伝染病が蔓延してくるといろいろなことが起こるが、ただみんなウィルスが憎いだけで人が憎いのではないと思う。そこは信じなくてはいけないし、安易にヘイトなんて言葉は使わないで欲しい。
ここはみんな新型肺炎という共通の敵に向って心を一つにしなくてはいけない場面だ。最も避けなくてはならないのはお互いに疑心暗鬼になって足を引っ張り合うことだ。
それでは「守武独吟俳諧百韻」の続き。
初裏
九句目。
月につかふや手水ならまし
下葉散る柳のやうじ秋立て 守武
今では楊枝というと小さくて尖っている爪楊枝のことだが、かつては歯ブラシとして使われる房楊枝が用いられていた。
「やうじ」が平仮名なのは、「下葉散る柳の様な」と「楊枝」を掛けているからで、「立て」も「下葉散る柳の立つ」と立秋とを掛けている。
歯磨きは水のある所で行う。
十句目。
下葉散る柳のやうじ秋立て
はがすみいつの朝ぎりのそら 守武
「はがすみ」は『連歌俳諧集』の注に「歯くそ」とある。歯垢のこと。
風邪にすす鼻、房楊枝に歯垢のような時折こういう緩い展開の句があるのは、この時代の特徴なのだろう。その意味でも貞徳の独吟は画期的だったのだろう。
十一句目。
はがすみいつの朝ぎりのそら
かへりてはくるかりがねをはらふ世に 守武
「かりがね」は雁がねと借金に掛けている。「はがすみ」はこの場合「剝がす身」だと『連歌俳諧集』の注にある。
「くる」も「繰り越す」に掛けているのか、繰り越してきた借金も払い終えてしまえば、身ぐるみ剝がされるのもいつのことだったか、最悪の事態を回避できたということになる。
十二句目。
かへりてはくるかりがねをはらふ世に
さだめ有るこそからすなりけれ 守武
帰ってはまた来る雁がねに定住する烏と違えて付ける。
烏はは烏金に掛けている。烏金(からすがね)はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「《翌朝、烏が鳴くまでに返さなければならない金の意》日歩で借りて、借りた翌日にすぐ返すという条件の高利の金。」
とある。
普通の借金は繰り越すことができるが、烏金は期限が決まっていて繰りこせない。
「さだめ有る」というと、江戸時代の、
大晦日定めなき世の定めかな 西鶴
も思い浮かぶ。一般論として定め無きは世の常だが、掛乞(かけごい)には定め(期限)がある。
十三句目。
さだめ有るこそからすなりけれ
みる度に我が思ふ人の色くろみ 守武
外で働く男達は日に曝されることで色素沈着が起こり、歳とともに色が黒くなってゆく。老化は生きとし生けるものの定めではあるが、それにしてもカラスみたいだ。
十四句目。
みる度に我が思ふ人の色くろみ
さのみに日になてらせたまひそ 守武
色が黒くなるのは日に曝されたからで、ここの展開も緩い。ただ口語っぽくして女性に語りかける体に変えている。咎めてにはの一種と見ていいだろう。
十五句目。
さのみに日になてらせたまひそ
一筆や墨笠そへておくるらん 守武
前句をそのまま手紙の内容とした。
「墨笠」はweblio辞書の「三省堂 大辞林 第三版」に、
「地紙を黒く染めた日傘。」
とある。
十六句目。
一筆や墨笠そへておくるらん
後のなみだはただあぶら也 守武
「後」は「のち」ではなく「あと」と読むようだ。「涙の跡」のことか。この墨笠に塗ってある油は私の涙です、ということか。
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