2023年8月27日日曜日

  それでは「鼻のあなや」の巻の続き。

三表
五十一句目

   きのふも三人出がはる小もの
 不埒なる酒のかよひの朝がすみ

 三人ほどいつも連れ立って酒屋通いで朝まで飲んだくれてたので、結局首になった。
 点あり。

五十二句目

   不埒なる酒のかよひの朝がすみ
 念比しられぬ晋の七賢

 竹林の七賢は晋の時代の人。特に劉伶は大酒飲みで『酒徳頌』を書いたことでも知られていた。
 その他阮籍も大酒飲みで知られているし、総じて全員酒飲みだったようだ。晋の酒屋にたむろしてたのだろう。
 点ありで「酒代さしのべらるべし。不律儀はいかなれ、七賢に候」とある。

五十三句目

   念比しられぬ晋の七賢
 法度ぞと孔子のいはく衆道事

 孔子が衆道は法度だと言ったかどうかは知らないが、七賢の中に懇ろの関係の者がいてもおかしくはないか。七角関係で乱れたらちょっと問題だ。孔子も顔回との噂がないではないが。
 点なし。

五十四句目

   法度ぞと孔子のいはく衆道事
 遊女のいきは論におよばず

 衆道を禁止するくらいだから遊郭なんてもってのほかだろうな。
 点なし。

五十五句目

   遊女のいきは論におよばず
 絵草子と成はつべきの心中に

 絵草子は挿絵の多く入った浄瑠璃本や仮名草子で、寛文期には数多く出版されてた。寛永の頃の活字本から木版印刷に変わると、文字を掘る手間も絵を掘る手間もそれほど変わらなくなったのだろう。
 心中はこの頃は特に自殺を意味するものではなかった。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「心中」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① ⇒しんちゅう(心中)
  ② まごころを尽くすこと。人に対して義理をたてること。特に、男女のあいだで、相手に対しての信義や愛情を守りとおすこと。真情。誠心誠意。実意。
  ※仮名草子・都風俗鑑(1681)一「われになればこそかくは心中をあらはせ、人には是ほどには有まじと」
  ※浄瑠璃・道成寺現在蛇鱗(1742)二「若い殿御の髪切って、廻国行脚し給ふは、御寄特(きどく)といはうか、心中(シンヂウ)といはうか」
  ③ 相愛の男女が、自分の真情を形にあらわし、証拠として相手に示すこと。また、その愛情の互いに変わらないことを示すあかしとしたもの。起請文(きしょうもん)、髪切り、指切り、爪放し、入れ墨、情死など。遊里にはじまる。心中立て。
  ※俳諧・宗因七百韵(1677)「かぶき若衆にあふ坂の関〈素玄〉 心中に今や引らん腕まくり〈宗祐〉」
  ※浮世草子・好色一代男(1682)四「女郎の、心中(シンヂウ)に、髪を切、爪をはなち、さきへやらせらるるに」
  ④ (━する) 相愛の男女が、合意のうえで一緒に死ぬこと。相対死(あいたいじに)。情死。心中死(しんじゅうじに)。
  ※俳諧・天満千句(1676)一〇「精進ばなれとみすのおもかけ〈西鬼〉 心中なら我をいざなへ極楽へ〈素玄〉」
  ⑤ (━する) (④から) 一般に、男女に限らず複数の者がいっしょに死ぬこと。「親子心中」「一家心中」
  ⑥ (━する) (比喩的に) ある仕事や団体などと、運命をともにすること。
  ※社会百面相(1902)〈内田魯庵〉猟官「這般(こん)なぐらつき内閣と情死(シンヂュウ)して什麼(どう)する了簡だ」
  [語誌]近世以降、特に遊里において③の意で用いられ、原義との区別を清濁で示すようになった。元祿(一六八八‐一七〇四)頃になると、男女の真情の極端な発現としての情死という④の意味に限定されるようになり、近松が世話物浄瑠璃で描いて評判になったこともあって、情死が流行するまでに至った。そのため、この語は使用を禁じられたり、享保(一七一六‐三六)頃には「相対死(あいたいじに)」という別の言い回しの使用が命じられたりした〔北里見聞録‐七〕。」

