2023年8月25日金曜日

  それでは「鼻のあなや」の巻の続き。

二表
二十三句目

   まへ髪ごそり少年の春
 親のあと踏では惜む雪消て

 親の後をついて歩いてた少年は、親の付けた雪の足跡の上をたどることができるが、元服して月代を剃って一人前になると、もはや親の足跡をたどることはできない。まるで雪が消えてしまったみたいだ。
 長点で「いかほどの知行職にも器量之仁」とある。
 知行(ちぎょう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「知行」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 事務をとること。職務を執行すること。
  ※貞信公記‐抄・天暦二年(948)正月一日「被レ奏二彼院事長者知行之由一」
  ② 平安時代、知行国制によって特定の国を与えられ、国務をとり行なうこと。→知行国。
  ※山槐記‐治承三年(1179)正月六日「同女房衝重廿前〈丹後守経正朝臣、件国内大臣知行〉」
  ③ 古代末・中世、田畑山野などの所領を領有して耕作し収穫をあげるなど、事実的支配を行なうこと。また、その支配している土地。→知行制。
  ※平家(13C前)三「太政入道、源大夫判官季貞をもて、知行し給べき庄園状共あまた遣はす」
 ④ 近世、幕府や藩が家臣に俸祿として土地を支給したこと。また、その土地。領地。采地。→知行取・知行割。
  ※寸鉄録(1606)「大臣は、知行などは過分にとりながら、主人をよそにしてかまはずして」
  ※夜明け前(1932‐35)〈島崎藤村〉第一部「水野筑後は二千石の知行(チギャウ)といふことであるが」
  ⑤ 俸祿や扶持。
  ※浮世草子・傾城色三味線(1701)大坂「野郎にかぎらず、知行(チギャウ)とらぬほどのものは皆あはぬはづ也」
  ⑥ ⇒ちこう(知行)」

とある。④や⑤の貰える職ということか。職人は親の跡をそのまま行けるが、武家の臣下の道は親の跡を追うばかりでなく、自分で道を開かなくてはならない。

二十四句目

   親のあと踏では惜む雪消て
 死一倍をなせ金衣鳥

 「死一倍」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「死一倍」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 親が死んで遺産を相続したら、元金を倍にして返すという条件の証文を入れて借金すること。また、その借金や証文。江戸時代、借金手形による貸借は法令で禁止されていたが、主として大坂の富豪の道楽むすこなどがひそかに利用した。しいちばい。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)下「死一倍をなせ金衣鳥 耳いたき子共衆あるべく候 呉竹のよこにねる共ねさせまひ〈由平〉」

とある。
 前句を親が亡くなってその跡目を相続した所、当てにしていた財産は雪のように消えたばかりか、借金を倍にして返せということになっている。
 金衣鳥は鶯の別名で、前句の「雪消て」を受け、金の話だから鶯ではなく金衣鳥にする。
 『談林十百韻』の「いざ折て」の巻六十三句目の、

   あらためざるは父の印判
 借金や長柄の橋もつくる也    一朝

の句も死一倍の句と思われる。親の遺産を当てにして借金しまくって遊んでたが、親父の遺書をきちんと把握してなかったので、長柄の橋も尽きてしまった、という意味。
 点ありで「耳いたき子共衆あるべく候」とあり、俳諧に金をつぎ込んでる親を持つ子がいたら、耳の痛い話だ。

二十五句目

   死一倍をなせ金衣鳥
 呉竹のよこにねる共ねさせまひ

 鶯に呉竹は、

 世にふれば言の葉茂き呉竹の
     うきふしごとに鶯ぞなく
             よみ人知らず(古今集)

の歌があり、「死一倍をなせ(借金を返せ)」の声はまさに辛い時に聞く辛い言葉だ。
 「横に寝る」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「横に寝る」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 体を横にして寝る。横臥する。横になる。
  ※俳諧・誹諧独吟集(1666)上「月にのむ茶の子の腹も更る夜に 横にねられぬ老ぞ肌さむ」
  ② 返済、支払、納入などをしないでいる。特に、借りたものを返さないでいる。
  ※浮世草子・懐硯(1687)四「皆済時には横(ヨコ)に寝(ネ)て幾度か水籠に打こまれ」
  ③ 横領する。非道なやり方で取りあげる。ゆすり取る。
  ※浮世草子・諸国武道容気(1717)二「又しては養子をし、難を付て退出し、敷銀をよこにねて」

とある。この場合は②の意味で、踏み倒そうにも許してくれない。
 点あり。

二十六句目

   呉竹のよこにねる共ねさせまひ
 ふるき軒端につよきつつぱり

 「つつぱり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「突張」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① つっぱること。ものを押しあてて支えること。つっかい。
  ※俳諧・桃青門弟独吟廿歌仙(1680)巖翁独吟「長天も地につきにけり庭の雪 氷のはしら風のつっばり」
  ② 物を支えるために立てる棒や柱など。つっかい棒。
  ※日葡辞書(1603‐04)「Tçuppariuo(ツッパリヲ) カウ」
  ③ 青少年などが虚勢をはって、不良じみた態度をとったり、目立ったかっこうをしてみせること。→つっぱる(一)③。「つっぱりグループ」
  ※TV局恥さらしな日記(1984)〈村野雅義〉オン・エア「たとえ、暴走族であろうと、ツッパリ娘であろうと」
  ④ 相撲で、両腕を同時または交互に伸ばして、平手で相手の胸や肩を突くこと。〔相撲講話(1919)〕」

とある。
 軒端を支えている呉竹の柱のことであろう。おかげで家が倒れそうで倒れない。
 長点だがコメントはない。

二十七句目

   ふるき軒端につよきつつぱり
 乱以後もかはらで住る月更て

 これは、

 人住まぬ不破の関屋の板びさし
     荒れにし後はただ秋の風
             藤原良経(新古今集)

