新型肺炎が大変な状態になっているが、中国からの情報はあてにならないし、マスコミはその中国からの情報をそのまま流すだけだし、日本の政府もいくらもらっているか知らないが対策が甘いな。まあ、自分の身は自分で守れってことかな。
「竹のカーテン」という言葉を久々に思い出した。
さて、旧暦でも年が改まり、今年もまた俳諧を読んで行こうと思う。
今回取り上げてみたのは『連歌俳諧集』(日本古典文学全集、金子金次郎、暉峻康隆、中村俊定注解、1974、小学館)所収の「守武独吟俳諧百韻」で、『伊勢正直集』の跋文に、
「享禄三年正月九日夜、時ハ亥、ねぶとやむとさくり出しぬ、さらば初一念ながら法薬にと、びろうながらねながら百韻なれば、さし合も侍らんか」
とある。
享禄三年正月九日は西暦で言うと一五三〇年二月十六日になる。一年最初の子の日になる。子の日はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「ね【子】の日(ひ)
(「ねのび」とも)
① 十二支の子にあたる日。特に、正月の最初の子の日をいうことが多い。この日、野に出て小松を引き若菜を摘み、遊宴して千代を祝う。《季・新年》
※亭子院御集(10C中)「ねのひに船岡におはしましたりけるに」
② 「ね(子)の日の松」の略。
※後拾遺(1086)雑四・一〇四六「君がうゑし松ばかりこそ残りけれいづれの春の子日なりけん〈源為善〉」
[補注]「ネノヒ」は「根延(の)び」に通じると解され、「日葡辞書」「書言字考節用集」に「ネノビ」と三拍目が濁音の例が見られる。
とある。
子の日は若菜を摘み、小松を引き抜いて遊んだ。若菜摘みは後の七草粥に変り、小松引きは門松へと変わった行ったが、両者が並行して行われる時期も長かったと思われる。
「ねぶとやむ」の「ねぶと」は根太とも書き、おできや吹き出物のことを言う。ぶどう球菌などが皮膚に感染して起こるという。化膿するとひどい痛みに襲われる。
さて、そんな中で法薬にと一念発起して作ったのが「守武独吟俳諧百韻」で、その発句をまず見てみよう。
松やにはただかうやくの子日哉 守武
「かうやく」は膏薬。松脂は膏薬の粘りを出すために用いる。
子の日の遊びに本来は長寿を願って小松を引き抜いて遊ぶはずだったが、今日は根太の痛みに堪えかねて、だた松脂の入った膏薬だけで子の日を過ごすことになった。
目出度くもあり目出度くもなしという感じだが、脇もまたそれを引き継ぐ。
松やにはただかうやくの子日哉
かぜはひくとも梅にほふころ 守武
松引きの「引き」を「風邪」に掛けて「風はひくとも」と受ける、受けてにはだ。
根太だけでなく風邪まで引いて、せっかくの梅の匂いも鼻が詰まって嗅ぐことができないのは残念だ。目出度くもあり目出度くもなし。
第三。
かぜはひくとも梅にほふころ
春寒み今朝もすす鼻たるひして 守武
「たるひ」は垂氷でつららのこと。すすった鼻水がも凍る寒さで、春の目出度さを離れて悲惨さだけが残る。まあ、自虐というのはギャグの基本だが。
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