IOCがWHOと協議しているという情報から、東京オリンピックが中止になるのでは、という噂が駆け巡ったが、とりあえず大会組織委員会は否定した。
ただ、今後日本での感染の拡大が起こり、東京が今の武漢のような状態になったら、とてもオリンピックができるような状態ではなくなるだろう。そうならないようにしなくてはならない。
それでは「守武独吟俳諧百韻」の続き。
二十三句目。
いとどへそのを永き日ぐらし
かげろふのもゆる灸治をする春に 守武
陽炎(かげろふ)はもゆるもので、
いまさらに雪ふらめやもかげろふの
もゆる春日となりにしものを
よみ人知らず(新古今集)
かげろふのそれかあらぬか春雨の
降る日となれば袖ぞ濡れぬる
よみ人知らず(古今集)
などの歌がある。
この場合はお灸の燃えるで、かげろふは枕詞のように用いられている。
お灸をしながら永き日を体を休めて過ごす。
二十四句目。
かげろふのもゆる灸治をする春に
あはれ小野にやこらへかぬらん 守武
「かげろふ」は小野に掛かる枕詞としても用いられる。
かげろふの小野の草葉の枯れしより
有るかなきかと問ふ人もなし
土御門院(続千載集)
の歌の「かげろふ」も小野の草の枯れるさまを導き出すもので、春の陽炎を詠んではいない。
「かげろふ」に「小野」、「灸治」に「これへかぬ」と四手に付く。
二十五句目。
あはれ小野にやこらへかぬらん
業平はみやこのかたへましまして 守武
在原業平は小野の田舎に耐えられずに都に帰ってしまったという句だが、小野と業平は『伊勢物語』八十三段の縁がある。本説ではなく、単なる付け合いと見るべきだろう。
二十六句目。
業平はみやこのかたへましまして
人のむすめに秋の夕ぐれ 守武
『伊勢物語』十二段に「むかし、をとこありけり。人のむすめをぬすみて、武蔵野へ率て行くほどに」とある。業平だけ都に帰り武蔵野に置いてけぼりではさすがに悲しい。
二十七句目。
人のむすめに秋の夕ぐれ
名をとへばきくとかやにやきこゆらん 守武
名前を聞けば「きく」とか何とか言ったように聞こえた、というわけだが、本来なら菊の花ではなくてはいけないものを人名の菊にしている。
お菊さんというと、
御頭へ菊もらはるるめいわくさ
娘を堅う人にあはせぬ 芭蕉
という『炭俵』「梅が香に」の巻八句目が思い浮かぶ。この場合は前句の植物の菊を娘の名前に取り成している。
二十八句目。
名をとへばきくとかやにやきこゆらん
月よりおくの夜の仙口 守武
夜に咲く白菊は月に似ているところから、
いづれをか花とはわかむ長月の
有明の月にまがふ白菊
紀貫之「貫之集」
の歌もある。
菊の酒は不老不死の仙薬にも喩えられ、白菊は手当たり次第に折っては菊の酒にした。そんな白菊の花は仙界への入口のようなものだ。
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