「テコンダー朴」(原作:白正男、作画:山戸大輔)という漫画を読んだ。面白いけどこんなふうに韓国の反日種族主義をパロディーにして大丈夫なのかな。青林堂は勇気がある。さすがに『ガロ』を出していた会社だ。
ネット上で「鬼滅の刃」が「テコンダー朴」と似ているなんてのがあったが、読んでみて「『鬼滅の刃』の起源は韓国ニダ」という種のネタだとわかった。
さて、テコンドーといえば踵落とし、踵落としといえば故アンディ・フグということで、今日も鰒の句をつれづれに。
那須の石玉川の水ふぐと汁 一鉄(俳諧当世男)
那須の石は殺生石のことであろう。付近の火山ガスの作用により鳥獣の命を奪う。これに対し玉川の水は清らかな水として知られている。この両面を持つのが河豚と汁というわけだ。
砒礵石瀬ぶみなりけり鰒汁 一閑(俳諧雑巾)
「砒礵石(ひそうせき)」は有毒な砒素を含む石で、「瀬踏み」は川などで渡れるかどうか試すことをいう。河豚汁は砒素石を試すようなもの、という意味。
煮売也さよの中山河豚汁 正長(俳諧雑巾)
煮売りは移動販売の振売りと違い、店舗を構えて料理を提供するものを言う。小夜の中山で河豚と汁を売る茶店があったのか、よくわからない。食べ終わって無事なら、まさに「命なりけり」というところだろう。
月は霜重ねふとんやふぐの腸 露吸(東日記)
河豚の内臓には毒がある物が多い。ここでいう重ね蒲団に喩えられている「腸」は白子(精巣)ではないかと思う。
重ね布団は夜着のことではなく綿の入った敷布団で、ふかふかの敷布団を三段重ねるのは遊郭でも大夫のようの最高位の遊女の贅沢だったという。
鰒を煮て尺迦の売僧を知ル世哉 濁水(庵桜)
「売僧(まいす)」は商売をする堕落した僧のこと。そんなことを言ったら今の坊さんはみんな売僧になってしまいそうだが。
お坊さんも鰒の誘惑には勝てず、殺生の罪を犯してしまうということか。
あの坊が鰒にまよふて落葉かな 簑里(二葉集)
これも似たようなテーマだが、落葉に喩えて綺麗にまとめるあたりが、元禄も終わりに近い頃の風だったか。『二葉集』は惟然の撰。
鰒の子や何をふくれて流レ行 八橋(いつを昔)
河豚は膨れるものだが、河豚と汁ではなく生きている河豚を詠んだのは珍しい。
投られて砂にいかるや鰒の面 竹西(一幅半)
これも膨れた河豚を詠んだものだろう。
人の命や仙家にも鯸を売ならば 鉄卵(庵桜)
人は河豚で命を落とすが、仙人ならどうなのだろうか。
葬礼の其中を売ル鰒哉 賀子(蓮実)
葬式をやっているところに鰒売りが着たりしたら、何かつまみ出されそうだが、実際にそんなことがあったのか。ちょっと作った感じがやはり大坂談林なのだろう。
喰ふてや死ぬかと思ふふぐと汁 斧卜(卯辰集)
これはそのまんまという感じで特にひねりはない。
ちればこそいとど桜はめでたけれ鰒 牧童(卯辰集)
最後の「鰒」がなければ普通に桜を詠んだ句になる。桜は散るから美しいということだが、鰒を食うにもその美学なのか。どうせ散りもせず、というところで、
河豚汁や風呂に入ても何のその 尋問(花の雲)
これは千山撰の『花の雲』からで、惟然の超軽みの風の句。
ところで筆者はまだ鰒を食べたことがない。
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