とある。
 寛文の頃の絵草子だとしたら③の意味で、刃傷沙汰などのスキャンダラスなものではあっても、元禄後期の近松門左衛門のような心中ものではなかったのではないかと思う。
 遊女とのトラブルは最後は絵草子ネタになる。
 点あり。

五十六句目

   絵草子と成はつべきの心中に
 銭一もんのかねことのすゑ

 「かねこと」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「予言・兼言」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 (「かねこと」とも。かねて言っておく言葉の意) 前もって言うこと。約束の言葉、あるいは未来を予想していう言葉など。かねことば。
  ※後撰(951‐953頃)恋三・七一〇「昔せし我がかね事の悲しきは如何契りしなごりなるらん〈平定文〉」
  ※洒落本・令子洞房(1785)つとめの事「ふたりが床のかねごとを友だちなどに話してよろこぶなど」

とある。
 銭一文で占ってもらったらとんでもないことになったということか。
 点なし。

五十七句目

   銭一もんのかねことのすゑ
 わかれより始末を告る鳥の声

 別れの鳥と言えば後朝に鳴く鶏のことだろう。別れの時の言葉は愛の言葉ではなく、金返せだった。クドカンの「ジョニーに伝えて1000円返して」みたいなギャグか。
 点なし。

五十八句目

   わかれより始末を告る鳥の声
 またあふ坂とおもふ腎水

 始末には節約の意味もある。年取って若い頃のような無茶ができなくなったか。ほどほどにしておこうということか。昔は腎水がなくなると腎虚になると言われていた。
 延宝六年の「さぞな都」の巻五十七句目の、

   首だけの思ひつつしみてよし
 憂中は下焦もかれてよはよはと  桃青

の下焦(げしょう)も腎虚のこと。
 点あり。

五十九句目

   またあふ坂とおもふ腎水
 道鏡や音に聞えし音羽山

 怪僧道鏡は女帝の孝謙天皇に取り入って皇位簒奪を企てた人で、この事件で道鏡が排除されることで万世一系の天皇制が確立されるとともに、その後長いこと女帝が途絶えることにもなった。
 なおその後女帝は寛永の頃に明正天皇が皇位について、一度復活している。幼少期に皇位についたため、退位してからの方が長く、実はこの頃も存命で元禄九年まで生きたという。
 道鏡は女天皇をたらし込んだということで巨根伝説もある。
 音羽山は前句の逢坂との縁で、特に道教と関連があるわけではない。腎水から勢力絶倫だと言われていた道教の噂に転じ、逢坂に掛けて「音に聞こえし音羽山」とする。
 点あり。

六十句目

   道鏡や音に聞えし音羽山
 かたりもつくさじ其果報者

 果報者というのは多分巨根や絶倫伝説の方で、男なら憧れるというものだろう。
 点なし。

六十一句目

   かたりもつくさじ其果報者
 身体も次第にはり上はり上て

 身体はこの場合は身代のこと。「はり上げ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「張上」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① いちだんと高く張る。高い所に張る。
  ※改正増補和英語林集成(1886)「ホヲ hariageru(ハリアゲル)」
  ② 声を強く高く出す。大きな声を出す。
  ※浮世草子・世間胸算用(1692)四「投げ節を、息の根つづくほどはりあげて」
  ③ 財産などをふやす。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)下「かたりもつくさじ其果報者 身躰も次第にはり上はり上て〈由平〉」