であろう。
 保元・平治の乱以降の乱世への嘆きを不破の関屋に託した歌だが、ここでは強いつっかえ棒があるので国が乱れてもまだ住んでいて、澄める月を見ている、とする。
 点なし。

二十八句目

   乱以後もかはらで住る月更て
 子をさかさまに老が身の秋

 「さかさま」は逆縁という意味にも取れるが、この場合は乱世の下克上で子の方が偉くなって自分は隠居させられているという意味か。
 長点で「珍重珍重」とある。手紙などの言い回しで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「珍重」の意味・読み・例文・類語」の、

 「③ (━する) 自分を大切にすること。自重すること。書簡などに用いて、相手に自重自愛をすすめる語。
  ※性霊集‐三(835頃)与新羅道者化来詩「入京日、必専候、面披レ未レ聞、珍重珍重、高雄寺金剛道場持念沙門遍照金剛状上、暮春十九日」 〔王僧孺‐与何炯書〕」

の意味に、

 「④ (形動) 和歌・連歌や俳諧などで用いるほめことば。非常にすぐれていること。また、その作品につける評語。俳諧の評点としては、長点と平点の中間の点とされた。
  ※宗尊親王三百首(1260頃)「故郷のよしのの山は雪消てひとひもかすみたたぬ日はなし 只此等之躰にこそ、歌は候へきと承候しか。尤珍重候」

の意味を掛けたものであろう。

二十九句目

   子をさかさまに老が身の秋
 ながらへてあられうものか露の間も

 ここで「さかさま」を逆縁に取り成して、息子に先立たれ、このまま永らえるのも物憂い、とする。
 点なし。

三十句目

   ながらへてあられうものか露の間も
 八重のしほぢを推量せられよ

 「八重の汐路」は幾重にも波の重なる海路ということで、果てしない海の旅路のことを言う。和歌でも謡曲でも用いられる。
 推量はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「推量・推諒」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 何かを手がかりにして、事情や心中などをこうだろうと想像すること。推察。推測。
  ※田氏家集(892頃)中・独坐懐古「暗記徐来長置レ榻、推量鐘対欲レ鳴レ琴」
  ※虎明本狂言・お茶の水(室町末‐近世初)「何しにきたとは大かたすいりゃうさしめ」
  ※病院の窓(1908)〈石川啄木〉「母が親(みずか)ら書く平仮名の、然も、二度三度繰返して推諒しなければ解らぬ手紙!」

とある。
 これから八重の汐路に赴くとあらば、永らえることなんでできはしない、というこどだが、謡曲『現在俊成』の、

 「シテ 世・鎮まつて勅撰の御沙汰あらばその時は、
  地   御身こそ八重の汐路に沈むとも、八重の汐路に沈むとも、藻汐草かき集めたる年来の、詠歌はその儘に、都の春に留めなん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3243). Yamatouta e books. Kindle 版. )

の場面だろうか。
 点あり。

三十一句目

   八重のしほぢを推量せられよ
 酢醤油もろこしかけて生肴

 刺身はかつては膾にしていたが、酢だけでなく醤油混ぜて酢醤油にするのはこのことの関西の食べ方なのだろう。
 関東ではまだ醤油は普及してないが、この食べ方はきっと中国でもそうに違いないということか。
 点なし。

三十二句目

   酢醤油もろこしかけて生肴
 けふぞ我せこはな鰹をかけ

 「もろこし」に「けふぞ我せこ」は、

 唐人の船を浮かべて遊ぶてふ
     けふぞ我がせき花鬘せよ
             大伴家持(新古今集)

によるもので、花鬘を花かつおにする。
 鰹節も関西では普及してたが、江戸に広まるのは元禄の頃になる。
 花鰹は松永貞徳の『俳諧御傘』に、「正花を持也。春にあらず、生類にあらず。うへものに嫌べからず。」とある。正花ではないが、花の定座で正花同様に扱うことができるが、ここでは四十九句目に花の句があるので、正花とはしていない。同じように「正花を持」ものに、花嫁、花入れ、花火、絵にある花などがある。
 長点だがコメントはない。

三十三句目

   けふぞ我せこはな鰹をかけ
 恋衣おもひたつ日を吉日に

 「思い立ったが吉日」というのは今でもよく言われる。愛しい男の花鰹かけて食べるのを見て結婚を思い立つ。
 長点で「折から節小袖の用意大悦大悦」とある。節小袖は正月などに着る晴着だが、そこから「花衣」を連想させて花鰹に掛けたのだろう。花衣は正花になる。

三十四句目

   恋衣おもひたつ日を吉日に
 あしにまかせてかのが行末

 「おもひたつ」を旅の「たつ」に掛けて、愛しい男を追いかけて旅に出る。
 点なし。

三十五句目

   あしにまかせてかのが行末
 ててめにはかくせ嵯峨野のかた折戸

 「てて」は父」のこと。嵯峨野の片折戸は『平家物語』の「小督は嵯峨のへんに、かた折戸とかやしたる内にありと申もののあるぞとよ」で、清盛の権勢を恐れて嵯峨野に隠棲した小督の局とする。
 点なし。

三十六句目

   ててめにはかくせ嵯峨野のかた折戸
 はづいて来たぞ千代の古道

 嵯峨野に千代の古道は、

   仁和のみかと、嵯峨の御時の例にて、
   せり河に行幸したまひける日
 嵯峨の山みゆきたえにしせり河の
     千世のふるみちあとは有りけり
              在原行平(後撰集)

で、父親の目をだまして来たぞ、嵯峨野のこの片折戸に、となる。
 「はづして」を「はづいて」とイ音便にする例は『平家物語』にある。
 点あり。

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