今日は満月。十七夜。台湾では蔡さんの圧勝が伝えられる。これは予想通りだ。台湾加油。香港加油。
それでは「海くれて」の巻の続き。
二十五句目。
京に名高し瘤の呪詛
富士の根と笠きて馬に乗ながら 芭蕉
『校本芭蕉全集』第三巻(小宮豐隆監修、1963、角川書店)の注は、
伝藤原定家の、
旅人の笠きて馬に乗ながら
口を曳かれて西へこそ行け
(『叛匂物語』)
を引用している。旅人は馬に連れられ、馬は馬子に口を曳かれながら、ということか。「西へこそ行け」は都へ登る道だが、「西」は西方浄土で死を暗示させる。「笠きて馬に乗ながら」はこの歌からそっくり拝借した感じだ。
同じ頃に芭蕉は、
年暮れぬ笠きて草鞋はきながら 芭蕉
の発句を詠んでいる。
「富士の根」は「富士の峰(ね)」のこと。
時知らぬ山は富士の嶺いつとてか
鹿の子まだらに雪の降るらむ
在原業平(新古今集)
の歌も「富士の嶺(ね)」と読む。
なお、この業平の歌は仮名草子『竹斎』でも引用されていているところから、前句の「京に名高し瘤の呪詛」に竹斎の姿をイメージしたのかもしれない。竹斎は京に名高い「やぶくすし」(ただし似せ物)を名乗っている。
狂句木枯の身は竹斎に似たる哉 芭蕉
もこの頃の句。
二十六句目。
富士の根と笠きて馬に乗ながら
寝に行鶴のひとつ飛らん 工山
「寝」は前句の「根(峰)」に掛けた掛けてにはになっている。富士のねに向って鶴は寝にゆく。
二十七句目。
寝に行鶴のひとつ飛らん
待暮に鏡をしのび薄粧ひ 桐葉
「粧ひ」は「けはひ」と読む。鎌倉に化粧坂(けわいざか)という地名がある。
前句の鶴を高貴な男の喩えとし、それが寝に来るということで、ひそかに鏡を見て薄化粧する。
二十八句目。
待暮に鏡をしのび薄粧ひ
衣かづく小性萩の戸を推ス 東藤
「萩の戸」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① (前庭に萩が植えてあったところからとも、障子に萩が描いてあったところからともいう) 平安時代、清涼殿北庇の東に面した妻戸の称。のち、戸わきの弘徽殿(こきでん)の上の局あたりまでを称するようになった。萩殿(はぎどの)。
※讚岐典侍(1108頃)下「萩の戸におもかはりせぬ花見てもむかしを忍ぶ袖ぞ露けき」
② 近世に、清涼殿を復古した際に①を誤って清涼殿の一室とし、夜の御殿の北、弘徽殿(こきでん)の上の局と藤壺の上の局との間に設けた部屋。萩殿。《季・秋》
※俳諧・増山の井(1663)七月「萩殿 萩の戸」
とある。
前句を小姓(男)とし、女御更衣ではなく男が夜の御殿(よるのおとど)にこっそりと通ってくる。
「推ス」は推敲の語源となった「僧推月下門」を思い起こさせる。月呼び出しと言えよう。
二十九句目。
衣かづく小性萩の戸を推ス
月細く土圭の響八ッなりて 工山
土圭(とけい)は機械式の時計、自鳴鐘のことで、コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、
「歯車仕掛けで自動的に鐘が鳴って時刻を知らせる時計。12世紀の末ごろ、日時計・砂時計に替わってヨーロッパで発明され、日本には室町時代に伝えられた。」
とある。
この種の和時計は高価なもので、将軍大名クラスがお抱えの時計師に作らせたりした。
「八ッ」はこの場合は夜八ッのことで、丑の刻ともいう。下弦を過ぎて細くなった月が東の空に上る。そんな時間に小姓がこっそりとやってくる。
三十句目。
月細く土圭の響八ッなりて
棺いそぐ消がたの露 芭蕉
「棺」は「はやおけ」と読む。死者のあったときに間に合わせに作る簡単な棺桶をいう。
将軍家か大名家で夜中に誰か亡くなって慌てている様子が浮かぶ。
「此梅に」の巻の五十二句目にも、
富士の嶽いただく雪をそりこぼし
人穴ふかきはや桶の底 桃青
とあった。これは昔の葬式では、死者は仏道に入るものとして髪を剃って納棺したので、富士山も死ねば雪を剃りこぼして、富士宮の人穴(溶岩洞穴)を仮桶とするというシュールな句。
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