏はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「禁裏・禁裡」の意味・読み・例文・類語」に、
「① (みだりにその裡(うち)に入ることを禁ずるの意から) 天皇の住居。宮中。禁中。皇居。御所。
※明月記‐治承四年(1180)一二月一五日「院并禁裏被レ儲武士、侍臣各可レ進二勇幹者一騎一之由風聞」
※撰集抄(1250頃)九「禁裏皆焼けるに」
② (①に住んでいる人をさす) 天皇。禁裏様。禁中様。
※吾妻鏡‐文治二年(1186)二月六日「左典廐昇進事、及同室家可レ為二禁裏御乳母一歟事、二品所下令二執申一給上也」
③ 内裏雛(だいりびな)。
※雑俳・柳多留‐一九(1784)「いり豆に花がきんりへちそう也」
とある。洗濯糊に蠅が群がったのだろうか。蠅には走光性があるので、火に群がるのと両方かもしれない。
点なし。
六十一句目
禁裏の庭に蠅は一むら
大師講けふ九重を過越て
大師講はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「大師講」の意味・読み・例文・類語」に、
「① 天台宗の開祖、中国の智者大師(智顗)の忌日である一一月二四日に行なわれる仏事。古くは一一月一四日から一〇日間であったが、江戸時代以後は一一月二一日から三日間となった。現在は一〇月と一一月の二三日、二四日にわたって行なう。
※日蓮遺文‐地引御書(1281)「二十四日に大師講並延年、心のごとくつかまつりて」
② 天台宗で、伝教大師(最澄)の忌日である六月四日に行なわれる法会。六月会。みなづきえ。
③ 真言宗で、弘法大師(空海)への報恩のために行なう法会。
※斑鳩物語(1907)〈高浜虚子〉上「皆東京のお方だす。大師講のお方で高野山に詣りやはった帰りだすさうな」
④ 旧暦一一月二三日から二四日にかけての年中行事。家々で粥や団子汁などを作って食べる。講とはいうものの、講は作らず各家々でまつる。この夜お大師様が身なりをかえて、こっそり訪れるので、家に迎え入れ歓待するのだともいわれている。《季・冬》 〔俳諧・誹諧初学抄(1641)〕」
とある。蠅は大師講の日を境に消えると言われてたらしい。元禄八年浪化編『ありそ海』にも、
蠅ほどの物と思へど大師講 句空
の句がある。
点なし。
六十二句目
大師講けふ九重を過越て
匂ひけるかな真木のお違
九重に「匂ひける」といえば、
いにしへの奈良の都の八重桜
今日九重に匂ひぬるかな
伊勢大輔(金葉集)
の歌がある。「真木のお違」はよくわからない。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注には、「仏家などのお違棚か」とある。
点なし。付け合いに頼ったやや雑な付けが続くのは速吟の宿命なのか。
六十三句目
匂ひけるかな真木のお違
井戸輪の下行水やかするらん
井戸が輪は井戸の淵の部分で四角い井桁の形になってるものが多いが、円形の井戸もある。
「かする」はこの場合は「かすれる」で、水が少なくなっているということか。
水が少ないせいで真木のお違いの匂いがする。この場合も真木のお違いの意味が分からないと意味が通じない。
点あり。
六十四句目
井戸輪の下行水やかするらん
焼亡は三里よその夕ぐれ
焼亡は火事のことで、井戸水が枯れて火が消せなかったということか。三里離れても夕暮れのように空が赤く見えるから、大きな火事なのだろう。
点あり。
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