とある。果報者と言えば女か金かで、ここは財産の方に転じる。
 点なし。

六十二句目

   身体も次第にはり上はり上て
 天竺震旦からかさの下

 まあ、今は「傘下に収める」という言葉があるが、この時代にその言い回しがあったかどうかはわからない。
 ここでは前句の「はり上げ」から連想であろう。
 長点で「ありがたくも此寺の一本からかさか」とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「傘\唐傘一本」の意味・読み・例文・類語」に、

 「破戒僧が寺を追放されること。寺を追放される時、からかさを一本だけ持つことを許されたところからいう。出家の一本傘。
  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「お住持の不儀はへちまの皮袋 からかさ一本女郎町の湯屋〈意楽〉」
  ※浮世草子・風流曲三味線(1706)一「若衆ぶりして諸山の浮気坊主の心を蕩(とらかし)〈略〉後傘一本(カラカサいっポン)になる時見ぬ顔せらるる」

とある。蝉丸が蓑笠を貰ったように、雨の多い日本にあって、雨露を凌げるというのが最低限の人間の尊厳だったのだろう。お寺だとそれが唐傘になる。だからこそ、笠がないというのは芭蕉の、

 初時雨猿も小蓑をほしげ也 芭蕉

の句はもとより、近代のJ=popでもしばしば「傘がない」というのは象徴的な言い回しとして用いられる。
 一本の唐傘からスタートして成功した人の物語だろうか。さすがに当時は中国(震旦)インド(天竺)を股に掛けることはなく、あくまで比喩だろうけど。

六十三句目

   天竺震旦からかさの下
 大きにもやはらげ来る飴は飴は

 当時の飴売は唐傘を持ってたようで、「十いひて」の巻八十七句目にも、

   からかさ一本女郎町の湯屋
 飴を売人の心もうつり瘡

の句があった。天保の頃の『近世流行商人狂哥絵図』にも、唐傘を立てた飴売りが描かれている。飴売の伝統なのだろう。
 「大きにもやはらげ来る」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『白楽天』の、

 「それ天竺の霊文を唐土の詩賦とし、唐土の詩賦を以つてわが朝の歌とす。されば三国を和らげ 来たるを以つて、大きに和らぐと書いて大和歌とよめり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.639). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。「大きに和らげ」で大和になる。
 詩はインドにも中国にもあるもので、同様の物が我が国では大和歌(和歌)だということで、詩の普遍を説くものだが、飴もインドや中国にもあって日本のは大和飴ということになるのか。
 長点だがコメントはない。

六十四句目

   大きにもやはらげ来る飴は飴は
 あつかひ口もねぢた月影

 「あつかひ口」は扱い言のことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「扱言」の意味・読み・例文・類語」に、

 「〘名〙 仲裁の口をきくこと。仲裁に立つこと。
  ※読本・春雨物語(1808)樊噲「かれら首にしてかへり、主の君にわびん。扱ひ言して法師も命損ずな」

とある。前句の「大きにもやはらげ」を受ける。
 「ねじた」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「捩・捻・拗」の意味・読み・例文・類語」に、

 「① 棒状や糸状など細長いものの両端を持って、互いに逆の方向に回す。また、一端が固定された他の一端をにぎって、無理に回す。ひねる。
  ※仮名草子・可笑記(1642)一「ねぢり殺さうの、なげすてうのとどしめけども」
  ② 回転するようにつくったスイッチや栓などを右または左に回す。また、螺旋のついたものをひねって動かす。ひねる。
  ※明暗(1916)〈夏目漱石〉二八「電燈のスヰッチを捩(ネヂ)った」
  ③ 盛んに苦情や文句をいいたてる。なじり責める。
  ※いさなとり(1891)〈幸田露伴〉五五「反対(あべこべ)に捻(ネヂ)られ、無念にはおもへど」

とあり、③の意味に捻り飴を掛ける。
 「大きにもやはらげ来るあつかひ口もねぢた」と仲裁に来たのに逆になじられるということなのか、それに「飴は飴は」と「月影」がよくわからない。
 点なし。

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